第五十八話 二股
頭髪が一部分だけ消失した男の体を柔らかい塊に押し付けてみたのだが、何も変化は起きなかった。
柔らかい塊が男を包み込もうとしたので手助けをしてあげようと押し込んでみたところ、私の力に反発して男の体を押し返してきたのだ。そんなモノには負けないようにと強い意志を持って再び押し込んでみたのだが、男の体を拒む柔らかい塊の力はどんどんと強くなっていった。
このままでは何も変わることがないと思った私は壁にやったことと同じことを柔らかい塊に行ってみようと手を近付けたところ、今まで慣性に従うような動きしかしていなかった塊が犬のような形になって私が進んでいた方向へと物凄い勢いで走り去っていった。
なぜか頭髪が少なくなった男を背中に乗せて一緒にいなくなったのだけれど、誰だか知らない人だったこともあって私は気にしていなかった。
さっきまで柔らかい塊がいなくなったことで新しい道が現れたのでそっち方向に進もうとすると、奥の方からゆっくりとした動きではあったがゆらゆらと揺れながら近づいてくる塊がいくつか目に入った。
ちょっとだけ面倒だなと感じていた私ではあったが、気晴らしにちょっとしたイタズラでもしてあげようと思って待ち構えることにした。
しかし、そんな私の思いもむなしく、塊たちは私の近くに来ることは無く壁の中へと消えていった。
どうせまた壁の一部が柔らかくなっているんだろうと思って塊たちが消えたところに触れながらゆっくりと探ってみたのだが、私が触っているところはおかしなところもなく普通の壁でしかなかった。
昔からずっとこうして存在していると思われるような風化して変形している部分や苔が生えているところもあった。いくら探ってもおかしなところは見つからないし、壁を壊そうとしてもすぐに戻ってしまう。
何か特別なモノでも隠してあるのかと思って見まわしてみたのだが、どこを見ても不審な個所は一切なくどこにでもあるようなありふれた通路でしかないと結論付けることにした。
そもそも、ここに来た目的はお宝さがしなのではなくまさ先輩を探すことなのだ。当初の目的を見誤ってはいけないと思い、私は今できることを確実にこなすためにも前へと進むことにした。
先ほどとは違って少し歩くと突き当りが見えてきた。正面には壁しか見えないが、左右にはさらに道が伸びているように見える。
右に行くか左に行くかこの場所から決めることなど出来なかったので近くまで少しだけ早足になってしまったが、突き当りに到着して左右を見てみると対照的な景色がそこには存在していた。
通路から向かって右を見るとそこには中が見えないようにフィルムの張られているガラスの扉があり、上部にセンサーが付いていることから自動ドアだと思われる。今立っている距離ではセンサーに触れていないため扉は開いたりしないのだが、ランプがついていることから自動ドア自体は生きているように見える。
通路から見て左にはどう見ても綺麗とは思えないボロボロに朽ち果てているものの重厚感のある立派な木の扉が設置されていた。さすがにこちらは自動ドアではないと思うのだが、取っ手の部分だけはつやつやとした光沢を見せているのでまだ使用しているのだと思われる。
どちらも怪しく見えているので迷ってしまったが、少しでも楽が出来そうという理由で自動ドアの方を選んでそちらに進むことにした。
一歩二歩と自動ドアに近付いている私だったが、センサーは上手く反応してくれずに扉の前まで進んでみたもののしまったままであった。上を見てもランプがついているのでセンサーは反応しているはずなのにと思っていろいろと調べてみたのだが、壁にも床にもセンサーらしきものは無かったのでどうすることも出来ない。
故障してしまっているのかと思って手で無理やり開けてみようとしてみたのだが、扉の下の部分にある鍵がかかっているために動くことは無かった。
鍵をかけるのなら電源も切っておけよと思ったけれど、これ以上こっちにこだわっても仕方がないので反対側にある木の扉を開けてみることにした。
目の前に立つと改めて感じることが出来る重厚感に気圧されてしまったが、こちらの扉は鍵がかかっていなかったようで簡単に引いて開けることが出来た。
扉を開けて最初に感じたのは、コーヒーの香ばしい香りだった。
「いらっしゃい。お好きな席にどうぞ」
ちょっとだけ戸惑った私は扉に何か書いていないか確認したのだが、もちろん何も書かれていない。
こちらを不思議そうに見ている初老の男性マスターは私の事をジッと見つめてから、先ほどのセリフをもう一度繰り返した。
何となくカウンターに座るのは気まずく感じてしまったので壁際のボックス席に座ったのだが、卓上には小さなメニューが一つ置いてあるだけでそれ以外には何も置いていなかった。
メニュー自体は喫茶店ならどこにでもあるような物であったが、料金は全て無料と書かれていた。
「あの、このメニューに書いてある無料ってなんでですか?」
「何でって、ここは商売じゃなくて趣味でやってるからだよ。趣味でやっていることだから味は期待しないでもらいたいね」
私の事は見ずに食器をふきながらマスターは答えてくれた。
他に客はいないものの、なぜこのような場所でこんなことをしているのか知りたいと思ったのだけれど、メニューに書いてあるケーキセットが気になってしまった私は罠かもしれないと思いつつもそれを頼んでいたのだ。




