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極悪令嬢だった私ですが、自分で作った罪は自分で刈り取ります  作者: Atelier Lotus
第二章 原作ヒロイン

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第12話 画面の向こうではなく

「ヴェティア様、少しよろしいでしょうか」


 授業が終わり、教本を鞄へしまっていたヴェティアは顔を上げた。


 机の横に立っていたのは、ルミエだった。


「ええ。どうしたの?」


「あの、こちらなのですが……」


 ルミエが開いた教本を差し出してくる。


 授業で扱った魔法式について、余白いっぱいに細かな書き込みがされていた。


「先生がおっしゃっていた意味は分かるのですが、この部分だけ、どうしてこうなるのか分からなくて」


「ここ?」


「はい」


 ヴェティアは教本を覗き込んだ。


「これは、その一つ前から考えた方が分かりやすいわ」


「一つ前ですか?」


「ええ。ここで先に魔力の流れを整えて、それから次へつなげるの。ここの式だけ見ても分かりにくいと思う」


 指先で順番を追ってやる。


 ルミエは真剣な顔で教本を見つめていたが、やがて小さく声を上げた。


「……あ」


「分かった?」


「はい! だから先生は、先にこちらを確認するようにおっしゃったんですね」


「そういうことね」


 ぱっと表情が明るくなる。


「ありがとうございます、ヴェティア様」


「これくらいなら、いつでも聞いて」


「はい!」


 元気よく返事をしたルミエが、ふと目を丸くした。


 ヴェティアも一拍遅れて、自分の言葉に気付く。


(……いつでも?)


 そこまで親切にするつもりだっただろうか。


 少し前まで、


『原作ヒロインとは必要以上に関わらない』


 そう決めていたはずなのに。


 今さら言い直すのも妙だった。


 何より、嬉しそうに教本を抱えるルミエを見ていると、


(……まあ、いいか)


 そんな気持ちになってしまう。


 魔法事故のあとから、こうした小さなやり取りが少しずつ増えていた。


 廊下ですれ違えば挨拶をする。


 席が近ければ授業について話す。


 休憩時間になると、ルミエが分からないことを尋ねに来ることもある。


 まだ友人と呼ぶほどではない。


 ヴェティア自身、自分から積極的に距離を縮めているつもりもなかった。


 それなのに、気付けばルミエと話すことが当たり前になり始めていた。


 ◇


「……難しい」


 昼休み。


 向かいから聞こえた小さな呟きに、ヴェティアは顔を上げた。


 食堂の一角。


 向かいに座るルミエが、ひどく真剣な顔をしている。


 料理に何か問題があるようには見えない。


「何が?」


「これです」


 ルミエが声を潜め、並べられた食器へ視線を落とした。


「どれから使うのか、時々分からなくなるんです」


「外側からよ」


「それは覚えました」


「なら問題ないでしょう?」


「途中で料理が変わると、不安になるんです。皆さんがあまりにも自然なので」


 言われてみれば、周囲の生徒たちは食器の順番など意識している様子もない。


 ヴェティアにとっても同じだった。


 幼い頃から当たり前のように教えられてきた作法だ。いちいち考える必要すらない。


「家では、こんなにたくさん並びませんでしたから」


「でしょうね」


「昨日も少し迷ってしまって……隣の方を見て真似しました」


「……見ていたの?」


「ばれないように」


 真面目な顔で答えるものだから、ヴェティアは堪えきれず小さく吹き出した。


「ふふっ」


「わ、笑わないでください」


「ごめんなさい。でも、そこまで深刻な顔をすることではないでしょう?」


「私には大問題です」


 ルミエが頬を膨らませる。


 そんな表情もするのか。


 ゲームの中では、食器の順番に困るルミエなど見たことがなかった。


 当然だ。


 物語に関係のない日常まで、画面へ映るわけではない。


「間違えたくらいで、大変なことにはならないわ」


「でも、せっかく学校へ通わせていただいているのに、礼儀も知らないと思われるのは嫌なんです」


 その言葉に、ヴェティアは少しだけ表情を改めた。


「……そう」


 ルミエなりに必死なのだ。


 平民でありながら、希少な光魔法を認められ、この学校へ通っている。


 周囲から特別扱いだと思われていることも、きっと本人は分かっている。


 だからこそ、与えられた機会へ自分なりに応えようとしているのだろう。


「では、分からないときは私に聞けばいいわ」


「本当ですか?」


「ええ。ただし、授業中に食器の質問をされても困るけれど」


「しません!」


「冗談よ」


「ヴェティア様、たまに真顔で冗談を言いますよね……」


 困ったように言いながらも、ルミエは笑っている。


 ヴェティアも自然と口元を緩めた。


 こんな時間を、ゲームの中では知らなかった。


 ◇


 光魔法の実習では、ルミエが思うように力を安定させられない日もあった。


「もう一度やってみます」


 教師の前で、ルミエが杖を構え直す。


 淡い光が生まれた。


 しかし一度大きく揺らぎ、今にも消えそうになる。


 ルミエは唇を結んだ。


 呼吸を整え、もう一度慎重に魔力を流す。


 今度は先ほどよりも安定した光が広がった。


「そこまでです」


「はい」


「最初より良くなっています。ただし、無理に維持しようとしないこと。あなた自身が疲れてしまえば意味がありません」


「分かりました。ありがとうございます」


 ルミエが丁寧に頭を下げる。


 席へ戻ってきた彼女は、少しだけ悔しそうだった。


「難しい?」


 ヴェティアが尋ねる。


「はい」


 ルミエは素直に頷いた。


「珍しい魔法だからと期待していただけるのは嬉しいんですけど……」


 一度、言葉を止める。


「期待されると、失敗してはいけないような気がしてしまって」


 ヴェティアは少し驚いた。


 そんなことを考えているとは知らなかった。


 ゲームの中では、希少な光魔法を持ったヒロインとして成長していくルミエばかりを見ていた。


 その裏で、期待されることそのものに怯える姿など、ほとんど描かれていなかった。


「怖いの?」


「少しだけ」


 ルミエは苦笑する。


「せっかく光魔法を使えるのに、私が上手くできなかったら申し訳ないなって」


「誰に?」


「先生や、学校の方や……支援してくださっている方にも」


「そんなに全部背負わなくてもいいと思うけれど」


「そうですよね」


 分かってはいるのだろう。


 それでも、簡単には割り切れないらしい。


 ルミエは手の中の杖を見つめた。


 しばらくして、


「でも、今できないなら、できるようになるしかありませんから」


 そう言って、教本を開く。


「少しずつ覚えます」


「……」


 その姿に、ヴェティアは妙な懐かしさを覚えた。


(そうだった)


 宮田茜は、こういうルミエが好きだった。


 できないことがある。


 怖いこともある。


 自分ではどうにもならない境遇だってある。


 それでも。


『平民だから仕方ない』


『周りが悪い』


 そう言って、そこで立ち止まらない。


 今の自分に何ができるのかを考え、一つずつ覚え、一つずつ進む。


 ゲームをしていた頃は、それを漠然と『ヒロインらしさ』だと思っていた。


 けれど、今なら分かる。


 ルミエは、ヒロインだから努力するのではない。


 迷って、怖がって、失敗して、それでももう一度やると自分で選んでいる。


(……ルミエだからなんだ)


 この少女自身が、そういう人なのだ。


 ◇


「大聖女様って、どんな方なのでしょう」


 別の日。


 授業の合間に、ルミエがぽつりと口にした。


「ミュゲ・ジプソフィル様?」


「はい」


「有名でしょう。魔王を討った勇者一行の一人で、今の大聖女なのだから」


「それは知っています」


 ルミエは少し照れたように笑う。


「でも、本に書かれていることではなくて。実際は、どんなふうに人とお話しされるのかなって」


「会ったことはないの?」


「もちろんありません」


「そう」


 ヴェティアは窓の外へ目を向けた。


 ミュゲ・ジプソフィル。


 原作でも重要な人物だ。


 ルミエの光魔法を見出し、弟子として導き、聖女見習いへの道を開く。


「会ってみたいの?」


「はい!」


 それまでより、ずっと明るい声だった。


「ずっと憧れているんです」


「大聖女になりたいの?」


 ルミエは少し考える。


「大聖女様のようになれたら、素敵だとは思います」


 けれど、すぐに首を横へ振った。


「でも、偉くなりたいわけではないです」


「では、どうして?」


「人を助けられるようになりたいんです」


 あまりにもまっすぐな答えだった。


「私の光魔法でできることがあるなら、ちゃんとできるようになりたくて」


「……そう」


「事故のとき、私は何もできませんでしたから」


 ルミエは少しだけ目を伏せた。


「あのときは、ヴェティア様に助けていただきました。でも、いつか私も、誰かが困っているときに助けられるようになりたいです」


 ヴェティアは答えず、ルミエの横顔を見つめた。


 原作では、この少女は本当にそうなる。


 ミュゲの弟子となり、聖女見習いとなり、多くの人を救う。


 最後には鮮血姫となったヴェティアを倒し、その功績によって正式な聖女となる。


 そして、その位を得たことで、第一王子ロンドの隣へ立てる身分になる。


 原作のヴェティアは、そんなルミエを見て、


『私からロンドを奪った』


 と憎んだ。


 けれど。


(違う)


 今なら、それを自分のこととして理解できる。


 ルミエが奪ったのではない。


 ヴェティアが、自分でロンドとの関係を壊していった。


 嫉妬して、疑って、周囲を傷つけ、そのたびに自分は悪くないと誰かへ責任を押しつけた。


 その一方で、ルミエはルミエの道を歩いた。


 努力して、人を助け、自分の力で功績を積み重ねた。


 その過程を全部なかったことにして、


『奪われた』


 その一言だけで片付ける。


 それでは、ルミエが何を選び、何を積み重ねてきたのか、何一つ見ていないのと同じだ。


(……昔の私は、そういう人間だった)


 宮田茜も、ヴェティアも。


 自分が上手くいかないとき、まず誰のせいなのかを探した。


 けれど今、目の前のルミエを見ていると、少なくともこの少女を、自分の未来を奪うために存在している誰かだとはもう思えなかった。


「ヴェティア様?」


 ルミエが心配そうに顔を覗き込んでくる。


「……何でもないわ」


 ヴェティアは小さく息を吐いた。


 原作ヒロイン。


 未来の聖女。


 ロンドと結ばれる少女。


 自分を倒す相手。


 そうした言葉よりも先に、浮かぶものがある。


 食器の順番に悩んでいた顔。


 魔法を失敗して悔しそうにしていた顔。


 少し上手くできれば、嬉しそうに笑った顔。


 そして今、誰かを助けられるようになりたいと話している真剣な表情。


 どれも、画面の向こうでは知らなかった。


 ルミエ・セルメールだ。


「ルミエ」


「はい?」


「あなた、大聖女様に会えるといいわね」


「はい!」


 ルミエは嬉しそうに笑った。


 その顔を見ていると、ヴェティアの口元も自然と緩む。


 少し離れた廊下を、ロンドが通りかかった。


 ふとこちらを見る。


 ヴェティアと目が合った。


 ロンドは何も言わなかった。


 ただ、ルミエと向かい合い自然に笑っているヴェティアを一瞬だけ見つめる。


 それから静かに視線を外し、そのまま歩いていった。


 ヴェティアも呼び止めなかった。


 今は、それでいい。


「ヴェティア様」


「何?」


「また今度、食堂の作法を教えていただいてもいいですか?」


「ええ。構わないわ」


「ありがとうございます」


 ルミエが嬉しそうに頷く。


 ヴェティアも、今度はためらわなかった。


 少し前まで、この少女とは関わらない方がいいと思っていた。


 未来を変えないために。


 自分が傷つかないために。


 ロンドとの関係を守るために。


 けれど今は、ルミエと話す時間を嫌ではないと思っている。


 努力している姿を、好ましいと思う。


 笑っていれば、自分まで少し楽しい。


(……私、この子のことが好きなんだ)


 もちろん、まだ恋でも深い友情でもない。


 一人の人間として、この少女を知ることが楽しい。


 それだけだった。


 けれど、ヴェティアにとってはそれで十分に大きな変化だった。


 未来がどうなるかは、まだ分からない。


 ルミエが誰を好きになるのかも、自分とロンドがどうなるのかも、ゲームで知っている通りになるのかさえ、もう分からない。


 それでも。


 まだ起きていない未来だけを見て、今ここにいる少女を決めつける必要はない。


 ヴェティアは、嬉しそうに教本を開くルミエを見る。


 画面の向こうにいたヒロインではなく、自分とは違う人生を迷いながらも自分で選んで歩いている、ルミエ・セルメールという一人の少女を。

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