第21話 聖女見習いという立場
ルミエ・セルメールを見る目が変わった。
それをヴェティアがはっきりと感じるようになったのは、彼女が聖女見習いとして正式に認められてから、そう何日も経たない頃だった。
「セルメールさん。放課後、少し時間をいただけますか」
「はい」
授業を終えた教師に呼び止められ、ルミエが席から立ち上がる。
「教会からいらした方がお待ちです。今後の指導について、確認したいことがあるそうです」
「分かりました」
返事をしたあと、ルミエはなぜかヴェティアを見た。
「……何よ」
「いえ。その、まだ慣れなくて」
「私を見てもどうにもならないわよ」
「そうなんですけど……」
ルミエが困ったように笑う。
以前なら、教師に呼び止められた程度で教室中の視線が彼女へ集まることはなかった。
珍しい光魔法を使える平民の特待生。
それだけでも十分に目立つ存在ではあった。
けれど今は、大聖女ミュゲ・ジプソフィルの弟子であり、正式な聖女見習いでもある。
二つの立場が加わっている。
「また教会の方?」
「最近多いわね」
「聖女見習いになると、ああいうものなのかしら」
聞こえてくる声にも、以前とは違うものが混じっていた。
好奇心。羨望。戸惑い。
そして、相手がこれからどこまで大きな存在になるのか、見定めようとするような視線。
けれど、当のルミエは何も変わらない。
「では、行ってきます」
「はいはい」
「……何だか冷たいですね」
「相手を待たせる方が失礼でしょう」
「あっ」
ルミエは慌てて鞄を持ち上げた。
「行ってきます!」
「廊下は走らない」
「はい!」
一歩目だけ勢いよく踏み出し、すぐに速度を落とす。
その後ろ姿を見送りながら、ヴェティアは小さく息を吐いた。
(肩書が変わっただけで、ここまで周りの見方が変わるのね)
昨日までと今日で、ルミエという人間が別人になったわけではない。
光魔法が突然強くなったわけでも、急に立派な振る舞いができるようになったわけでもない。
それでも周囲にとって、平民出身の特待生と、将来聖女になる可能性を持つ聖女見習いとでは、意味がまるで違う。
ルミエ本人が変わらなくても、彼女を取り巻くものは確実に変わり始めていた。
◇
「セルメール嬢と、最近よくご一緒されていますね」
昼休み。
そう声をかけてきたのは、同じ学年の貴族令嬢だった。
「そうね」
「やはり、大聖女様のお弟子同士だからでしょうか」
「それもあるかもしれないわね」
ヴェティアはそれ以上、詳しく説明しなかった。
本当は、ミュゲの弟子になる前からルミエとは少しずつ話すようになっていた。
友人になったのも先だ。
けれど今では、
大聖女の弟子同士。
そう言ってしまえば、周囲にとっては分かりやすいらしい。
「ヴェティア様も、随分変わられましたものね」
「……そう?」
「はい。その……以前でしたら」
令嬢が途中で言葉を濁す。
ヴェティアは少しだけ眉を上げた。
「何?」
「いえ、その」
「怒らないから言って」
言ってから、自分で少しおかしくなった。
以前の自分なら、「怒らないから」などと言われても、誰が信じただろう。
令嬢も一瞬迷ったあと、恐る恐る口を開いた。
「以前でしたら……セルメールさんがこれほど注目されることを、あまり快く思われなかったのではないかと」
「そうでしょうね」
「……え?」
「たぶん、そうだったと思うわ」
あっさり認めると、今度は相手が言葉を失った。
ヴェティアは食後の茶へ口をつける。
少なくとも、否定できることではない。
以前の自分なら、平民の少女が周囲から持て囃され、しかもロンドと関わる可能性があると知れば、不機嫌になっていた。
あるいは、もっと酷いことをしていたかもしれない。
「最近は随分と穏やかになられたと、皆が話しています」
「皆が?」
「はい」
嫌な予感がした。
「他には?」
「え?」
「私について、他に何を言っているの?」
「その……『大聖女様のお弟子になった影響ではないか』とか」
「なるほど」
「それから、『最近は随分おとなしい』とも」
「その程度なら、ずいぶん好意的ね」
令嬢が返事に困った顔をする。
ヴェティアは小さく笑った。
評価が変わったといっても、まだその程度なのだ。
過去の悪評が消えたわけではない。
アンナへ魔法を向けたことも、使用人へ横柄に振る舞っていたことも、癇癪を起こして周囲へ当たり散らしていたことも、誰かが勝手になかったことにしてくれるわけではない。
ただ、最近の自分を見て、以前とは少し違うのではないかと思う人間が出てきた。
それだけ。
(……それくらいでいいわ)
むしろ今のヴェティアには、その程度がちょうどよかった。
急に褒められても、きっと落ち着かない。
「それにしても」
令嬢が声を少し落とした。
「セルメールさんは、これから大変でしょうね」
「どうして?」
「聖女見習いになったのでしょう?」
「ええ」
「でしたら、もう学校の中だけの話ではありませんもの」
ヴェティアは手を止めた。
「……学校の中だけではない?」
「私も詳しいことは知りません。ただ、父が話しているのを聞いただけです」
令嬢は周囲を気にするように一度視線を動かした。
「王宮でも、セルメールさんの名前が出ているそうです」
「王宮で?」
「はい。平民出身で、光魔法が使えて。しかも大聖女様の弟子で、聖女見習いでしょう?」
「そうね」
「これからどういう立場になるのか、気にする方は多いのではないかと」
そこまで言うと、令嬢は少し慌てたように首を振った。
「もちろん、悪い意味とは限りません。珍しいことですから」
「分かっているわ」
ヴェティアはそう答えた。
けれど、胸の中に小さな引っかかりが残った。
王宮でも、ルミエの名が出ている。
考えてみれば、当然だった。
大聖女ミュゲは、三十年前に魔王を倒した英雄の一人。
そのミュゲが弟子として認めた光魔法の使い手で、さらに教会から正式に聖女見習いと認められた少女。
ただの学校内の話で終わるはずがない。
(私、少し軽く考えていたかもしれないわね)
ルミエが喜んでいること。
自分と同門になったこと。
そんな身近なことばかりを見ていた。
けれど、肩書というものは本人がどう思っているかとは関係なく、周囲の人間を動かすことがある。
それは、公爵令嬢として生まれたヴェティア自身が、よく知っているはずのことだった。
◇
放課後。
授業を終えたヴェティアが教室を出ようとしたところで、教師から声をかけられた。
「ブュッフェさん」
「はい?」
「あなたに、お届け物があります」
「私に?」
差し出されたのは、一通の封書だった。
上質な紙。
丁寧に封蝋されたそれを見ただけで、友人同士の気軽な手紙ではないことは分かる。
「先ほど、侯爵家の使いの者が学校へ届けに来ました」
「侯爵家?」
ヴェティアは封書を受け取った。
表に記された家名を見る。
その瞬間、指先が止まった。
ヴァルモン侯爵家。
「……」
「何か?」
「いいえ。ありがとうございます」
教師が去っていく。
ヴェティアは、その場でしばらく封書を見つめた。
レナード・ヴァルモン侯爵。
その名前を知らないはずがなかった。
ヴェティア・ブュッフェとしても、宮田茜として得た原作の記憶の中でも、何度も見た名前だった。
王権派。
王家の権威を守ることを重視し、教会が政治へ影響を強めることを警戒していた一派。
そして、原作でヴェティアがルミエを陥れるために手を組んだ相手。
(……来た)
胸の奥が、冷たくなる。
けれど、以前のように未来を知っているだけで怯えることはなかった。
ヴェティアは封を切る。
内容は簡潔だった。
近いうちに一度、話をしたい。
都合のよい日時を知らせてほしい。
表向きは、それだけ。
ルミエの名も、教会の名も書かれてはいない。
けれど、この時期にレナード・ヴァルモンが自分へ接触してきた。
原作を知るヴェティアにとって、偶然だと思うにはあまりにも出来すぎていた。
封書を持ったまま、ヴェティアは窓の外を見る。
校庭では、生徒たちがいつも通り帰り支度をしている。
少し離れた廊下では、教会から戻ってきたらしいルミエが、教師へ何かを尋ねながら歩いていた。
その姿は、いつもと何も変わらない。
けれど、もう彼女を取り巻く世界は変わり始めている。
そして、その変化へ反応した人間が、自分のところまでやって来た。
ヴェティアは、もう一度手紙へ目を落とした。
原作では、この男と自分は同じ側に立った。
今はまだ違う。
少なくとも、ヴェティア自身はそうするつもりだった。
封書を静かに閉じる。
(まずは、話を聞きましょう)
原作で何をした人間なのか。それだけで、今の相手まで決めつけるつもりはない。
何を考えているのか。
なぜ自分へ接触してきたのか。
それを聞いたうえで、自分で決める。
ヴェティアは教師へ返事を預けるため、封書を手にしたまま職員室へ向かった。




