第8話 夢じゃない:オラクル:キーアイテム
第8話です。
異世界で迎えた初めての朝。
携太は、手元に残されたスマホの機能を確かめていきます。
カーテンを閉めずに寝たせいで、朝の光が携太のまぶたに容赦なく降り注いでいた。
あまりの眩しさに、携太はぼんやりとした意識のまま目を開ける。
見慣れない天井。
木の匂い。
少し硬いベッド。
窓の外から聞こえてくる、聞き慣れない人々の声。
数秒だけ、頭が追いつかなかった。
「……夢じゃなかったんだな」
携太は小さく呟き、ゆっくりと上体を起こした。
まず確かめたのは、ズボンのポケットだった。
指先に、硬く平たい感触が触れる。
取り出したのは、スマホだった。
「……ある」
昨夜、目の前に浮かび上がった黒い板。
バルトとエレナには、ただの黒い板にしか見えず、音も聞こえていないようだった。
だが、携太には見慣れたスマホそのものに見える。
電源ボタンを押すと、画面が明るくなった。
ロック画面には、見慣れた時刻表示が浮かんでいる。
(この時間、こっちでも合ってるのか……?)
ふと、そんな疑問が湧いた。
壁に目をやると、古びたアナログ時計が掛かっていた。
その針と、ロック画面の数字を見比べる。
――一致している。
「まんま使えるのか……?」
携太は画面を指でなぞり、ロックを解除した。
画面上部の電波は、一本も立っていない。
「そりゃそうか」
次に目に留まったのは、バッテリーの表示だった。
残量を示すはずの場所に、ただ『∞』とだけ表示されている。
「無限……? まあ、そうじゃなきゃ明日にはただの板だもんな」
自分がこの世界で生きていくために与えられた、何かしらの救済措置。
そう考えるしかなかった。
肝心のアプリは、と画面に目を向けた携太は眉をひそめる。
「……アプリが、ほとんど消えてる」
見慣れていたアプリの大半が、画面から姿を消していた。
残っているのは、時計とカメラ、それに写真フォルダくらい。
(初期化したスマホみたいだな……)
その中に、見覚えのないアイコンが二つ混じっていた。
一つは、四角い箱のような図柄。
アプリ名は「アイテムボックス」。
(異世界ものでよく見るやつだ)
もう一つは、白い羽根のような図柄。
アプリ名は「オラクル」とある。
(オラクル……? 想像もつかないな)
携太は少し迷ってから、まず「オラクル」のアイコンに触れた。
ピコン。
軽い音とともにアプリが起動する。
『おはようございます、携太さん』
「なっ……!?」
突然、スマホから声が響いた。
落ち着いた、性別の曖昧な声だった。
携太は思わず部屋の中を見回す。
もちろん、誰もいない。
声は、確かに手の中の端末から聞こえていた。
画面の中央には、白い羽根のイラストがふわりと浮かび上がっている。
「……アプリの音声か?」
『はい。わたしは総合補助システム――オラクルと申します』
「総合補助……?」
聞き慣れない言葉に、携太は眉を寄せた。
「具体的には、何ができるんだ?」
『現在、携太さんが利用できるのは基本補助機能です』
『質問への簡易回答、対象物の簡易鑑定、情報や会話の記録などを行えます』
「質問に回答してくれるって、何でも知ってるのか?」
『いいえ。わたしは万能ではありません』
あまりにも迷いのない即答だった。
『参照できるのは、これまでに蓄積された歴史、文化、地理、生物、素材、魔法体系などの情報が中心です』
『情報が存在しないものや、記録が不足しているものについては、正確に回答できない場合があります』
「何でも答える神様じゃなくて、でかい図書館みたいなものか」
『概ね、その認識で問題ありません』
携太は画面に浮かぶ白い羽根を見つめた。
何も分からない異世界で、相談できる相手がいる。
それだけでも、かなり心強かった。
「それで、簡易鑑定っていうのは?」
『鑑定したい対象を撮影してください。撮影された画像をもとに、対象を解析します』
「写真を撮るだけでいいのか?」
『一枚の画像に複数の対象が写っている場合は、鑑定する対象を指定していただく必要があります』
携太はオラクルを閉じ、カメラを起動した。
試しに、机や椅子、壁掛け時計まで入るように部屋を広く写す。
パシャ。
撮影を終えた携太は、画面の左下にあるフォルダマークへ指を触れた。
写真フォルダが開く。
しかし、表示されたのは今撮影した一枚だけだった。
仕事で使っていた写真も、日常の何気ない写真も、元の世界で保存していたものは一枚も残っていない。
「……やっぱり、全部消えてるのか」
少しだけ胸に引っかかるものを感じながら、携太は今撮影した部屋の写真を開いた。
「オラクル。この画像で鑑定できるのか?」
『可能です。鑑定する対象を指定してください』
画面の中に、細い白色の枠がいくつか浮かび上がった。
机。
その上に置かれたコップ。
椅子。
壁掛け時計。
画像の中で認識された物が、それぞれ白い枠で囲まれている。
「じゃあ……コップ」
携太が口にすると、コップを囲んでいた白い枠だけが淡く光った。
写真の下に、鑑定結果が表示される。
『木製のコップ。やや古いものの、使用に問題はありません。品質ランクはFです』
同じ内容が、オラクルの声でも読み上げられた。
携太は机の上のコップを手に取り、底や側面を確かめてみる。
細かな傷はあるが、割れや欠けはない。
「……ちゃんと鑑定してくれたんだな」
続けて、机や椅子、壁掛け時計も指定してみる。
対象を指定するたびに、写真の下へ新しい鑑定結果が追加されていった。
返ってくる答えはどれも短かったが、材質や状態まできちんと示されている。
「……すごいな、これ」
携太は、画面下に並んだ鑑定結果を眺めた。
そこで、不意に指が止まる。
たった一枚の写真で、すでに四つも鑑定している。
こんな便利な機能が、本当に何の代償もなく使えるのだろうか。
元の世界なら、無料をうたうサービスにも広告や課金、個人情報の収集くらいはあった。
まして、ここは魔法の存在する異世界だ。
金を取られるのか。
魔力を消費しているのか。
それとも、自分でも気づかない何かを削られているのか。
「……なあ、オラクル」
『はい』
「今さらなんだけど、この鑑定……使うたびに何か減ってたりしないよな?」
『簡易鑑定を含むオラクルの基本補助機能に、金銭や魔力などの消費はありません』
携太は思わず息を吐いた。
「先に聞けばよかった……」
『質問されませんでしたので』
「そういうところは機械的なんだな」
『わたしは補助システムです』
「はいはい、そうでしたね。じゃあ、スマホの機能は全部、何も消費しないのか?」
『いいえ。他のアプリや機能によっては、魔力や金銭などを消費するものがあります』
「やっぱりあるのか」
『新しい機能や、まだ使用したことのない機能について確認していただければ、その都度回答します』
「使う前に聞けってことだな」
『はい』
携太は、画面に並ぶ鑑定結果を見つめた。
今回は何も減っていなかった。
だが、今後も同じとは限らない。
(新しい機能を使う時は、先にオラクルへ確認する)
それを、自分なりのルールとして覚えておくことにした。
『次からは、アプリを開かなくても「オラクル」と呼びかけていただければお答えします』
「呼びかけるって、声に出すのか?」
『心の中で思い浮かべるだけでも構いません。スマホを取り出している間は端末から、収納中は携太さんの意識へ直接お伝えします』
「頭の中で会話できるってことか」
『はい。現在、わたしの音声を認識できるのは携太さんだけです』
異世界へ来た時点で今さらではあるが、常識の置き場所が分からなくなってくる。
試しに、声を出さずに呼びかけてみた。
(オラクル。聞こえるか?)
『はい。問題なく聞こえています』
返事は耳から聞こえたというより、頭の中へ直接言葉が届いたような感覚だった。
(これなら、人前でも相談はできそうだな)
『はい。ただし、簡易鑑定には対象をカメラで撮影する必要があります』
「そこはスマホを出さないと駄目なのか」
『現時点では、その認識で問題ありません』
相談するだけなら、声にも出さず、端末も取り出さずに済む。
だが、鑑定となれば話は別だ。
この世界では見慣れないはずのスマホを、人前で対象へ向ける必要がある。
(便利だけど、外で使うには目立つな……)
剣もない。
魔法も使えない。
今の携太にとって、一番の頼りはこのスマホだった。
なくすわけにはいかない。
人に見られるのも避けたい。
(オラクル。このスマホを、誰にも見られず、なくさずに持ち歩く方法はないか)
『でしたら、異空間への収納をおすすめします』
「異空間……?」
思わず声に出た。
『はい。このスマホは、わたし――オラクルと同じく、携太さんにのみ干渉できる特別な品です。専用の異空間へ収納したり、取り出したりできます』
『また、武器や道具といった一般的な物品は、別のアプリ「アイテムボックス」へ収納できます。スマホの異空間とは別ですが、性質はよく似ています』
「どうやって使うんだ?」
『対象をしまうイメージで念じてください』
「……やってみるか」
携太は、手元のコップで試すことにした。
(コップをしまう)
そう念じた瞬間、コップがすうっと消えた。
「……消えた」
『対象物を出すと念じてください』
(コップを出す)
次の瞬間、コップが現れた。
だが、携太が想像していた位置より少し高かった。
「うわっ」
慌てて手を伸ばしたが間に合わず、コップはベッドの上にぽすりと落ちる。
幸い、割れることはなかった。
「危なかった……」
携太はコップを拾い上げる。
『出現位置のイメージが不十分だった可能性があります』
「場所まで、ちゃんと想像しないと駄目なのか」
何度か試して、感覚を掴む必要がありそうだった。
「今のが、アイテムボックスの出し入れか」
次は本命だ。
携太はスマホを握り直した。
(しまう)
手の中のスマホが、音もなくシュンと消えた。
ついさっきまであった重みが、嘘のように失われる。
だが、オラクルの声は変わらず頭の中に届いていた。
(しまっても話せるのか……)
『はい』
(じゃあ、出すのも同じ?)
『「スマホを出す」と念じてください』
(普通に考えれば、「スマホを出す」でいいんだろうけど……)
(こういうの、一度くらいはやってみたいよな)
携太は念のため、扉の向こうに人の気配がないことを確かめた。
誰にも見られていないと分かると、ベッドの上で軽く姿勢を整える。
そして、何かを召喚するように片手を高く掲げ、心の中で叫んだ。
(出でよ! スマホ!!)
次の瞬間、手のひらにシュンとスマホが現れた。
「……ちゃんと出るんだ」
携太は掲げていた手を、何事もなかったように静かに下ろした。
使い方は分かった。
あとは運用だ。
スマホは専用の異空間へ。
予備の金や、今後持ち歩く道具はアイテムボックスへ。
ただし、人前で何もない場所から物を出し入れすれば怪しまれる。
巾着袋に手を入れ、その中で出し入れしているように見せれば、多少はごまかせそうだった。
携太は、昨日もらった金のうち、当面使いそうな硬貨を数枚だけ巾着袋に残し、残りをアイテムボックスへしまった。
腰に下げた巾着は、財布であると同時に、アイテムボックスを隠すためのカモフラージュになる。
「……これで、少しは動きやすくなるか」
なくす心配はない。
人に見られる危険も、かなり減った。
(外ではできるだけ出さない。使うなら人目のない場所だ)
そう決めて、携太は立ち上がった。
ふわりと、香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
階下から漂ってくるのは、焼きたてのパンのような香り。
それに混じって、何かを煮込んだような温かな匂いもする。
「……あ」
途端に、自分がしばらくまともな食事を取っていないことを思い出した。
昨日は慌ただしく街を歩き回り、気が張っていたせいで空腹を忘れていたのだ。
だが、匂いに気づいた瞬間、腹が正直に反応した。
ぐぅぅぅ……。
「腹減ったな……」
携太は苦笑する。
異世界に召喚されても、腹は減る。
そんな当たり前のことが、なぜだか少しだけ可笑しく、同時に安心できた。
携太は軽く伸びをする。
仕事はまだない。
知り合いもほとんどいない。
この先どうなるのかも分からない。
それでも、今日から本格的な異世界生活が始まる。
携太は部屋の扉を開けた。
朝食の香りに誘われるように、異世界で迎えた最初の朝へと踏み出した。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
携太は、スマホに残された機能を少しずつ確認していきます。
オラクル、簡易鑑定、アイテムボックス。
便利ではありますが、人前で使うには注意も必要なようです。
次回は、安眠亭での朝から始まります。
続きも読んでいただけると嬉しいです。




