第11話 お礼を言いたくて
魔法事故の翌日。
教室へ入ったヴェティアは、昨日までとは少し違う視線を感じた。
「ブュッフェ公爵令嬢……」
「昨日の、すごかったよな」
「四属性をあんなふうに切り替えて……」
以前なら、聞こえてくるのは悪評ばかりだった。
使用人へ魔法を向けた。
気に入らない相手には容赦がない。
第一王子の婚約者だから誰も逆らえない。
そんな話。
今日は、そこへ別のものが混じっている。
「助けてもらった子もいるんでしょう?」
「でも、使用人を傷つけたのも本当なんでしょう?」
「……まあ、それはそうだけど」
ヴェティアは何も言わず、自分の席へ向かった。
(そうなるよね)
昨日、人を助けた。
だからといって、それ以前の自分が消えるわけではない。
感心する者もいる。
見直す者もいる。
それでも過去の噂を忘れない者もいる。
どれも不自然ではなかった。
(これくらいの方が普通よ)
一日で全員から好かれるようなことになったら、そちらの方が怖い。
ヴェティアは鞄から教本を取り出した。
そのとき。
「ヴェティア」
聞き慣れた声に顔を上げる。
ロンドが立っていた。
「ロンド様。おはようございます」
「おはよう」
彼はヴェティアの向かい側へ立つと、少しだけ周囲を見た。
「昨日の事故について、教師からも報告を聞いたよ」
「……はい」
やはりその話か。
ヴェティアは背筋を伸ばした。
「君がかなり動いたそうだね」
「先生方もいらっしゃいました。私一人で止めたわけではありません」
「それは聞いている」
ロンドはすぐに答えた。
「だから、君だけの功績だと言うつもりもない」
「はい」
「ただ、一つ聞きたかった」
そこで言葉を切る。
「君なら、逃げることもできたはずだ」
ヴェティアは瞬きをした。
「危険な状態だった。自分まで巻き込まれる可能性もあった。それでも、どうして前へ出た?」
責められているわけではない。
褒められているようにも聞こえない。
本当に、理由を知りたいのだろう。
王宮で言われたことを思い出す。
『これから見る』
ロンドは、まだ見ている。
自分が何をするのか。
なぜそうしたのか。
ヴェティアは少し考えた。
格好のいい答えなら、いくらでも作れる気がした。
公爵令嬢として当然のことをした。
婚約者として恥じない振る舞いをしたかった。
困っている者を助けるのは当然だから。
けれど、どれもしっくりこない。
「……助けられると思ったからです」
「それだけ?」
「はい」
昨日、火が迫っていた。
ルミエがいた。
ほかの生徒たちもいた。
自分なら何かできると思った。
だから動いた。
「正直、怖かったです」
ヴェティアは続けた。
「また魔法を制御できなかったらどうしよう、とも思いました。でも……私にできることがあるのに、何もしないで逃げたら、きっと後悔すると思ったので」
ロンドは黙って聞いていた。
「それだけです」
「……そう」
短い返事。
すぐに笑うこともない。
信じた、と言うこともない。
それでも、以前のような冷たい視線ではなかった。
「怪我がなくてよかった」
「ありがとうございます」
ロンドは一度頷き、自分の席へ向かった。
それだけの会話だった。
けれど、ヴェティアは教本へ視線を落としながら、少しだけ肩の力を抜いた。
(信用してください、とは言わなかった)
言う必要もない。
見ていると言ったのはロンドだ。
ならば、自分は見られて困らない行動を続けるしかない。
◇
昼休み。
ヴェティアは一人で廊下を歩いていた。
食事を終え、次の授業まで少し時間がある。
昨日の事故で使用できなくなった実習場の代わりに、しばらく別の場所が使われるらしい。
掲示を確認して教室へ戻ろうとしたところで、
「あの……!」
背後から声をかけられた。
振り返る。
「……ルミエ?」
そこにいた少女を見て、思わず名前が口から出た。
ルミエ・セルメール。
昨日、助けた少女。
そして。
(どうしてここに)
ルミエは少し息を切らしていた。
探していたのだろうか。
「ヴェティア様」
「ええ」
「あの、少しだけ、お時間よろしいでしょうか」
「……私に?」
「はい」
ヴェティアは戸惑った。
昨日、話しかけようとしていたのは分かっている。
けれど教師に呼ばれ、そのまま終わった。
だから今日、改めて来たのだろう。
理由まで考えれば、おそらく一つしかない。
「どうぞ」
そう答えると、ルミエは小さく頭を下げた。
「昨日は、本当にありがとうございました」
やっぱり。
「私だけではなくて、ほかの人まで助けてくださって……」
「お礼なら必要ありません」
思ったより早く言葉が出た。
ルミエが顔を上げる。
「あなた一人を助けたわけではないもの」
「……はい」
「近くにいた人たちが危なかったから動いただけよ。あなたがそこにいなかったとしても、同じことをしたと思う」
たぶん。
いや、そうでありたい。
ヴェティアはそう考えた。
ルミエだけを特別に助けたのではない。
原作ヒロインだったからでもない。
その場にいた人たちが危険だったから動いた。
それ以上の意味を持たせる必要はない。
「ですから、気にしなくても――」
「それでも」
ルミエが言った。
ヴェティアは口を閉じる。
「それでも、私は助けていただきました」
「……」
「私だけではないことは分かっています。でも、私が助けていただいたことも、本当ですから」
ルミエは真っ直ぐこちらを見ていた。
遠慮がちではある。
それでも、引く様子はない。
「昨日、あの子を起こそうとしている間に、火が近づいてきて……正直、すごく怖かったです」
指先が、制服の裾を少し握る。
「土の壁ができたとき、助かったって思いました」
「……そう」
「煙がなくなって、前が見えるようになって。火も消してくださって」
「先生方もいました」
「はい。でも、ヴェティア様もいらっしゃいました」
まただ。
何を言っても、ルミエはその事実だけは譲らない。
ヴェティアは困った。
責められることなら、まだ分かる。
嫌われることも。
警戒されることも。
自分がしてきたことを考えれば、受け入れられる。
けれど、純粋な感謝を向けられると、どうすればいいのか分からない。
(だって、この子は)
原作では、自分が傷つける相手だ。
何度も嫌がらせをして、追い詰め、最後には殺そうとする。
その結果、ルミエに倒される。
そんな少女から、
「ありがとうございました」
と言われている。
「……私のこと、怖くないの?」
気付けば尋ねていた。
ルミエの目が少し大きくなる。
「え?」
「私の噂くらい、聞いているでしょう」
使用人へ魔法を向けたこと。
これまでの振る舞い。
学校へ入ってからだって、陰口は耳に入っている。
ルミエが知らないとは思えない。
「……聞いています」
少し迷ってから、ルミエは答えた。
やはり。
「なら――」
「だから、最初は少し怖かったです」
ヴェティアは言葉を止めた。
ルミエは気まずそうに視線を下げる。
「すみません」
「謝ることではないわ」
本当に。
怖がられる理由を作ったのは自分だ。
「でも、昨日……」
ルミエが再び顔を上げた。
「私が聞いていたヴェティア様と、目の前にいたヴェティア様が、うまく同じ人だと思えなくて」
「……同じ人よ」
その言葉は、思ったより静かに出た。
「どちらも私です」
ルミエが黙る。
ヴェティアも、それ以上は説明しなかった。
過去世のことなど言えるはずもない。
けれど、アンナを傷つけた自分と昨日人を助けた自分を、都合よく別人にするつもりもなかった。
「そう……なんですね」
ルミエはすぐには笑わなかった。
考えるように一度目を伏せる。
それから、
「でも、昨日助けてくださったことも、ヴェティア様がしたことなんですよね」
「……ええ」
「なら、やっぱりお礼を言わせてください」
ルミエは深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
ヴェティアは何も返せなかった。
胸の奥が、妙に落ち着かない。
やがてルミエが頭を上げる。
「あの……それだけです。急に呼び止めてしまって、すみませんでした」
「いいえ」
「では、失礼します」
ルミエはもう一度小さく会釈し、廊下を歩いていく。
ヴェティアはその背中を見送った。
(これで終わり)
お礼を言われた。
受け取った。
それだけ。
これ以上関わる必要はない。
そのはずだった。
けれど。
『最初は少し怖かったです』
『でも、昨日助けてくださったことも、ヴェティア様がしたことなんですよね』
その言葉が残った。
ルミエは、自分の噂を知らなかったわけではない。
昨日の一件だけで全部忘れたわけでもない。
怖かったことを怖かったまま認めたうえで、それでも自分で見たものについて礼を言いに来た。
(……こういう子だった)
画面の中でも、人の言葉だけで全部を決めつけず、自分で確かめようとする少女だった。
だから宮田茜は、ルミエが好きだった。
ヴェティアは小さく息を吐き、教室へ戻ろうとした。
数歩進んだところで、
「ヴェティア様!」
「……?」
また呼ばれた。
振り返る。
少し離れたところで、ルミエがこちらを見ている。
「あの」
「何?」
ルミエは一瞬ためらってから、少しだけ笑った。
「また、お話ししてもよろしいでしょうか」
「……」
お礼だけではなかったらしい。
ヴェティアはしばらく答えられなかった。
距離を取る。
そう決めたはずなのに。
「……学校で会ったときくらいなら」
ようやくそう返すと、
「はい!」
ルミエの顔が明るくなる。
ヴェティアは思わず視線を逸らした。
(……これ、距離を取れてるのかな)
たぶん、あまり取れていない。
そんな気がした。




