第15話 光魔法は万能ではない
「まず、最初に申し上げておきます」
壇上に立つミュゲは、生徒たちをゆっくりと見渡した。
「私は、魔法を研究する学者ではありません」
講堂がわずかにざわめく。
大聖女本人から出た言葉としては、意外だったのだろう。ヴェティアも筆記具を持ったまま、わずかに眉を上げた。
ミュゲは気にした様子もなく続ける。
「光魔法について、多くのことを実践の中で学んできました。ですが、その仕組みを理論として明らかにしてきたのは、私ではありません」
一度、言葉を切る。
「私がこれからお話しする内容にも、友人である研究者たちから教わったものが多く含まれています。ですから今日は、学者としてではなく、一人の光魔法の使い手としてお話しします」
偉大な大聖女が、自分の功績ではないものを当然のように分けて語る。
その姿に、ヴェティアは昨日とはまた違う印象を抱いた。
(……本当に、自分を大きく見せようとしない人なのね)
宮田茜だった頃に遊んだゲームでは、ミュゲは「世界を救った大聖女」という肩書とともに登場した。
頼れる導き手。
光魔法の頂点。
ルミエを聖女への道へ導く人物。
そんな印象が強かった。
けれど、実際の本人は違う。
できることだけではなく、自分が何者ではないのかまで最初にはっきり言う。
「では、光魔法について始めましょう」
ミュゲが杖を手にした。
「皆さんは、光魔法と聞いて何を思い浮かべますか?」
何人かの生徒が手を挙げる。
「治癒です」
「浄化」
「結界もあります」
「魔物への攻撃にも使えると聞いたことがあります」
「そうですね」
ミュゲは穏やかに頷いた。
「どれも間違ってはいません。ですが、治癒と攻撃では、まるで別の魔法のように思えませんか?」
生徒たちが顔を見合わせる。
確かに、傷を治すことと魔物を倒すこと、結界を作ること。それらは一見すれば、まったく違う現象だ。
「光魔法には、根本となる一つの作用があります」
ミュゲは杖先を軽く掲げた。
「対象となる魔素を、火、水、風、土――四つの魔粒子へ完全に分解することです」
ヴェティアの筆が止まる。
火、水、風、土。
自分が扱う四つの属性。
「通常の属性魔法では、周囲の魔素から必要な属性の魔粒子を抽出し、それを媒体として、術者自身の魔力と魔法式によって現象を起こします」
ミュゲは続ける。
「一方、光魔法は少し違います。すでに存在している魔素へ直接働きかけ、その構造を崩し、四つの魔粒子へ分けるのです」
杖先に淡い光が灯った。
「皆さんが光魔法と呼んでいる、この光そのものが特別な属性なのではありません。現在まで、光属性の魔粒子というものは確認されていません」
小さなどよめきが起こる。
ルミエも目を丸くしていた。自分自身が使っている魔法であるにもかかわらず、知らなかったらしい。
「魔素を完全に分解すると、大きなエネルギーが生じます。光魔法では、その働きと生じた力を、目的に応じて利用します」
ミュゲは自分の手の甲を見せた。
そこには、いつ付いたものなのか、ごく浅い擦り傷が残っている。
「例えば、治癒の場合」
淡い光が傷を包んだ。
強く輝くわけではない。
温かな光が薄く広がり、やがて消える。
先ほどまで赤く残っていた傷は、ほとんど分からなくなっていた。
「傷ついた組織の働きを助け、再生を促します」
講堂から感嘆の声が上がる。
ルミエなど、食い入るようにミュゲの手元を見ていた。
次に運ばれてきたのは、実習用に用意された小さな容器だった。
中には、魔素の乱れを起こした素材が入っているらしい。離れた場所にいるヴェティアにも、その周辺だけ魔力の流れがわずかに不自然なのが分かった。
「こちらには、正常ではない状態の魔素が残っています」
ミュゲが杖を向ける。
「こうしたものに対しては、原因となっている魔素そのものへ働きかけます」
光が触れた。
ほんの数秒。
容器の周囲にあった不快な揺らぎが消えていく。
教師が状態を確認し、頷いた。
「正常です」
再び歓声が上がった。
「身体の中へ入り込んだ異常な魔素に対しても、基本的な考え方は同じです。ただし、身体の中で行う以上、外にあるものより遥かに慎重な制御が必要になります」
ミュゲは淡々と説明する。
「毒の場合も、光魔法で対処できるものがあります。魔素や魔法的な作用を伴う毒であれば、その働きを崩し、無害化できることがあります」
一人の生徒が手を挙げた。
「では、どんな毒でも治せるのですか?」
「いいえ」
即答だった。
生徒が目を瞬かせる。
「光魔法では対処できない毒もあります。それに、たとえ毒の働きを止められたとしても、すでに身体へ大きな損傷を与えてしまっていれば、それだけで助けられるとは限りません」
あまりにもあっさりと、大聖女は「できない」と言った。
ヴェティアは、その言葉を聞き逃さなかった。
「では、結界をお見せしましょう」
ミュゲが杖を前へ向ける。
淡い光が広がり、半透明の壁のようなものが壇上の一角を包んだ。
「光魔法の結界は、ただ硬い壁を作っているわけではありません」
教師の一人が、許可を得て小さな魔法を放つ。
弱い火球だった。
光の壁へ触れた瞬間、炎が崩れる。
爆ぜることも、跳ね返ることもない。
形そのものを保てなくなり、ほどけるように消えていった。
「外から触れた魔法を成り立たせている魔素の構造へ働きかけ、崩すことで侵入を防ぎます」
生徒たちのざわめきが大きくなる。
「すごい……」
ルミエが小さく呟いた。
「魔物への攻撃も、根本は同じです」
ミュゲが結界を解除する。
「魔素の影響を強く受けた魔物に対し、その体内にある異常な魔素へ急激に作用させる。それによって、大きな損傷を与えることができます」
治癒。
浄化。
結界。
攻撃。
まるで別々に見えていた魔法が、一つの原理へつながっていく。
ヴェティアはノートへ書き込みながら、ふと自分の四属性魔法を思い出した。
同じ炎でも、アンナへ向ければ人を傷つける。
実習場で暴走した炎を抑えるために使えば、人を守る。
魔法そのものが答えを決めるのではない。
使い方を決めるのは、人間だ。
「大聖女様」
別の生徒が手を挙げた。
「では……光魔法を極めれば、どんな怪我や病気でも治せるのでしょうか?」
講堂が静まる。
きっと、多くの者が聞きたかった質問なのだろう。
世界を救った大聖女。
稀代の光魔法使い。
そんな人物を目の前にすれば、何でも治せるのではないかと思ってしまう。
ミュゲはしばらくその生徒を見つめたあと、静かに首を横へ振った。
「いいえ」
また、迷いのない否定だった。
「失われた命を、私は戻すことができません」
誰も声を出さない。
「損傷した身体も、必ず元通りにできるわけではありません。失われた部分が大きければ、治癒できる範囲にも限界があります」
その声は穏やかだった。
だからこそ、言葉だけがまっすぐ届いた。
「魔素が原因ではないものにも、光魔法が通じないことがあります」
ミュゲは少し考えるように目を伏せる。
「例えば、呪いと呼ばれるものがありますね」
講堂の空気がわずかに揺れた。
「現在の研究では、呪いは魔素そのものによって生じる現象ではないと考えられています。人の強い思念や執着、恨みといったものが関係しているのではないか、と」
一人の生徒がおそるおそる尋ねる。
「大聖女様でも……解けないのですか?」
「はい」
ミュゲは笑わなかった。
ごく普通の事実を告げるように答えた。
「私にもできません」
ヴェティアの胸が、わずかにざわつく。
大聖女にも、できないことがある。
「光魔法は、決して万能ではありません」
ミュゲは生徒たちへ向き直った。
「治せない傷があります。取り除けない毒があります。救えない命があります。私自身、助けることのできなかった方を何人も知っています」
その言葉には、何かを誇る響きも、悲劇を見せつける響きもなかった。
ただ、知っているからこそ伝えている。
そんな重さだけがあった。
「ですから」
ミュゲは杖を静かに下ろした。
「光魔法を使えるから、人を救えるのではありません」
ルミエが顔を上げる。
「自分に何ができるのか。何ができないのか。それを知った上で、できる範囲の中で何をするのか」
ミュゲの視線が、生徒たちを巡る。
「それを考え続けることの方が、大切だと私は思っています」
隣で、ルミエがゆっくりと筆を動かした。
先ほどまでは、珍しい魔法の仕組みを一つでも多く覚えようと夢中で書き込んでいた。
今は、ミュゲの最後の言葉だけを、確かめるようにノートへ記している。
ヴェティアも自分の紙面へ視線を落とした。
たくさんの文字が並んでいる。
魔素。
分解。
四つの魔粒子。
治癒。
浄化。
結界。
限界。
けれど、胸に残っているのは魔法の理論ではなかった。
『私にもできません』
大聖女ミュゲは、それを隠さなかった。
(……大聖女にも、できないことがある)
当たり前なのかもしれない。
けれどヴェティアは今まで、どこかで期待していた。
世界を救った大聖女なら、普通の人間にはできないことができる。
自分にはどうしようもないものさえ、何とかしてくれるのではないか。
宮田茜として生きた過去。
ヴェティアとして積み重ねたこと。
アンナへ向けた魔法。
胸の奥にこびりついている、自分自身への嫌悪。
そうしたものを全部見せれば、大聖女なら何か特別な方法を知っているのではないか。
そう思っていた。
(……でも)
ミュゲは、救えないものがあると自分の口で言った。
ヴェティアの胸の中にあった期待へ、ほんの小さなひびが入る。
怖くないわけではなかった。
むしろ、少し怖かった。
もし、大聖女にもどうにもできないのなら。
自分は、どうすればいいのだろう。
「それでは」
ミュゲの声で、ヴェティアは顔を上げた。
「ここまでが、私からお話しする光魔法の基礎です」
講堂の空気が少し緩む。
ミュゲは生徒たちを見渡しながら、穏やかに微笑んだ。
「せっかく学校へ来たのですから、私ばかり魔法を使っていても仕方ありませんね」
何人かの生徒が顔を見合わせる。
隣では、ルミエの背筋がぴんと伸びていた。
ヴェティアはその横顔を見る。
憧れだけではない。
真剣だった。
自分と同じ魔法を使う人から、もっと学びたい。
そんな気持ちが表情から伝わってくる。
ヴェティアはもう一度、壇上のミュゲへ目を向けた。
何でもできる人ではない。
何でも救える人でもない。
だからこそ、あの人は何を見て、何を選んできたのだろう。
ヴェティアがミュゲへ向ける視線は、講義が始まる前とは少しだけ変わっていた。




