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極悪令嬢だった私ですが、自分で作った罪は自分で刈り取ります  作者: Atelier Lotus文庫
第三章 二人の弟子

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第20話 二人の弟子

「私は、あの方を助けたから」


 ヴェティアは、ミュゲを見つめた。


「その褒美として、もう一度生まれることができたわけでは……ないのですか?」


 ほんの少し、願うような響きが混じった。


 もし、そうなのだとしたら。


 宮田茜として生きた最後の行いには、はっきりとした意味があったことになる。


 自分は完全に間違った人間ではなかったのだと、そう思えるかもしれない。


 けれど、ミュゲはすぐには答えなかった。


「分かりません」


 やがて返ってきたのは、先ほどと同じ言葉だった。


「……分からない」


「はい」


「でも、あの方との縁は強く残っていたのでしょう?」


「残っていました」


「でしたら――」


「その二つを、私が勝手に結びつけることはできません」


 穏やかな声だった。


 けれど、そこには迷いがなかった。


「あなたが老人を助けたこと。その方との縁が、今もあなたの魂へ強く残っていること。そして、宮田茜として死んだあなたが、ヴェティア・ブュッフェとして生きていること」


 ミュゲは一つずつ確かめるように言った。


「そこまでは、今ここにあるものとして受け止められます」


「……はい」


「ですが、その縁があったから生まれ変わったのだと断言することは、私にはできません」


 ヴェティアの中で、生まれかけていた期待が静かにしぼんでいく。


「褒美では……ないのですね」


「少なくとも、私はそう考えません」


 ミュゲは頷いた。


「あなたが一人の老人を助けたから、それまでにしてきたことが消えたわけではありません」


「……はい」


「宮田茜という人が、その一度の行いだけで善い人間になったわけでもありません」


 痛い。


 けれど、もう目を逸らさなかった。


「それから」


 ミュゲが続ける。


「もし、あの方が本当に聖者と呼ばれるような方だったとしても」


「はい」


「その方が特別だったから、あなたの行いまで特別なものへ変わるわけではありません」


 ヴェティアは瞬きをした。


「あなたは、その方が何者なのか知って助けたのですか?」


「……いいえ」


 知らなかった。


 ただ、車が迫っているのを見て危ないと思ったから、身体が動いた。


「あなたが助けようとしたのは、一人のお年寄りだった」


「はい」


「でしたら、それでよいのです」


 聖者だから助けたのではない。


 特別な魂を持っていたから、命の価値が増したわけでもない。


 あのときの宮田茜は、目の前で危険にさらされていた一人の人間を助けた。


 ただ、それだけだ。


「あなたがしたことには、それだけで意味があります」


 ミュゲの言葉に、ヴェティアは顔を上げた。


「けれど、その意味を使って、別のことまで帳消しにしてはいけません」


「……はい」


「善いことをした自分も。人を傷つけた自分も。どちらか片方だけが、本当のあなたなのではないでしょう」


 宮田茜として、家族へ怒鳴った。


 物を投げた。


 何もかも他人のせいにした。


 最後には、一人の老人を助けて死んだ。


 そしてヴェティアとして、使用人を見下し、癇癪を起こし、アンナへ魔法を向けた。


 その後で、傷つけた事実から逃げないと決めた。


「全部……私なんですね」


「私は、そう思います」


 ミュゲは静かに答えた。


 善い方だけを残すことも、悪い方だけを切り取って自分のすべてだと思うことも、きっと違う。


「では……」


 ヴェティアは自分の手を見る。


「私は、どうしてここにいるのでしょう」


「それは、私にも分かりません」


 今度は、その答えに驚かなかった。


「理由が、ないのでしょうか」


「それも分かりません」


「……何も分からないのですね」


「そのようですね」


 あまりにもあっさり認められて、ヴェティアは思わずミュゲを見た。


「大聖女様なのに?」


「大聖女だからといって、知らないものまで知っていることにはなりません」


 少しだけ笑っている。


 ヴェティアは力が抜けたように息を吐いた。


「何だか……ずるいです」


「そうでしょうか」


「ここまで話を聞いたら、最後には答えが出ると思うじゃないですか」


「申し訳ありません」


 そう言いながらも、ミュゲは困っているようには見えなかった。


「ですが、分からないことを分かったふりをする方が、私は怖いのです」


「半無我とは逆だからですか?」


「ええ」


 ミュゲは頷いた。


「自分の望む答えを、そこにある真実だと思い込んでしまいますから」


 ヴェティアは黙った。


 まさに、自分が今やろうとしていたことだった。


 老人を助けた。


 その縁が強く残っていた。


 自分は生まれ変わった。


 ならば、その善行への褒美だったに違いない。


 そう繋げれば、気持ちは楽になる。


 自分には価値があった。選ばれた理由があった。もう一度生きるに値する人間だった。


 そう思えるから。


(また、自分に都合のいい答えを探してた)


 ヴェティアは唇を結んだ。


「……分かりました」


「はい」


「なぜ生まれ変わったのかは、分からない」


「はい」


「老人との縁が関係しているのかも、分からない」


「その通りです」


「でも、私が今ここにいることは」


 ヴェティアは自分の手を握った。


「事実なんですね」


「ええ」


 ミュゲが微笑む。


「それだけは、少なくとも今の私たちには確かなことです」


 生きている。


 ヴェティア・ブュッフェとして。


 宮田茜の記憶も、それ以前からヴェティアとして生きてきた記憶も、どちらも持ったまま。


「……つまり」


 やがて、ヴェティアは小さく口を開いた。


「やり直しではないのですね」


 ミュゲは何も言わず、続きを待つ。


「宮田茜としての人生をなかったことにして。ヴェティアとして最初からやり直しているわけではない」


「私は、その捉え方が近いと思います」


「……そうですよね」


 転生したからといって、過去が消えるわけではない。


 善いことも、悪いことも、全部持ったまま。


「続きなんですね」


 ヴェティアは呟いた。


「過去を持ったまま」


 宮田茜として生きた自分も。


 ヴェティアとして生きてきた自分も。


「その続きで、今度は違うものを選べるかもしれない」


 ミュゲが、ほんの少しだけ微笑んだ。


「私は、その考え方が好きですよ」


 胸の中が急に軽くなったわけではない。


 むしろ重さは、そのまま残っている。


 けれど、その重さを無理に消さなくてもいいのかもしれない。


 過去は消せない。


 なら、抱えたまま次の一つを選ぶしかない。


「ただし」


 ミュゲの声が少しだけ柔らかくなる。


「一つ、覚えておいてください」


「はい」


「今こうして生きているあなたの命も、粗末にしてよいものではありません」


 ヴェティアの指先が僅かに動いた。


「過去を悔いることと、自分の命まで価値のないものとして扱うことは違います」


「……」


「罪へ向き合うことと、自分が苦しみ続けなければならないと思うことも、同じではありません」


 ヴェティアは答えられなかった。


 まだ、その違いがよく分からない。


 自分は人を傷つけた。


 なら、その分だけ償わなければならない。


 役に立たなければならない。


 同じことを繰り返さないよう、自分を律し続けなければならない。


 そう考える方が、今のヴェティアにはずっと分かりやすかった。


「悔いのないように生きてください」


 ミュゲは言った。


「何も間違えずに生きなさい、という意味ではありません」


「……はい」


「間違えたなら向き合う。傷つけたなら、何ができるのかを考える。迷ったなら、立ち止まる」


 そして。


「それでも、生きるのです」


 ヴェティアは、しばらく何も言えなかった。


「……はい」


 やがて、それだけ答えた。


 今は、ミュゲの言葉をすべて理解することはできなかった。


 ただ、もう一度生きているのなら、逃げずに自分のしたことへ向き合っていきたい。


 その思いだけは、以前よりも強く胸へ残った。


 ◇


 ヴェティアは、しばらく考え込んだ。


 アンナの顔。


 父。


 母。


 ロンド。


 ルミエ。


 そして、原作で自分が歩むはずだった未来。


 鮮血姫。


 あの未来を避けたい。


 それは今も変わらない。


 けれど、理由は少しずつ変わり始めていた。


 破滅したくないからだけではない。


 もう、誰かを傷つけ続ける人間にはなりたくない。


 自分が何をするべきか。


 何をしないべきか。


 誰かに正解をもらうのではなく、自分で選べるようになりたい。


「ミュゲ様」


「はい」


 ヴェティアは顔を上げた。


「それなら」


 少し迷って、それでも言う。


「どう生きればよいのかを、教えてください」


 ミュゲは、すぐに首を横へ振った。


「それはできません」


「……またですか?」


 思わず、少しだけ恨めしそうな声が出た。


 ミュゲが困ったように笑う。


「申し訳ありません」


「いえ……」


「ですが、本当に分からないのです」


「大聖女様でも?」


「大聖女でも、です」


 ミュゲは静かに答えた。


「私は、あなたの人生の答えを知りません」


 ヴェティアは黙る。


「あなたが誰と歩むべきなのか。何を選ぶべきなのか。どこまで誰かのために力を使うべきなのか。いつ立ち止まるべきなのか」


「……」


「それらを私が決めてしまえば」


 ミュゲは僅かに微笑んだ。


「それは、私の人生になってしまいます」


 ヴェティアは目を閉じた。


 そうだ。


 ミュゲは答えを与えない。


 因縁を観ることさえ、最初は嫌がった。


 半無我という技術も、光魔法も、特別なものだから価値があるとは考えていない。


 大切なのは、何ができるかではなく、何のために使うのか。


 そして、自分がどう生きるのか。


 なら、尋ね方が違った。


 また、自分は答えをもらおうとしていた。


「……では」


 ヴェティアは、言葉を選び直した。


「答えをください、ではありません」


 ミュゲの目を見る。


「自分で答えを選べるようになるまで」


 胸元へ手を添える。


「学ばせてください」


 ミュゲは何も言わない。


 ヴェティアは続けた。


「私は、自分の感情に任せて人を傷つけました」


 力があるから。


 自分が上だから。


 相手が悪いから。


 そうやって、自分の行為を正当化してきた。


「これからも、腹を立てることはあると思います」


 聖人になれるとは思わない。


「誰かを嫌いになることも。妬むことも。自分が正しいと言いたくなることもあると思います」


 それでも。


「そのときに、前と同じことをしないために」


 ヴェティアは頭を下げた。


「どう考えればよいのか。どう立ち止まればよいのか。自分のしたことへ、どう責任を負えばよいのか」


 答えをもらいたいのではない。


 学びたい。


「私を弟子にしてください」


 静寂が落ちる。


 ヴェティアは頭を下げたまま待った。


 少しして。


「顔を上げてください」


 言われるまま、顔を上げる。


 ミュゲは穏やかに微笑んでいた。


「分かりました」


「……え?」


「お引き受けしましょう」


 一瞬、意味が理解できなかった。


「本当に……?」


「あなたが頼んだのでしょう?」


「そうですけれど……」


「断られると思っていましたか?」


「少し」


 正直に答えると、ミュゲが笑った。


「でしたら、今日はよい意味で予想が外れましたね」


 ヴェティアの胸に、小さな温かさが生まれた。


 けれど、すぐに一つの疑問が浮かぶ。


「あの……私は、光魔法を使えませんが」


「存じています」


「聖女になるつもりもありません」


「それも結構です」


「では、本当に何を学ぶのですか?」


 ミュゲは少し考えた。


「まずは、力を持つ者としての節度でしょうか」


 ヴェティアは背筋を伸ばす。


「あなたは四つの属性を扱うことができる」


「はい」


「それは便利な力であると同時に、使い方を誤れば人を傷つける力でもあります」


 アンナ。


 あの日。


 自分が向けた魔法。


「そして、人を傷つけてしまった後に、どう向き合うのか」


 謝れば終わりではない。


 罰を受ければ消えるわけでもない。


「自分の判断へ責任を負うこと」


「はい」


「ですが」


 ミュゲの声が少しだけ強くなる。


「責任を負うことと、すべてを一人で背負うことは同じではありません」


 ヴェティアは目を瞬いた。


「……違うのですか?」


「違います」


 即答だった。


「自分が悪いと思うあまり、他人の考えや選択まで自分で決めてしまうことがあります」


「……」


「私のせいでこの人は不幸になる。だから私が離れなければならない。私が全部引き受ければいい」


 ヴェティアの胸が、わずかにざわつく。


 けれど、今の自分にはその言葉が何を意味するのか、まだ十分には分からなかった。


「それもまた、相手の人生へ自分の答えを押しつけることになり得ます」


「……難しいですね」


「ですから学ぶのです」


 ミュゲは笑った。


「私も、まだ学んでおります」


 ヴェティアは少し驚き、それからゆっくりと頷いた。


「はい」


 この人なら、答えを与えるのではなく、自分で答えを選べるようになるまで共に考えてくれる。


 そんな気がした。


 ◇


「えええええっ!?」


 数日後。


 ルミエの声が教室へ響いた。


 その日は授業を終えたあと、ミュゲから指導を受ける予定になっていたらしい。


 その待ち時間に、ヴェティアが何気なく弟子入りしたことを口にした結果だった。


 ヴェティアは思わず耳を押さえる。


「ちょっと。声が大きいわよ」


「だって!」


 ルミエが身を乗り出してくる。


「ヴェティア様も、ミュゲ様のお弟子になったんですか!?」


「そうよ」


「いつですか!?」


「少し前」


「聞いてません!」


「言ってないもの」


「どうしてですか!?」


「別に逐一報告する必要はないでしょう」


「あります!」


「ないわよ」


 ルミエは納得していない顔をした。


 けれど、次の瞬間にはぱっと笑った。


「でも、嬉しいです」


「そう?」


「はい!」


 そして少し考えてから、


「では、私たち同門ですね」


「……え?」


 ヴェティアが固まる。


「同じミュゲ様のお弟子なんですから」


「いや、待って」


「何ですか?」


「あなたは聖女見習いでしょう」


「はい」


「私は違うわよ」


「知っています」


「光魔法も使えないし」


「それも知っています」


「なら、同門って……」


「同じ先生から学んでいるなら、同門では?」


「そういうものなの?」


 ヴェティアは少し困った。


 何となく、ルミエと同じところへ並ぶのは違う気がしたのだ。


 彼女は、人を救う者として光魔法を学んでいる。


 正式な聖女見習いとして、その生き方も学ぼうとしている。


 一方、自分はもう同じように人を傷つけないために、自分の力や行いとどう向き合うのかを学ぼうとしている。


「二人は、同じではありませんよ」


 聞き覚えのある声に、二人同時に振り返った。


 指導のため教室を訪れたミュゲが、入口に立っている。


「ミュゲ様」


「大聖女様!」


「ルミエさん。その呼び方は、そろそろ変えませんか?」


「えっ」


「師匠でも先生でも、お好きな方で」


「で、では……先生?」


「はい」


 ルミエが少し照れた。


 ミュゲは二人のそばまで来る。


「同じ師から学ぶからといって、同じ道を歩く必要はありません」


 ヴェティアは、その言葉を聞く。


「ルミエさんは、人を救う者として。そして聖女見習いとして、どう生きるのかを学ぼうとしている」


 ルミエが少し緊張したように姿勢を正した。


「そしてヴェティアさんは」


 一瞬、ミュゲと目が合う。


 宮田茜のこと。


 半無我で因縁を観たこと。


 それらは二人だけの秘密だ。


「自分の力と、自分の行いへ、どう責任を負うのかを学ぼうとしている」


「……はい」


「目的が違えば、学ぶことも違います」


 ミュゲは微笑んだ。


「それでも、同じ師のもとで学んでいるのであれば」


 ルミエを見る。


「同門と呼んでもよいのでは?」


「ですよね!」


「……ミュゲ様まで」


 ヴェティアは小さくため息をついた。


 けれど、悪い気はしなかった。


「よろしくお願いしますね、ヴェティア様」


 ルミエが嬉しそうに言う。


「何をよろしくするのか分からないけれど」


「同門としてです」


「はいはい」


 そんなやり取りをしながら、ヴェティアはふと思う。


 原作では、自分とルミエは最後まで敵だった。


 ルミエは聖女となり、鮮血姫ヴェティアを倒す。


 そこで物語は終わる。


 けれど今、二人は同じ人を師と呼んでいる。


 同じ道ではない。


 同じ目的でもない。


 それでも、同じ師のもとからそれぞれの道を歩き始めている。


(私は……)


 破滅を避けるためだけに、未来を変えようとしていた。


 けれど、それだけでは足りない。


 未来が変わっても、自分が何も変わらなければ、また別の形で誰かを傷つけるかもしれない。


(自分で作った罪障は、自分で刈り取る)


 アンナを傷つけたことも、今まで人を見下してきたことも、消えない。


 なら、覚えたまま逃げずに、これからの一つ一つを選び直していくしかない。


 ミュゲは、


『悔いのないように生きてください』


 と言った。


 その本当の意味を、今のヴェティアはまだ分かっていない。


 ただ、過去を背負うことと、自分まで捨てることは同じではない。


 いつか、その違いを理解できる日が来るのだろうか。


 今はまだ、分からない。


 それでも。


 自分の作ったものから逃げずに生きる。


 その思いだけは、以前よりも強く胸の奥へ根を張り始めていた。


 ◇


 ルミエ・セルメールが聖女見習いとなったという話は、いつまでも学校の中だけに留まってはいなかった。


 平民出身。


 希少な光魔法の使い手。


 大聖女ミュゲ・ジプソフィルの弟子。


 そして、教会が正式に認めた聖女見習い。


 その肩書が増えたことで、ルミエを見る目もまた増えていった。


 学校を訪れる教会関係者。


 彼女の名を確認する貴族。


 家族から話を聞いたのだろう、生徒たちの間でも、


「王宮でも話題になっているらしい」


 そんな言葉が聞こえるようになった。


 ヴェティアは、その意味をまだ深く考えてはいなかった。


 ただ、原作を知っている自分には一つだけ分かる。


 ルミエ・セルメールという少女は、もうただの特待生ではない。


 そして、彼女の立場が変われば、それを歓迎しない者もまた必ず現れる。

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