第9話 四つの属性と一つの光
「魔法は、威力が高ければ優れているというものではありません」
教師の声が、広い実習場へよく通った。
ナルシス王立魔法学校へ入学してから、初めての本格的な魔法実技。
校舎の裏手に設けられた実習場には、新入生たちがそれぞれ杖を手に集まっていた。
ヴェティアも自分の杖を握り、教師の説明へ耳を傾ける。
「皆さんも知っている通り、現在もっとも広く使われているのは、火、水、風、土の四属性魔法です。ただし、人によって扱いやすい属性は異なります」
教師が、実習用に用意された標的を示した。
火を当てる標的。
水を受ける容器。
風で揺らす布。
土を移動させるための区画。
「今日は基礎的な魔法を使い、自分がどの属性を、どの程度安定して扱えるのか確認します。適性の低い属性を無理に扱う必要はありません。自分の得意なものを知ることも、魔術師に必要な能力です」
生徒たちが頷く。
属性適性。
この世界で魔法を学ぶ者なら、幼い頃から何度も耳にする言葉だ。
火を得意とする者。
水を得意とする者。
二つ以上の属性を扱える者。
複数の属性へ適性を持つ者自体は、それほど珍しくない。
だが、四つすべてを高い水準で扱える者となれば、話は変わる。
そして、ヴェティア・ブュッフェは、その少ない側だった。
(……四つとも使える)
それも、かなり高い水準で。
以前なら、それを誇っていただろう。
公爵家の娘。
第一王子ロンドの婚約者。
そして、四属性すべてを扱える魔法の天才。
自分は特別なのだと、疑いもしなかった。
けれど今は、四つの属性を思い浮かべれば、別の光景までついてくる。
炎。
水。
風。
土。
怒りに引きずられた魔法が一斉に乱れ、床へ吹き飛ばされたアンナ。
自分を見ることすら怖がっていた少女。
ヴェティアは無意識に杖を握り直した。
(ちゃんと使わないと)
使えることと、使っていいことは違う。
そのことを、もう知っている。
「それから、杖についても確認しておきましょう」
教師が自身の杖を軽く掲げた。
「杖が魔法そのものを生み出すわけではありません。杖を持たなくても魔法は使えます。ただ、魔力を安定して流し、狙った場所へ力を向ける助けになります」
何人かの生徒が、手にしている杖へ視線を落とす。
「優れた道具を持っていても、使う者が制御できなければ意味はありません。今日は大きな魔法を見せる必要もありません」
教師は生徒たちを見回した。
「正確に。安定して。指示された範囲だけを使ってください」
その言葉が、ヴェティアの胸へ残った。
大きさではない。
正確さ。
安定。
そして、制御。
(……そうよね)
力があることを見せつけるために、魔法を使う必要などない。
必要なだけ、必要な場所へ。
それができて初めて、使えると言えるのだろう。
やがて実習が始まった。
一人ずつ前へ出て、教師の指示した魔法を発動する。
小さな炎を灯す者。
水球を作る者。
風で布を揺らす者。
土の塊を持ち上げる者。
得意不得意は分かりやすかった。
一つの属性なら安定して扱える者。
二つを器用に切り替える者。
思ったような威力が出ず、悔しそうに戻ってくる者もいる。
教師はそのたびに、
「最初から完璧である必要はありません」
と淡々と告げていた。
そして。
「次。ヴェティア・ブュッフェ」
「はい」
名前を呼ばれた瞬間、実習場の空気がわずかに変わった。
ヴェティアは立ち上がる。
視線が集まっている。
公爵令嬢だからだけではない。
彼女が四属性すべてを扱えることは、すでに知られていた。
前へ出る。
「まずは火属性から」
「はい」
杖を標的へ向け、魔力を流す。
以前なら、周囲を驚かせるため、必要以上の炎を出していたかもしれない。
自分はこれほど優れているのだと示すために。
けれど今日は違う。
教師が求めているのは、大きさではない。
必要な量を、指定された場所へ。
それだけだ。
杖先へ小さな炎が灯る。
炎は標的の中央へ飛び、狙った位置で消えた。
「次、水」
水球を作る。
形を崩さないまま、用意された容器へ静かに落とした。
「風」
杖先から風が流れる。
指定された布だけが揺れ、隣の標的はほとんど動かなかった。
「最後に土」
地面の一部が持ち上がる。
小さな土塊となり、示された印の中へゆっくり移動した。
「そこまで」
教師の声がかかる。
ヴェティアは杖を下ろした。
派手なことは何もしていない。
それでも四属性を一度も乱すことなく切り替え、すべて教師の指示した範囲へ収めていた。
「安定していますね」
「ありがとうございます」
「四属性とも、この精度で扱えるのは大きな長所です。特に切り替えが速い。ただし、扱える属性が多いほど制御するものも増えます。今後も一つ一つを雑に扱わないように」
「はい」
教師の言葉は、それだけだった。
褒められた。
昔なら、当然だと思っただろう。
けれど今は、少し違う。
嬉しくないわけではない。
幼い頃から積み重ねてきた魔法の技術まで、罪のように扱う必要はないとも思う。
ただ、周囲から上がった小さな拍手の中に、硬い表情をしている生徒もいた。
「四つとも……」
「すごいな」
「でも、あれだけ使えるなら……」
途中で声が小さくなる。
続きを聞かなくても分かった。
――それほどの魔法を、使用人へ向けたのか。
そう思われても仕方がない。
ヴェティアは顔を伏せなかった。
その視線ごと受け止めて、自分の場所へ戻る。
(才能があるから、許されるわけじゃない)
むしろ、大きな力を持っているなら、その分だけ自分が何へ使うのかを考えなければならない。
席へ戻ろうとしたところで、ふとルミエと目が合った。
「……」
ルミエは驚いたようにヴェティアを見ている。
怯えているのではない。
ただ純粋に、今の魔法へ驚いているようだった。
視線が合うと、ルミエは慌てたように小さく頭を下げた。
ヴェティアも軽く会釈を返す。
(そんなに驚くことかな)
そう思ってから、自分で気付いた。
四属性を続けて、それもほとんど乱さず使う者など、そう多くない。
自分にとって当たり前だっただけだ。
(……そういうところも、今まで考えてなかったな)
できて当然。
自分はできるのだから、周囲もそれを認めて当然。
そう思っていた。
けれど、自分にとっての当たり前が、他の人にとっても同じとは限らない。
ヴェティアは席へ戻った。
◇
何人かの実習が続いたあと。
「次。ルミエ・セルメール」
「は、はい!」
少し上ずった返事が響いた。
ヴェティアは無意識に顔を上げる。
ルミエが立ち上がった。
杖を両手で握り、前へ出る。
肩に力が入っている。
緊張しているのが遠目にも分かった。
周囲も今度は、ヴェティアのときとは別の意味でざわつき始める。
「光魔法……」
「本当に使えるの?」
「見たことないわ」
無理もない。
光魔法は非常に珍しい。
傷の治療。
毒や異物の浄化。
魔素の侵入を防ぐ結界。
そうした用途へ使われる特殊な魔法として知られている。
けれど、適性を持つ者そのものが極端に少ない。
術者によって感覚も大きく異なるため、火、水、風、土の四属性ほど実践的な教育法も整っていなかった。
だからこそ、平民であるルミエが王立魔法学校へ特別な支援を受けてまで迎えられたのだ。
「緊張しなくていいですよ」
教師が声をかける。
「今日は、今できる範囲を確認するだけです」
「はい」
ルミエは深く息を吸った。
教師が用意した実習用の標的には、ごく微量の魔素が留められている。
そこへ光魔法を作用させ、どの程度変化を起こせるか。
今日は、それだけを確認する課題だった。
ルミエは杖を構える。
標的へ向け、ゆっくりと魔力を流していく。
けれど、何も起こらなかった。
「……」
ルミエの眉が寄る。
周囲が少しざわついた。
それでも教師は急かさない。
「焦らなくて構いません。もう一度、呼吸を整えて」
「はい」
ルミエは頷いた。
一度、目を閉じる。
息を吸い、ゆっくり吐く。
それからもう一度、杖先へ意識を集中した。
やがて、淡い光が灯る。
「……!」
実習場が静かになった。
炎ではない。
水でもない。
風でも、土でもない。
柔らかな光が、杖先からゆっくりと広がっていく。
眩しいほど強いものではなかった。
宮田茜としてゲームで見ていたような、敵を一撃で打ち倒す光でもない。
むしろ、まだ少し揺れている。
形も完全には安定していない。
ルミエの額には、うっすらと汗が浮かんでいた。
それでも、光が標的へ触れる。
留められていた魔素に、少しずつ変化が起きていく。
目で見えるほど派手なものではない。
だが、教師が設置した確認用の魔道具が反応し、標的に残っている魔素の状態が変化したことを示した。
「……成功です」
「本当ですか?」
教師の言葉に、ルミエがぱっと顔を上げた。
「ええ。きちんと作用しています。ただ、少し力を入れすぎていますね」
「はい」
「光魔法は、四属性魔法と同じ感覚で扱えるとは限りません。無理に周囲の術者へ合わせようとせず、まずは自分がどう魔力を動かしているのか覚えていきましょう」
「分かりました」
ルミエは真剣に頷く。
「ありがとうございます!」
嬉しそうだった。
本当に、ただ自分の魔法が成功したことが嬉しいのだろう。
周囲から拍手が起こった。
純粋に感心している者。
珍しいものを見た驚きで目を輝かせる者。
以前、ルミエへの待遇へ不満を口にしていた生徒の中にも、黙って光を見つめている者がいる。
ヴェティアも、ルミエから目を離せなかった。
(これが……)
ゲームでは何度も見た。
ルミエの光魔法。
人を癒やし、魔素を浄化し、多くの人間を助ける力。
そして最後には、鮮血姫となったヴェティアへ向けられる光。
けれど今、自分の目の前で魔法を使っているルミエは、まだ完成された聖女ではない。
一度目は発動すらできなかった。
二度目でようやく光を生み出し、教師から注意を受ければ、一つも聞き逃さないよう真剣に頷いている。
その姿を見ているうちに、ヴェティアの中で、
『原作ヒロインの光魔法』
という言葉が、少しだけ遠くなった。
(この子の魔法なんだ)
ルミエがこれから練習し、失敗し、少しずつ覚えていく力。
ゲームだから強くなるのではない。
主人公だから、何でもできるようになるのでもない。
この少女が努力して、自分の力にしていくのだ。
実習を終えたルミエが、自分の席へ戻ってくる。
嬉しいのだろう。
杖を胸元へ大事そうに抱えていた。
(この子も、最初から何でもできたわけじゃないんだ)
これまで学校で見てきた姿と同じだった。
分からないことは調べる。
できなければ覚える。
失敗すれば、もう一度やる。
それは魔法だって変わらない。
やがて、ルミエがこちらを見た。
また、目が合う。
今度はルミエも、すぐには視線を逸らさなかった。
ちらりと、ヴェティアが握っている杖へ目を向ける。
そして少しだけ、感心したような、何か聞きたそうな、それでいてまだ声をかけていいのか迷っているような顔をした。
ヴェティアには、その意味までは分からない。
けれど、入学初日に向けられた警戒だけの目とは、もう違っていた。
教師が次の生徒を呼ぶ。
ルミエも前へ向き直った。
ヴェティアは、自分の手元を見る。
そこには一本の杖。
火。
水。
風。
土。
四つとも扱える。
その事実は、アンナを傷つけたときから何も変わっていない。
今日、教師の指示通りに四つの属性を扱えた今も、同じ力だ。
なら、違うのは。
(……使う方なのかもしれない)
魔法そのものに、善いも悪いもない。
誰へ向けるのか。
何のために使うのか。
どこまで使うのか。
それを決めるのは、自分だ。
まだ、答えと呼べるほど確かなものではない。
それでもヴェティアは初めて、自分が持つ四つの属性を、いつか鮮血姫になるための力ではなく、これから何へ使うのか自分自身で選んでいける力として見始めていた。




