第26話 一人で調べる必要はない
「ロンド殿下に、お話ししたいことがあります」
放課後。
ヴェティアがそう切り出すと、ロンドは手にしていた書類から顔を上げた。
「珍しいな」
「そうでしょうか」
「君の方から私に相談したいと言うのは、少なくとも最近では珍しい」
「……そうかもしれません」
否定できなかった。
以前の自分なら、相談というより要求していたかもしれない。あるいは、自分に都合の悪いことなら、そもそも話さなかった。
今も隠していることはある。
前世。
乙女ゲーム。
原作で起きるはずだった未来。
そして、原作のヴェティアがレナードたち王権派と手を組んでいたこと。
それらをロンドへ話すつもりはなかった。
話せない。
けれど、今この世界で実際に起きたことまで隠す理由にはならない。
「ルミエさんについてです」
ロンドの表情が少し変わった。
「何かあったのか?」
「はい」
ヴェティアは、確認できた事実から話した。
聖女見習いになって以降、ルミエについて、
授業を特別扱いで休んでいる。
光魔法の能力を実際より高く評価されている。
教会から不当な金銭支援を受けている。
そんな噂が流れていること。
そして学校の記録を確認したところ、実際の授業内容と、後からまとめられた記録に食い違いが見つかったこと。
「例えば?」
「教会から正式な連絡があり、教師の許可を得て授業の途中で退席した日があります」
「それが?」
「後からまとめられた記録では、単に欠席として扱われていました」
ロンドが眉を寄せる。
「理由が抜けているのか」
「はい。それから魔法実技です」
ルミエが実際に失敗したこと。
その事実自体は正しい。
しかし、元の教師の記録にはなかった、継続的に安定性へ問題があるかのような表現が後から加わっていた。
そこまで話すと、ロンドは椅子の背へ身体を預けた。
「単なる記入間違いでは?」
「その可能性もあります」
「君は違うと思っている」
「疑っています」
「何を?」
ヴェティアは一度口を閉じた。
ここからが、今日ロンドへ相談しようと決めた本当の理由でもあった。
「その前に、もう一つお話ししておくことがあります」
「何だ?」
「先日、レナード・ヴァルモン侯爵から面会を求められました」
ロンドの目が僅かに細くなった。
「ヴァルモン侯爵から?」
「はい」
「何の用件で?」
「最初は、教会と王権の関係についてのお話でした」
魔王討伐以降。
大聖女ミュゲ。
教会。
聖女という存在。
それらへの社会的な信頼が大きく高まったこと。
その功績自体を否定するつもりはないこと。
しかし、社会的信頼だけでなく政治的な影響力まで一つの組織へ集まり始めれば、王権との均衡が崩れる可能性があること。
「それ自体は」
ヴェティアは慎重に続けた。
「私も、まったく理解できない話ではありませんでした」
「それで?」
「話はルミエさんへ移りました」
平民出身。
希少な光魔法の使い手。
ミュゲの弟子。
そして聖女見習い。
将来さらに立場を得て、王家との距離まで近くなれば、教会と王権の双方へ強い影響を持つ人間になるかもしれない。
「ヴァルモン侯爵は、ルミエさんが過剰に評価される前に、改めて冷静に見る必要があると仰いました」
「何をだ?」
「能力。学校での素行。受けている支援。そして、聖女見習いとしての適格性です」
ロンドの表情が変わった。
「……今回出ている噂と同じだな」
「はい」
言葉にすると、改めてあまりにもよく似ている。
「それで、君に何を求めた?」
「協力を」
「受けたのか?」
「いいえ」
ヴェティアは即答した。
「断りました」
「理由は?」
「教会の影響力について議論することと、何もしていないルミエさんを悪く見せることは別だからです」
ロンドはしばらく黙っていた。
「ヴァルモン侯爵は、記録を書き換えろと?」
「いいえ」
「金を渡して証言させろとは?」
「言われていません」
「噂を流せとも?」
「そこまで露骨な話は何も」
ヴェティアは首を横へ振る。
「ですから」
「ヴァルモン侯爵が今回の件を指示したとは言えない、か」
「はい」
そこを飛ばしてはいけない。
接触された。
ルミエの評価について話された。
その直後、よく似た内容の噂と、不自然な記録が出てきた。
疑う理由はある。
けれど、疑う理由があることと、犯人だと決めることは同じではない。
ロンドは少し考えたあと、口を開いた。
「なぜ、それを最初に言わなかった?」
「……」
「ヴェティア」
「すみません」
言い訳はできなかった。
「証拠がないのに名前を出すのは、よくないと思って」
「それ自体は間違っていない」
「では」
「だが、犯人だと決めつけることと、関連する事実を共有することも同じではない」
ヴェティアは言葉を失った。
「……はい」
「君は私に相談しに来たんだろう?」
「はい」
「なら、判断に関わる材料は出してくれ。ヴァルモン侯爵を犯人扱いするかどうかは、その後で考えればいい」
痛い。
けれど、もっともだった。
また自分の中だけで、
ここまでは言う。
ここからは言わない。
と決めていた。
「申し訳ありません」
「謝るほどではない」
ロンドは言った。
「今、話したのだから」
「……はい」
「ただ、次からはもう少し早く共有してくれ」
「努力します」
「そこは素直に頷けないのか?」
「頷いています」
「努力すると言った」
「……気をつけます」
「よろしい」
少しだけ腹が立った。
けれど、以前のように、腹が立ったからといって話を打ち切る気にはならなかった。
「それで」
ロンドが話を戻す。
「君は、誰かが意図的にルミエの評価を下げようとしていると考えているんだな」
「はい」
「理由は、ヴァルモン侯爵との面会だけではない」
「もちろんです」
ヴェティアは頷いた。
「噂の内容が、妙に揃っています」
「揃っている?」
「全部、まったくの嘘ではありません」
ルミエが授業を離れたことはある。
実技で失敗したこともある。
支援を受けていることも事実だ。
「それだけ聞けば、噂にもなりそうだな」
「そうなんです」
そこが一番厄介なのだ。
「実際にあった小さな出来事へ、少しだけ意味を足しています」
「意味?」
「授業を離れた。だから、特別扱いされている」
一つ。
「実技で失敗した。だから、能力不足なのに聖女見習いへ選ばれた」
二つ。
「支援を受けている。だから、教会から不当な援助を受けている」
三つ。
「事実そのものを全部作っているわけではありません」
ヴェティアは言った。
「本当のことへ、少しずつ嘘を混ぜています」
ロンドはしばらく何も言わなかった。
「ずいぶん詳しいな」
ヴェティアの胸が跳ねた。
「……何がです?」
「やり方だ」
ロンドの目がこちらを向く。
「単に噂を聞いただけなら、そこまで早く構造まで考えるものか?」
「それは……」
当然の疑問だった。
ヴェティアはこの手口を知っている。
原作で、自分自身が使ったから。
けれど、それを言うことはできない。
「以前」
ヴェティアは慎重に答えた。
「そういうやり方を知る機会がありました」
「誰から?」
「それは」
一度、視線を落とす。
「今は、お話しできません」
ロンドの表情が僅かに険しくなる。
「理由も?」
「はい」
「私にも?」
「……はい」
怖い。
この返事で、また疑われるかもしれない。
当然だ。
以前のヴェティアなら、裏で何かを企んでいても不思議ではない。
しかも今、自分は明らかに何かを隠している。
「分かった」
「……え?」
思わず顔を上げた。
「話せないなら、今はそれでいい」
「聞かないのですか?」
「聞いてほしいのか?」
「そういうわけでは……」
「なら聞かない」
あっさりと言われた。
ヴェティアは拍子抜けする。
「ただし」
ロンドの声が少しだけ厳しくなる。
「君の秘密を信じることと、君が出した事実を検証することは別だ」
「……はい」
「君が何を隠しているのかは分からない。だから、そこについて信用したとは言わない」
胸が少し痛んだ。
けれど、正しいと思った。
「だが」
ロンドは机の上へ指を置く。
「今出した話には、確認できるものがある」
欠席記録。
教師の元の記録。
噂。
ルミエ本人の話。
そして、ヴァルモン侯爵から実際に接触されたという事実。
「なら、それは調べられる」
ヴェティアは少しだけ目を見開いた。
「協力してくださるのですか?」
「君の婚約者だからではない」
すぐに釘を刺された。
「……分かっています」
「本当に?」
「少しくらいは優しく言ってくださってもいいのでは?」
「では言い直そうか」
「結構です」
思わず少しだけむっとした。
ロンドの口元が僅かに緩んだ気がした。
「君の指摘に筋が通っているから調べる」
ロンドは続ける。
「もし誰かが、聖女見習いとなった学生の評価を意図的に操作しているのなら、ルミエ一人の問題ではない」
「はい」
「学校の記録そのものへの信用にも関わる」
ヴェティアも頷いた。
そこまで行けば、公爵令嬢一人が勝手に調べる話ではない。
「何を確認したい?」
ロンドが尋ねる。
「まず、学校の記録です」
「そこは学校側だな」
「はい。元の記録から、どの段階で表現が変わったのか。誰が扱ったのか」
「他には?」
「噂についても、可能な範囲で出どころを確認したいです」
「噂を広めた生徒を捕まえるのか?」
「いいえ」
ヴェティアは首を振った。
「ただ聞いたことを話しただけの人まで責めても意味がありません」
原作で自分が利用したのも、そういう人間だった。
誰かから聞いた話を、面白半分で、あるいは本当だと思って次へ伝えただけ。
「ただ、違う人たちが同じような言葉を使っているなら、その前に同じ話を聞いている可能性があります」
ロンドは少し考えたあと、
「分かった」
と答えた。
「それから」
ヴェティアは一度、口を閉じた。
ここが、自分では確認できない。
「金銭についてです」
「教会からの支援か?」
「それだけではありません」
「どういうことだ?」
「もし」
慎重に言う。
「誰かに証言を求めたり、記録へ手を加えるよう働きかけたりしているなら」
対価があるかもしれない。
ロンドの目が細くなる。
「買収を疑っているのか」
「可能性としてです」
「根拠は?」
「ありません」
ヴェティアは正直に答えた。
「今のところは」
「……」
「だから、私が勝手に誰かの懐事情を調べて、犯人扱いするわけにもいきません」
ロンドが一瞬、意外そうな顔をした。
「何ですか?」
「いや」
「気になります」
「以前の君なら、怪しいと思った相手から先に問い詰めていたと思ってな」
「……否定できません」
「だろう」
「いちいち昔の私を出さないでください」
「比較対象がそこしかない」
「もう少しありませんか?」
「今作っているところだ」
ヴェティアは返す言葉を失った。
一瞬だけ、それがどういう意味なのか考えそうになる。
けれど、ロンドはすでに話を戻していた。
「学校内部の記録と聞き取りは、学校側へ正式に確認を頼む」
「はい」
「君はルミエ本人と、実際に授業を見ていた範囲で事実を整理してくれ」
「分かりました」
「私は、学校の外から誰かが働きかけていないか確認する」
「できるのですか?」
「何でも分かるわけではない」
ロンドはすぐに言った。
「だが、貴族家に関係する者が金を動かしたり、学校の人間へ接触していたりするなら、確認できる範囲はある」
「ヴァルモン侯爵についても?」
「名前が出た以上は頭には置く」
ロンドは答える。
「だが、最初から彼だと決めて調べるつもりはない」
「……はい」
その返事に、ヴェティアは少しだけ安心した。
自分が相談したかったのも、それだった。
疑う。
けれど、決めつけない。
「それから」
ロンドはヴェティアを見る。
「一人で勝手に動くな」
「……」
「何だ、その顔は」
「そんなに信用がありませんか?」
「あるかないかで言えば、まだ十分にはない」
「はっきり言いますね」
「だが」
ロンドは続けた。
「今回の件については、君が見つけた違和感を軽く扱うつもりもない」
ヴェティアは黙った。
「だから」
「はい」
「何か見つけたら共有しろ」
命令というほど強くはなかった。
けれど、拒む余地を与える言い方でもなかった。
「……分かりました」
ヴェティアは頷いた。
「今度は、判断材料になりそうなことも含めて」
「そうしてくれ」
「……はい」
先ほどのレナードのことを指している。
少しだけ耳が痛かった。
◇
数日かけて、学校側の確認が進んだ。
最初に見つかったのは、証言の妙な一致だった。
「これ、同じ言い方ですね」
ヴェティアは、教師から許可を得て確認した記録を見比べていた。
「『聖女見習いとしての自覚を欠く』」
別の生徒の聞き取りにも同じ表現。
さらに、
「『特別な立場を利用して授業を軽視している』」
これも言葉こそ少し違うが、意味はよく似ている。
教師が眉を寄せる。
「不自然ですね」
「はい」
同じ出来事を見ても、人によって言葉は違うはずだ。
まして、ルミエが実際に何をしたのかを尋ねた部分では、
途中退席した。
教師に呼ばれていた。
教会の人が来ていた。
それぞれ表現が違う。
なのに、評価になると急に似た言葉が並ぶ。
「誰かから、先にそういう話を聞いていた可能性がありますね」
「そう思います」
ただし、それだけでは誰が始めたかまでは分からない。
同じ噂を聞いて、その表現をそのまま使っただけかもしれない。
けれど、一つ分かった。
ばらばらに生まれた疑いではない可能性が高い。
◇
「ヴェティア」
さらに翌日。
ロンドから声をかけられた。
「少しいいか」
人気の少ない場所へ移る。
ヴェティアは、ロンドの顔を見ただけで何か見つかったのだと分かった。
「金銭の件ですか?」
「よく分かったな」
「顔に出ています」
「君に言われたくない」
「私、そんなに出ています?」
「かなり」
「……気をつけます」
「今さらだな」
そこは放っておいてほしい。
「それで?」
ヴェティアが聞くと、ロンドの表情が真面目なものへ戻った。
「まだ断定はできない」
「はい」
「学校側の聞き取りで、ルミエについて話した者の一人が、外部の人間から金銭を受け取っていたことを認めた」
ヴェティアの表情が固まる。
「何のために?」
「本人は、知っていることを話したことへの謝礼だと言っている」
「金額は?」
「大きくはない」
「……やっぱり」
「やっぱり?」
しまった。
ヴェティアは一瞬言葉に詰まった。
「いえ。大金なら目立つと思っただけです」
ロンドは少しだけこちらを見たが、そこは追及しなかった。
「支払いの時期も、証言が集まり始めた頃と近い」
「支払った人は分かっているのですか?」
「そこは私の側で確認を始めている。ただ、今の段階では、その人物が自分の判断で金を払ったのか、誰かに頼まれたのかまでは分からない」
「では」
「買収だったとも、背後に誰かいるとも、まだ言えない」
「はい」
それでいい。
今、言えるところまで。
記録の食い違い。
似すぎた証言。
噂。
そして、外部の人物から渡された小さな金。
「学校の外から動いている可能性は?」
「ある」
ロンドは答えた。
「少なくとも、学校の生徒たちだけで始まった話だと決めつけない方がいい」
「ヴァルモン侯爵との繋がりは?」
今度はヴェティアから尋ねた。
隠さず、共有するために。
ロンドは首を横へ振る。
「まだ何もない」
「そうですか」
「あの面会と今回の件が近い時期に起きたことは覚えておく。だが、それだけだ」
「はい」
疑えば簡単だった。
レナードだ。
王権派だ。
そう決めてしまえる。
けれど、まだそこまでは繋がっていない。
「……もう少しですね」
ヴェティアが呟く。
「何が?」
「誰かが意図的にルミエさんの評価を落とそうとしている。そのことを、きちんと示すまでです」
「そうだな」
「あと少し調べれば」
「ヴェティア」
ロンドに名前を呼ばれ、ヴェティアは顔を上げた。
「何ですか?」
「また一人で進めようとしている」
「……」
言われて、初めて気付いた。
頭の中ではすでに、次に自分が何を確認するか、誰へ聞くか、どうやって証拠を集めるか、そればかりを考えていた。
「そんなつもりは」
「なかった?」
「……少しはありました」
正直に答える。
「だろうな」
「ですが、私が見つけた問題ですし」
「だから君一人で片づけるのか?」
「それは……」
「学校の記録なら学校側が確認する」
ロンドは静かに言う。
「学校の外のことなら、私に確認できる部分もある。ルミエ自身にしか答えられないこともある」
「……」
「君が全部やる必要はない」
その言葉に、以前ミュゲから教えられたことが、不意に胸の奥へ戻ってきた。
責任を持つことと、何もかも自分だけで抱えることは別なのだと。
あのとき聞いた意味を、ヴェティアはまだ十分には理解できていない。
自分が気付いたなら、自分が何とかするべきだ。
そう考える方が、今も分かりやすい。
けれど今回、自分一人では見つけられなかった。
証言の一致も。
金銭の受け取りも。
学校。
ロンド。
ルミエ。
それぞれが自分にできることをしたから、ここまで来た。
「……分かりました」
ヴェティアは頷いた。
「一人では動きません」
「本当に?」
「できるだけ」
「そこは『本当に』と言うところだろう」
「努力します」
ロンドが小さくため息をついた。
「まあ、今はそれでいい」
ヴェティアは少しだけ笑った。
全部を任せるつもりはない。
何もしないつもりもない。
けれど、自分だけでやらなくてもいい。
少なくとも今回については、そう考えてもいいのかもしれなかった。
ヴェティアは、これまでに集まった情報を思い返す。
まだ犯人は分からない。
王権派だとも、レナードだとも断定できない。
けれど、偶然と呼ぶには材料が揃い始めている。
次に必要なのは、この小さな違和感を誰が見ても分かる事実へ変えることだった。




