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極悪令嬢だった私ですが、自分で作った罪は自分で刈り取ります  作者: Atelier Lotus文庫
第三章 二人の弟子

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第14話 生きた伝説

「今日、本当にいらっしゃるんですよね?」


 朝から何度目か分からないルミエの言葉に、ヴェティアは教科書から顔を上げた。


「そのはずよ。昨日も先生がそう仰っていたでしょう」


「そうなんですけど……」


 ルミエは落ち着かない様子で、自分の机の上を見回す。


 教科書。


 ノート。


 筆記具。


 どれもきちんと揃っている。


 それなのに、何か忘れているような顔をして鞄の中まで確認し始めた。


「何か必要なものがあるの?」


「いえ。たぶん、ないです」


「だったら、どうして鞄まで確認しているのよ」


「落ち着かなくて……」


 素直に言われてしまった。


 ヴェティアは思わず小さく笑う。


「そんなに楽しみなのね」


「もちろんです!」


 ルミエは勢いよく顔を上げた。


「大聖女ミュゲ様ですよ!? 魔王ニコラスを倒した勇者一行のお一人で、今もたくさんの人を助けていらっしゃるんですよ!」


「ええ。知っているわ」


「それに、光魔法をあれほど使いこなせる方なんて……私、ずっとお話を聞いてみたかったんです」


 瞳が輝いている。


 少し前まで、上流階級の生徒ばかりの教室で肩を縮めていた少女とは思えないほどだった。


(本当に好きなのね)


 原作でも、ルミエは大聖女ミュゲへ強い憧れを抱いていた。


 希少な光魔法へ目覚めた自分が、その力をどう使えばいいのか。


 誰から学べばいいのか。


 そんな迷いを抱えていた彼女にとって、ミュゲとの出会いは大きな転機となる。


 やがてルミエはミュゲのもとで学び、聖女見習いとなる。


 宮田茜だった頃、何度もゲーム画面の向こうで見た物語だ。


 けれど今、目の前でそわそわしているルミエを見ていると、


『原作イベントだから』


 という言葉だけでは片付けられない気がした。


 この少女は、自分の意思でミュゲへ会いたがっている。


 自分の力について学びたいと思っている。


(……そうよね)


 ルミエはゲームの筋書きに従って動いているわけではない。


 そう分かり始めたばかりなのに、まだときどき忘れそうになる。


「ヴェティア様は、楽しみではないんですか?」


 不意に尋ねられた。


「え?」


「ミュゲ様にお会いするの」


「それは……」


 ヴェティアは言葉に詰まる。


 楽しみ。


 そう言ってしまうには、胸の中にある感情は少し重かった。


 もちろん、大聖女ミュゲには興味がある。


 原作ゲームにおいても重要な人物だった。


 魔王ニコラスを倒した勇者一行の一人。


 稀代の光魔法使い。


 世界中から尊敬される大聖女。


 けれど今のヴェティアがミュゲへ抱いているものは、憧れだけではない。


(この人なら……)


 前世のことを。


 転生のことを。


 自分がどうして宮田茜として死に、ヴェティア・ブュッフェとして生きているのか。


 何か知っているのではないか。


 それだけではない。


 宮田茜として生きた自分。


 ヴェティアとして生きてきた自分。


 アンナを傷つけたこと。


 この先、原作通りならさらに多くの人間を傷つけ、最後には鮮血姫と呼ばれること。


 そんな自分をどうすればいいのか。


 大聖女と呼ばれる人なら、何か答えを知っているのではないか。


「……ええ」


 ヴェティアは少し遅れて頷いた。


「私も、お会いしてみたいわ」


 それ以上は言わなかった。


 ルミエも、理由までは尋ねなかった。


「楽しみですね」


「あなたの場合、楽しみというより落ち着きなさい」


「はい……」


 そう答えながら、ルミエはまた机の上の筆記具を並べ直していた。


 本当に落ち着いていない。


 ヴェティアはもう一度、小さく笑った。


 ◇


 その日の学校は、いつもとは明らかに違っていた。


 廊下を歩く教師たちは、普段より衣服を整えている。


 教室では生徒たちが何度も窓の外を確認し、少しでも物音が聞こえれば、


「来た?」


 と誰かが振り返る。


 公爵家や侯爵家の子女でさえ、今日は妙にそわそわしていた。


 無理もない。


 大聖女ミュゲ・ジプソフィル。


 その名前は、現在のエーテリアに生きる者なら誰もが知っている。


 およそ三十年前、世界を長く苦しめてきた魔王ニコラスを討ち倒した勇者一行。


 ミュゲは、その一員だった。


 魔王討伐後も教会へ戻り、光魔法による治療や浄化、人々の救済へ力を尽くしてきた。


 魔王が倒れたからといって、世界の傷まで一夜で消えたわけではない。


 荒れた土地。


 魔素による異常。


 傷ついた人々。


 長く続いた混乱。


 そうしたものと向き合い続けてきた者の一人が、ミュゲだった。


 だからこそ、大聖女という称号は単に珍しい魔法を使える者へ与えられたものではない。


 教会の人間だけではなく、王侯貴族からも、一般の民からも、広く敬意を集めている。


(ゲームだと、設定として読んでいただけだったけど)


 実際にその人物が来るとなれば、教師まで緊張している理由がよく分かる。


 やがて、校内に小さなざわめきが走った。


「いらっしゃったって」


「本当に?」


「正門を通られたらしいぞ」


 その声は、瞬く間に広がっていった。


 ルミエがぴくりと反応する。


 椅子から立ち上がりかけて、途中で止まった。


 ヴェティアは横目で見る。


「走って見に行ったら?」


「い、行きませんよ!」


「そう」


「……でも、窓から少しくらいなら」


「行きたいのね」


「……はい」


 正直だった。


 けれど、その必要はなかった。


 ほどなくして教師が教室へ入り、生徒たちへ移動を告げたからだ。


 特別講義は、大人数を収容できる講堂で行われる。


 生徒たちは列を作り、講堂へ向かった。


 いつもなら移動中にも会話が絶えない。


 今日は妙に声が小さい。


 講堂へ入ったヴェティアは、自分たちの席へ座った。


 隣ではルミエが背筋を伸ばしている。


 伸ばしすぎて、少し硬い。


「息をしてる?」


「しています」


「そう」


「たぶん」


「たぶんなの?」


 ヴェティアが呆れると、ようやくルミエの肩から少しだけ力が抜けた。


 そのとき、講堂の空気が変わった。


 教師たちが一斉に入口へ目を向ける。


 ヴェティアもそちらを見た。


 一人の女性が、ゆっくりと講堂へ入ってくる。


 年齢は六十を越えているだろう。


 白さの混じった髪。


 長い年月を刻んだ顔。


 華美ではない衣服。


 歩き方にも、見せつけるようなところは何もない。


 それなのに、誰もが彼女を見た。


(……ミュゲ)


 ヴェティアの中で、ゲーム画面の中にいた人物と、目の前を歩く一人の女性が重なる。


 原作のミュゲは、もっと遠い存在に見えた。


 世界を救った大聖女。


 ルミエを導く賢者。


 物語の重要人物。


 そんな肩書ばかりが先に立っていた。


 けれど、実際のミュゲは静かだった。


 壇上へ上がった彼女へ、学校長をはじめとした教師たちが深く頭を下げる。


 生徒たちもそれに倣った。


 ルミエなど、勢い余って机へ額をぶつけそうなほどだった。


 ミュゲはそんな様子を見渡し、少し困ったように笑った。


「皆さん、どうぞお顔を上げてください」


 穏やかな声だった。


「今日は、皆さんから頭を下げていただくために参ったわけではありませんから」


 何人かの生徒が顔を上げる。


 それでも空気は硬い。


 ミュゲは一度、生徒たちを見回した。


「それに……これだけ見つめられますと、少々落ち着きませんね」


 講堂のあちこちから、小さな笑いが漏れた。


 張り詰めていた空気が、わずかに緩む。


 ミュゲも笑う。


「今日は大聖女を見物する日ではありません」


 一拍置いて。


「魔法を学ぶ日です」


 今度は、はっきりと笑いが起こった。


 ヴェティアも思わず口元を緩める。


 隣を見ると、ルミエは先ほどまで以上に目を輝かせていた。


(……なるほど)


 強いから。


 有名だから。


 大聖女だから。


 それだけではないのだろう。


 ルミエがこの人に憧れていた理由が、ほんの少し分かった気がした。


「私は魔法を研究する学者ではありません」


 ミュゲが話し始める。


「ですから今日は、難しい学説を皆さんへ講じるつもりはありません。私が長く光魔法を使う中で学んできたこと。そして、実際に何ができ、何ができないのか。それをお話しできればと思っています」


 生徒たちが静かになる。


 ルミエは慌てて筆記具を取った。


 ヴェティアもノートを開く。


 けれど、しばらくは文字を書けなかった。


 壇上に立つミュゲから目を離せなかったからだ。


 世界を救った英雄。


 大聖女。


 原作でルミエを導く人物。


 そういう人なのだと思っていた。


 けれど今は、それだけではない。


 ヴェティア自身が、この人の言葉を聞きたいと思っていた。


(この人なら……)


 胸の奥に沈めてきた問いが、ゆっくりと浮かび上がる。


(私のことを、何か知っているのだろうか)


 答えはまだ分からない。


 それでも、大聖女ミュゲ・ジプソフィルはもう、ゲームの中にいる遠い伝説の人物ではなかった。


 ヴェティアは静かに筆記具を握り直した。


 そして、ミュゲによる光魔法の特別講義が始まった。

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