第27話 作られた評価
「最初に確認しておきます」
教師の声が、静かな室内に響いた。
「今回確認するのは、セルメールさんが聖女見習いに相応しいかどうかではありません。彼女について作成された記録や証言が、正しく扱われていたかどうかです」
「はい」
ルミエが小さく頷いた。
ヴェティアは、その隣で机の上に並べられた記録を見つめていた。
数日前まで、一つ一つはただの違和感だった。
理由の抜けた欠席記録。
元の所見より悪い印象を与える実技評価。
妙によく似た証言。
そして、証言した者の一人が外部から受け取っていた金銭。
学校側とロンドがそれぞれ確認を進めた結果、ようやく、それらを同じ場所へ並べられるところまで来た。
この場にいるのは、確認を担当する教師たちと、ルミエ、ヴェティア、そしてロンドだった。
「では、出欠から確認します」
教師が一枚の記録を手に取った。
「セルメールさん。教会からの要請によって、授業を途中で退席したことがありますね?」
「はい。毎回、先生へ確認してから退席しています」
「その点はこちらでも確認済みです」
教師は別の書類を並べた。
教会から学校へ届いた連絡。
授業名。
退席した時間。
そこまでは一致している。
「しかし、後にまとめられた出欠記録では、このうち複数が単純な『欠席』として処理されています」
ルミエの表情が曇った。
「理由は書かれていないのですか?」
「ありません」
「では、記録だけを見れば……」
「勝手に休んだようにも読めます」
教師の答えに、ルミエが口を閉じる。
「ただ」
ヴェティアは言った。
「その時間にルミエさんが教室にいなかったこと自体は事実です」
ルミエがこちらを見る。
「ヴェティア様?」
「そこは分けた方がいいわ」
ヴェティアは記録を指す。
「途中で授業を抜けた。それは本当。でも、許可を得て退席したという理由だけが、後の記録から消えている」
「その通りです」
教師が頷いた。
「欠席したという事実を問題にしているのではありません。事実の一部だけが欠けた状態で記録されていることが問題です」
次は魔法実技だった。
「セルメールさん。実技で術式の維持に失敗したことがありますね?」
「はい」
ルミエは迷わず答えた。
「一度ではありません。上手く扱えなかったことは他にもあります」
「元の授業記録にも、その失敗は残っています」
教師が一枚目を示す。
術式の維持に失敗。
力を込めすぎる傾向があるため注意すること。
そこまでは問題ない。
「しかし、後からまとめられた記録には」
教師はもう一枚を示した。
「光魔法の制御について、継続的な安定性に問題があると読める表現が追加されています」
「担当した教師は?」
ロンドが尋ねる。
「その評価を書いた覚えはないと答えています」
「単なる要約の違いという可能性は?」
「確認しました」
教師は頷いた。
「他の生徒について同様にまとめられた記録も見直しましたが、元の所見になかった評価を追加するような処理は確認できませんでした」
「ルミエさんの記録だけ?」
ヴェティアが尋ねる。
「現在確認できた範囲では」
偶然。
記入の癖。
単純な間違い。
一つなら、まだそう考えられたかもしれない。
「でも」
ルミエが小さく口を開く。
「私が失敗したことは、本当です」
「そうね」
ヴェティアは答えた。
「だから、失敗したことを評価されるのはおかしくない」
「……はい」
「一度失敗したことと、継続して能力に問題があることは別だけど」
失敗まで消してしまえば、今度は自分たちが事実を歪めることになる。
ルミエを守るために、完璧な少女へ作り替える必要はない。
「次に、証言についてです」
教師が数枚の紙を並べた。
「セルメールさんについて、授業態度や聖女見習いとしての自覚を疑問視する証言が複数ありました」
ヴェティアは目を落とす。
『聖女見習いとしての自覚を欠く』
『特別な立場を利用して授業を軽視している』
言葉の並びまで妙によく似ていた。
「感じ方そのものは自由です」
教師は続ける。
「セルメールさんを好ましく思わない生徒がいても、それ自体を問題にすることはできません。しかし、改めて聞き取りを行ったところ、不自然な点が見つかりました」
「何がですか?」
ルミエが尋ねる。
「少なくとも何人かは、この表現を自分で考えたわけではありませんでした」
ルミエが息を呑んだ。
「セルメールさんについて話を聞かれる際、先に『聖女見習いとしての自覚に欠けると思わないか』『特別扱いを受けているように見えないか』といった趣旨の問いかけを受けていたそうです」
「……誘導したのね」
ヴェティアが呟く。
「その可能性は高いと考えています」
教師は慎重に答えた。
何もないところから、すべての証言を作ったわけではない。
授業を途中で抜けた。
実技で失敗した。
教会関係者が学校を訪れている。
実際に見たことを思い出させ、その前に、どう受け取ればいいのかを置く。
(同じだ)
原作で、自分が使ったやり方と。
『あの子、今日も授業を抜けたでしょう?』
『聖女候補だからって、少し調子に乗っていると思わない?』
先に答えを渡しておく。
そうすれば、相手は自分で考えたつもりで、その答えに沿う出来事を探し始める。
◇
「金銭についても確認が取れています」
今度はロンドが口を開いた。
「学校側の聞き取りで、証言した者の一人が外部の人間から金銭を受け取ったことを認めた」
ルミエの顔が強張る。
「私のことを話したから……ですか?」
「本人はそう説明している」
ロンドは答えた。
「セルメールについて知っていることを教えてほしいと頼まれ、その謝礼として受け取った、と」
「その人は嘘を?」
「そこは確認できていない」
ロンドは首を横へ振った。
「少なくとも、最初から虚偽の証言をするよう求められたとは話していない。実際に見たことを答えたと言っている」
「授業を抜けたことや、実技の失敗?」
ヴェティアが尋ねる。
「ああ」
また同じだ。
真実を聞く。
金を渡す。
そのうえで、聞き方だけを少し変える。
「支払った人物については?」
「学校の外の人間であることは分かっている」
ロンドは言った。
「身元については私の側でも確認を進めているが、その者が自分の判断で動いたのか、さらに誰かから頼まれたのかまでは分かっていない」
「ヴァルモン侯爵との繋がりは?」
今度はヴェティアもためらわずに尋ねた。
先日、ロンドへ話した。
レナードから接触されたこと。
ルミエの能力。
素行。
支援。
聖女見習いとしての適格性。
それらを改めて見直すべきだと持ちかけられたこと。
「今のところ確認できていない」
ロンドは答えた。
「面会の時期と今回の動きが近いことは事実だ。だが、それだけでは足りない」
「はい」
ヴェティアも頷いた。
疑う理由はある。
けれど、犯人だと断定する理由にはならない。
「なら」
ヴェティアは机の上へ視線を戻した。
「今確認できたことだけで考えましょう」
教師が頷く。
「セルメールさんが授業を途中で抜けたことは事実」
「はい」
ルミエが答える。
「実技で失敗したことも事実」
「はい」
「学校や教会から支援を受けていることも事実です」
「はい」
そこを消してはいけない。
「ですが」
ヴェティアは一枚ずつ記録を見る。
「途中退席の理由だけが、後の記録から消えている」
一つ。
「実際の失敗へ、元の所見になかった継続的な問題があるかのような評価が足されている」
二つ。
「複数の証言で、先に似た言葉を与えられている」
三つ。
「その証言の一つには、外部から金銭まで支払われている」
四つ。
一つなら、間違いかもしれない。
偶然かもしれない。
誤解かもしれない。
けれど、すべてが同じ方向へ向いている。
ルミエ・セルメールは、聖女見習いとして問題がある。
そう見える方向へ。
「これは」
ヴェティアは言った。
「ルミエさんが本当に何をしたのかを評価しているのではありません」
誰も口を挟まない。
「最初から悪く見えるように、事実の見せ方を変えています」
ルミエを守るために、完璧な人間へする必要はない。
失敗も、未熟さも、そのままでいい。
「ルミエさんが聖女見習いとして適切に振る舞っているか、正しく確認することには反対しません」
立場が変われば、以前より見られることも増える。
責任も生まれる。
「でも」
ヴェティアは続けた。
「実際にしたことより悪く見える形へ記録を変えて、その記録を見た人が疑うように証言を集めて、それを『皆が同じように考えている』ように見せるのは」
一度だけ息を吸う。
「評価ではありません」
誰かが望む結論に合わせて、人間そのものを作ろうとしている。
「『問題の多い聖女見習い』という評価を」
ヴェティアは言った。
「後から作っています」
ルミエはしばらく何も言わなかった。
膝の上で、ぎゅっと手を握る。
「……私」
やがて、小さく口を開いた。
「最初は、本当に私が悪いのかと思っていました」
ヴェティアはルミエを見る。
「授業を抜けたのも本当で。実技に失敗したのも本当で。支援していただいているのも本当だから」
「ええ」
「だから……皆さんがそう思うなら、もっとちゃんとしないといけないのかなって」
「ちゃんとしなさい」
「え?」
ルミエが目を丸くする。
「失敗したところはね」
ヴェティアは言った。
「実技でできなかったなら練習する。授業を途中で抜けたなら必要な分を補う。支援を受けているなら、何のための支援なのか自分でも知っておく」
「……はい」
「でも」
ルミエを見る。
「していないことまで、あなたが反省する必要はないわ」
ルミエの目が僅かに揺れた。
「……はい」
今度の返事は、先ほどより少し強かった。
◇
学校側の対応は、その日のうちに決まった。
ルミエに関する記録は、元の資料と照合したうえで事実に沿う形へ修正する。
今回集められた証言のうち、誘導を受けた可能性があるものは、そのまま評価材料には使用しない。
金銭が関係していた証言についても、経緯を改めて確認する。
「セルメールさんについて、今後一切問題を指摘してはならないという意味ではありません」
教師は最後にそう付け加えた。
「実際に問題があれば、それは問題として記録します」
「はい」
ルミエは頷く。
「その方がいいです」
ヴェティアも同じだった。
庇うためにルミエだけを特別扱いするなら、結局、形を変えて事実を歪めることになる。
したことは、したこととして扱う。
していないことは、していないこととして扱う。
それだけでいい。
聖女見習いという立場そのものが、今すぐ失われるような事件ではなかった。
けれど、放っておけば小さな記録が積み重なり、噂が増える。
その噂を根拠に、また新しい疑いが生まれる。
そして、いつか。
『以前から問題が指摘されていた』
という一つの評価になる。
その最初の一段を、止めることはできた。
部屋を出ると、ルミエが一度だけヴェティアの袖を軽く引いた。
「ヴェティア様」
「何?」
「……ありがとうございます」
ヴェティアは少しだけ目を細めた。
「まだ終わったわけじゃないわよ」
「はい」
ルミエは頷く。
「分かっています」
それ以上、ルミエは何も言わなかった。
ヴェティアも、今はそれでいいと思った。
今回、最初の工作は止められた。
けれど、誰が、何のために、どこまで関わっていたのか。そこまではまだ見えていない。
証言を求めた者。
金を支払った者。
記録へ手を加えた者。
その向こうにいる人間までは、まだ繋がっていない。
それでも、少なくとも一つはっきりした。
これは、ただの噂ではなかった。
誰かがルミエの評価を意図的に作ろうとしていた。
そして、その最初の工作は成立しなかった。




