第25話 原作では、私がやった
「確認したところ、この記録だけではありませんでした」
翌日。
ヴェティアとルミエは、再び教師のもとを訪れていた。
机の上には、前日に見たものとは別の記録がいくつか並べられている。
「やはり、他にも?」
「ええ。ただし」
教師は慎重に言葉を選んだ。
「現時点では、意図的に書き換えられたと断定できるものではありません」
「分かっています」
ヴェティアは頷く。
決めつけない。
昨日から何度も、自分へ言い聞かせている。
「見せていただいても?」
「セルメールさん本人に関係する範囲であれば」
「私は大丈夫です」
ルミエが答える。
ヴェティアは一枚目へ目を落とした。
授業への出欠。
魔法実技の評価。
教師からの簡単な所見。
一見すると、何もおかしくない。
けれど。
「……ここ」
指先で一か所を示す。
「『実技において術式の維持に失敗』」
「はい」
ルミエが覗き込んだ。
「それは本当です」
「覚えているの?」
「もちろんです。途中で崩れてしまって」
少し恥ずかしそうに頬を掻く。
「先生からも、無理に力を込めすぎないようにと言われました」
教師も頷いた。
「その記録自体は正しいですね」
「では、これは?」
そのすぐ下、別の欄。
そこには、
光魔法の制御について、安定性に懸念あり。
という趣旨の記述が加えられていた。
教師が眉を寄せる。
「……この書き方は、少し妙ですね」
「どういうことですか?」
ルミエが尋ねる。
「失敗したこと自体は事実です。しかし、あの授業だけをもって継続的に安定性へ問題があると判断した覚えはありません」
「では、この一文は?」
「少なくとも、私が最初に記した表現とは違います」
ルミエの表情が固まった。
ヴェティアは、胸の奥が冷たくなるのを感じた。
失敗は本当にあった。
そこへ、ほんの少しだけ意味を付け足す。
失敗した。
だから、能力そのものに問題があるかもしれない。
まったくの嘘ではない。
けれど、同じ事実を違う印象へ変えることはできる。
(……知ってる)
嫌な感覚だった。
「他も見ても?」
「どうぞ」
次は授業の欠席。
教会からの要請によって途中退席した日だ。
元の連絡には理由が残っている。しかし、まとめられた記録では理由が省かれているものがある。
嘘ではない。
その時間に教室へいなかったのは事実だから。
次は支援について。
ルミエが学校生活を送るために受けている扱いについて、何者かが、
一般の生徒より優遇されているのではないか。
と確認を求めた記録が残っていた。
確認を求めること、それ自体は不正ではない。
しかし、それを見た者には、
「何か問題があったから調べられたのでは」
と思わせることができる。
小さい。
一つ一つは、本当に小さい。
「……ヴェティア様?」
ルミエの声で、我に返った。
「顔色が悪いです」
「大丈夫よ」
「でも」
「本当に、大丈夫」
ヴェティアは記録へ視線を戻す。
大丈夫なわけがない。
吐き気がした。
なぜなら、分かるからだ。
このやり方が、どういうものなのか。
◇
原作の中で、ヴェティアは最初から大きな嘘を作ったわけではなかった。
ルミエが一度授業に遅れれば、
『規律を軽視している』
と広めた。
実技で一度失敗すれば、
『聖女として必要な力が不足している』
と騒いだ。
誰かから善意で助けられれば、
『平民という立場を利用して特別扱いを受けている』
と囁いた。
完全な嘘なら、調べればすぐに崩れる。
けれど、事実を一つ置いて、その隣へ小さな嘘を添える。
あるいは、事実の一部分だけを抜き出して、都合の悪い部分を見せない。
そうすれば、見る側が勝手に想像してくれる。
『ルミエ・セルメールには、何か問題があるのではないか』
と。
そして、一度そう思われれば、次からは何をしても疑われる。
失敗すれば、
『やはり』
と言われる。
成功すれば、
『誰かに助けられたのでは』
と言われる。
何もしなくても、
『何か隠しているのでは』
と言われる。
(……私がやった)
原作では。
王権派に協力して、自分も同じことをした。
レナードや、その周囲の人間が用意した材料を使い、学校の中で噂を広げた。
都合のよい証言を集め、自分が見たものまでルミエに不利な言い方へ変えた。
(最低……)
胃の奥が重くなる。
知っている。
この手口を。
誰より、嫌になるほど知っている。
「ヴェティア様」
もう一度、ルミエに呼ばれる。
「本当に大丈夫ですか?」
その顔を見て、さらに胸が痛んだ。
原作では、この少女へ自分がやった。
今、目の前で起きているものとよく似たことを。
「……大丈夫」
今度は少しだけ声が掠れた。
「ただ」
ヴェティアは記録から手を離した。
「確認したいことがあるわ」
「私にですか?」
「ええ」
ルミエは姿勢を正した。
「何でしょう」
「魔法実技で失敗したのは、この一度だけ?」
尋ねると、ルミエは少し考えた。
「いいえ」
すぐに答えた。
「他にもあります」
ヴェティアは目を瞬く。
「あるの?」
「ありますよ」
「……隠さないのね」
「どうして隠すんですか?」
本気で不思議そうな顔をされた。
「だって、今あなたについて悪い噂が流れているのよ」
「だからって、失敗してないことにはできません」
あまりにも、まっすぐだった。
「どんな失敗?」
「力を入れすぎて途中で崩れたことがあります。それから、治癒の練習で思ったより上手く魔力を扱えなくて、先生に止められたことも」
「他には?」
「最初の頃は、光魔法を使おうとして何も起きなかったこともあります」
ルミエは指を折りながら数える。
「……結構あるじゃない」
「はい」
「何でそんな堂々としてるのよ」
「だって、練習中ですから」
ルミエは首を傾げた。
「先生も、失敗しない人になるために学ぶんじゃなくて、できることとできないことを知るために学ぶんだって」
「……」
ミュゲらしい。
ヴェティアは小さく息を吐いた。
「では、その中で、今回の記録に残っているもの以外に問題として注意されたことは?」
「ありません」
「授業態度は?」
「寝たことはありません」
「そんなことは聞いてない」
「遅刻もしてません」
「他は?」
「……一度、質問しすぎて授業を止めてしまいました」
「それは問題なの?」
「先生には『今日はここまでにしましょう』と言われました」
「それ、単に時間切れじゃない?」
「そうかもしれません」
思わず少し笑いそうになった。
けれど、大事なのはそこではない。
「支援については?」
「学校へ通うために必要なものは、入学時から決められた範囲で受けています」
「聖女見習いになってから急に増えたものは?」
「教会へ行くために必要になることはありますけど……私個人がお金をもらっているわけではありません」
「誰かから贈り物は?」
「教会の方から?」
「誰でも」
ルミエはしばらく考えた。
「お菓子なら」
「お菓子」
「先生に教えていただいたあと、皆でいただきました」
「それは除外」
「では、ありません」
ヴェティアは頭の中で整理する。
ルミエは、自分に不利になりそうな話も隠さない。
実技で失敗した。
授業途中で抜けた。
支援を受けている。
そこまでは事実だ。
けれど、噂として流れている内容は、その事実より一歩だけ先へ進んでいる。
実技で失敗した。
だから、能力が足りない。
授業を途中で抜けた。
だから、特別扱いで好き勝手に休んでいる。
支援を受けている。
だから、教会から不当に金をもらっている。
(そういうことね)
何もないところから全部を作っているわけではない。
事実を土台にしている。
だから否定しようとすると、
「でも、授業を抜けたのは本当でしょう?」
「失敗したことはあるでしょう?」
「支援を受けているでしょう?」
と返せる。
「先生」
ヴェティアは教師を見る。
「元の記録は、すべて残っていますか?」
「すべて、というのは?」
「教師が最初に記したものと、その後にまとめられたものを比べられる状態ですか?」
教師は少し考える。
「ものによります。一度まとめた後も元の記録が残っているものはありますが、すべて同じ形で保存されているとは限りません」
「誰が、まとめ直すのですか?」
「内容によって違います」
「では」
ヴェティアは続けようとして、止まった。
ここから先は簡単ではない。
誰が記録へ触れられるのか。
どの段階で書き換わったのか。
誰が確認したのか。
学校内部の手続きまで、自分一人で勝手に調べられるものではない。
教師も、ヴェティアの表情から何かを察したらしい。
「ブュッフェさん」
「はい」
「あなたが何を疑っているのかは、おおよそ分かります」
ヴェティアは黙る。
「ですが、現時点では」
「分かっています」
すぐに答えた。
「誰かが意図的に変えたとは、まだ言えません」
「ええ」
「記入ミスの可能性もある。まとめる際に表現が変わっただけかもしれない」
「その通りです」
それでいい。
今は、犯人を決める必要はない。
必要なのは、どこから何が変わっているのか。
そこだ。
「でしたら」
ヴェティアは記録を見る。
「まず、元の記録と今の記録で違うところだけを確認したいです」
誰が悪いかではない。
どこが違うか。
「それから」
ルミエを見る。
「噂になっていることも、一つずつ分けましょう」
「分ける?」
「本当のことと、そこから勝手に付け足されたことを」
ルミエは少し考えたあと、ゆっくり頷いた。
「分かりました」
「あなたに不利なことでも、隠さないでね」
「隠しません」
「本当に?」
「本当にです」
「実技の失敗とか」
「全部言います」
「授業で質問しすぎたこととか」
「それも言います」
「それは多分いらない」
「えっ」
「冗談よ」
ルミエが少し頬を膨らませる。
その顔を見て、ヴェティアはほんの少しだけ肩の力を抜いた。
◇
その日の帰り。
ヴェティアは一人で校舎の廊下を歩いていた。
窓の外には、夕方の光が差している。
原作の記憶が何度も頭へ浮かんだ。
自分がやったこと。
ルミエを陥れるために、真実と嘘を混ぜたこと。
そして、それを今度は見抜くために使おうとしている。
(……都合がいいのかしら)
自分で人を傷つける方法を知っていたから、今度は止められる。
そんなふうに考えることが、まるで過去の自分まで役に立ったと言い換えているようで嫌だった。
罪に意味を持たせるようで。
足が止まる。
ミュゲの言葉を思い出した。
罪は消えない。
善いことをしたから、過去がなくなるわけではない。
なら、逆も同じなのかもしれない。
過去が悪かったからといって、今、知っていることまで捨てる必要はない。
(私がやったことは、消えない)
原作の自分がルミエを傷つけたこと。
今の自分がアンナを傷つけたこと。
何も、なかったことにはならない。
けれど。
(知っているなら)
ヴェティアは顔を上げた。
(今度は、止めるために使えばいい)
それで過去が善いものへ変わるわけではない。
自分が許されるわけでもない。
ただ、今選べることが一つ増える。
それだけでいい。
ヴェティアは歩き出す。
今回の工作らしきものが誰によるものなのか、まだ分からない。
レナードなのか。
王権派なのか。
あるいは、まったく別の者なのか。
決めつける材料はない。
ただ、やり方は見えてきた。
大きな嘘を作るのではない。
小さな事実へ、小さな嘘を混ぜる。
少しずつ、その人を見る目だけを変えていく。
なら、逆にすればいい。
混ぜられたものを、一つずつ元へ分けていく。
事実は事実。
失敗は失敗。
支援は支援。
そこへ、誰が、どこで、何を付け足したのか。
それを調べる。
けれど、学校の記録、それへ触れられる者、外から届いた問い合わせ、金銭に関する話。
そこまで来ると、ヴェティア一人では確認できないことが多すぎた。
(……誰かの力が必要ね)
そして、こういう時に自分より広い範囲の情報へ触れられる人物を、ヴェティアは一人知っていた。
第一王子。
ロンド・ナルシス。
足を止めることなく、ヴェティアは次に確認するべきことを頭の中で整理し始めた。




