第10話 クレア:ギルド選択:俺だけのカード
ギルド会館の扉を押し開けた瞬間、携太の耳にいくつもの声や音が飛び込んできた。
笑い声。
話し声。
紙をめくる音。
装備の金属が擦れ合う音。
どこかで、重い荷物が床に下ろされる鈍い音。
外から見た時点で大きな建物だとは思っていたが、中に入ると、その印象はさらに強くなった。
高い天井。
磨かれた石の床。
広間の奥中央を大きく占めているのは、剣や槍を提げた者たちが行き交う一角だった。壁際には赤い依頼書を貼った大きな掲示板が並び、その前に何人もの人だかりができている。冒険者ギルドだ。
右手側には、荷物を抱えた商人風の者たちが、カウンターの前に何人も並んでいた。そちらの壁際には、金色の依頼書を貼った掲示板が並んでいる。商人ギルドだ。
左手側には、工具箱を提げた職人風の男たちが、何かの部品を見せ合いながら話し込んでいた。そちらの壁際には、青い依頼書を貼った掲示板が掛けられている。職人ギルドだろう。
そして、入ってすぐの正面。人の流れが交わるあたりに、島のように独立した受付台が置かれていた。壁で仕切られてはおらず、腰ほどの高さのカウンターがあるだけだ。台の正面には「総合受付」と刻まれている。低いカウンター越しに、その奥で賑わう冒険者ギルドの様子まで、まっすぐ見通せた。
「……ザ・ギルドって感じだな」
思わず、そんな言葉が口から漏れた。
物語の中で何度も見た場所。
けれど、実際にその中へ立ってみると、想像していたよりもずっと騒がしく、ずっと現実的だった。
誰もが何かの用事を持ってここに来ている。
仕事を探す者。
依頼を出す者。
物を売る者。
何かの相談をする者。
その流れの中で、携太だけが明らかに初心者のように、足を止めてキョロキョロと周囲を見ている。
バルトが受付で事情を話せばいいと言っていたことを思い出し、独立した総合受付へと向かった。
カウンターの向こうに一人座っていた女性が、携太に気づいて立ち上がる。
栗色の髪を後ろでまとめたポニーテール。
青いベストに白いシャツという、制服らしき服装。
やわらかな笑みを浮かべた、印象のいい女性だった。
「こんにちは。ギルド会館へようこそ」
よく通る、人懐っこい声だった。
「あ、こんにちは」
「本日はご依頼でしょうか? それとも、何かのご相談ですか?」
「あの、新規登録をお願いしたいんですが」
携太がそう言うと、女性は少しだけ目を細めた。
ほんの一瞬。
だが、携太を見る目が変わった気がした。
身なり、手荷物、腰の巾着袋。
そして、もう若くはない自分の顔。
その視線が、順に自分を検めていくのが分かった。
(この歳で今さらの新規登録だ。事情を勘繰られても仕方ない)
だが、女性はすぐに、先ほどと同じ笑顔へ戻った。
「新規登録ですね。かしこまりました。受付担当のクレアです」
「五次携太です」
「ケイタさんですね。では、まず登録先の確認から行います」
「登録先、ですか?」
「はい。この会館では、冒険者ギルド、商人ギルド、職人ギルドの三つを扱っています。普通は、ご自身の仕事に合わせてどれか一つを登録される方が多いですね」
クレアはそう言って、カウンターの下から三枚の用紙を取り出した。
赤い印が押された用紙。
金色の印が押された用紙。
青い印が押された用紙。
それぞれ、入口の看板にあった紋章と同じものが描かれている。
「赤が冒険者、金が商人、青が職人ギルドです」
「なるほど……」
携太は頷いたものの、すぐには答えられなかった。
冒険者。
商人。
職人。
どれも異世界らしい響きではある。
だが、今の自分がどれに当てはまるのかと言われると、まるで分からない。
剣も使えない。
魔法も使えない。
商売の経験もない。
この世界で使える技術も持ち合わせていない。
携太が迷っていると、クレアはにこりと笑った。
「ケイタさんの場合、まだ何をするのか決まってないとお見受けします」
「……お見通しですね」
「色々な方を見ていますので」
クレアは悪戯っぽく笑った。
その言い方に、携太は返す言葉を失った。
ただ明るいだけの受付嬢ではないらしい。
人当たりは柔らかいけれど、こちらの様子はしっかりと観察している。
(普通じゃないって思われてるな、これ)
そんな携太に、クレアは軽い調子で続けた。
「でしたら、最初から選択肢を狭めない方がいいと思いますよ。どうせなら、三つまとめて登録しちゃいましょう」
「三つとも、ですか?」
思わず聞き返す。
「はい。手続きは一度で済みますし、登録料も同額です。後から一つずつ追加すると、そのたびに登録料がかかってしまいますから」
「まとめて登録した方が得、ってことですね」
「もちろん、三つ登録される方は多くありません。維持するには、それぞれ半年に一度、自分のランクに合った依頼を一件こなしていただく必要がありますから」
「半年に一回なら、なんとかなりそうですね」
少し考えてから、続ける。
「もし期限を過ぎたら、その登録が消えるだけ……ってことですか? お金を払えば、また登録できると」
「はい。その場合は、あえて依頼を受けずに登録を失効させる方もいます。必要になれば、また登録料を払って再登録できますから。カードには各ギルドの更新期限が記録されますので、それを見ればすぐに確認できます」
クレアは慣れた様子で説明しながら、三枚の用紙をきれいに並べた。
案外、クレアの提案は的外れではなかった。
物を鑑定することはできる。
アイテムボックスもある。
それに、オラクルという存在もいる。
戦うのは無理でも、採取や運搬、商いの手伝いくらいなら、この先できることもあるかもしれない。
自分がどの道に進むのか、今はまだ分からないのだ。
なら、今ここで選択肢を一つに絞る必要はないのかもしれない。
「分かりました。三つまとめてお願いします」
「はい。では、そのように手続きしますね」
クレアは満足そうに頷き、三枚の用紙を携太の前へ滑らせた。
「では、この三枚に記入をお願いします。それぞれにお名前と年齢は必須で、可能であれば出身地を。三ギルド分ですので、同じ内容を三枚に書いていただくことになります」
「出身地は必須ではないんですね」
「はい。故郷を失った方や、事情があって出身地を明かせない方もいますから。無理に埋めなくても大丈夫です」
その言葉に、携太は少しだけほっとした。
出身地に東京とは書けないからだ。
携太は羽ペンを手に取り、一枚目――赤い印の押された用紙に向かった。
名前の欄に、五次携太と書く。
年齢の欄に、三十と書く。
そこで、手が止まった。
書けている。
読めている。
目の前の用紙に並んでいる文字は、どう見ても日本語ではない。
それなのに、意味だけは自然と頭に入ってくる。
そして、自分の手も迷わず文字を書いている。
「……え?」
「どうかされました?」
「あ、いえ。何でもありません」
携太は慌てて首を振った。
今さらだ。
会話が通じている時点で、もっと早く気づくべきだったのかもしれない。
安眠亭の看板も、総合受付の文字も、今まで何の違和感もなく読んでいた。
けれど、実際に自分の手で文字を書いて、ようやくその異常さがはっきりした。
言葉が分かる。
文字も読める。
書くこともできる。
便利ではあるが、冷静に考えるとかなり怖い。
(これも召喚の影響なのか……?)
携太はそう思いながら、出身地の欄を空欄で三枚書き終えた。
クレアは三枚の用紙を受け取ると、漏れがないかを確認し、空欄になっていた出身地の欄に、さらさらと「不明」と書き加えていく。
その手つきは早い。
毎日、何人もの手続きを行なっているのだろう。
「では、登録料をいただきますね。2,000イエンになります」
(……あ、そういうことか)
バルトが言っていた「宿代より安い」を、てっきりひと月分――75,000イエンより安い、という意味だと思い込んでいた。
だが違う。実際は一泊分――3,000イエンより安い、という意味だったらしい。
道理で、あんな軽い調子で言っていたわけだ。
携太は巾着袋から小銀貨を二枚取り出し、カウンターに置く。
「確かに頂戴しました」
クレアは硬貨を確認すると、満足そうに頷いた。
「では、次に本人認証登録を行います」
「本人認証?」
「はい。ギルドカードを他人が使えないようにするための手続きです」
クレアはカウンターの下から、大人の頭ほどもある透明な玉と、薄い金属製のカードを一枚取り出し、カウンターに並べて置いた。
カードは掌に収まるほどの大きさで、表面には何も書かれていない、鈍い銀色の板だった。
玉の中には何も入っていないように見える。
だが、光を受けるたびに、表面の奥で淡い虹色が揺らめいていた。
「両手の指先を、こちらの認証玉に触れてください」
「両手ですか?」
「はい。十本すべてです」
携太は言われた通り、両手を広げて透明な玉に触れた。
ひやりとした感触が指先に伝わる。
次の瞬間、玉の内側に細い光の筋が走った。
十本の指先から、淡い光が吸い込まれていく。
水面に波紋が広がるように、光が玉の中心へ集まり、そこから細い糸のようにカウンターに置かれたカードに伸びていった。
「うわ……」
「動かさないでくださいね。すぐ終わります」
クレアの声は落ち着いていた。
この光景も、彼女にとっては見慣れたものなのだろう。
やがて、玉の中に集まっていた光がふっと消えた。
「はい。大丈夫です」
携太はそっと手を離す。
指先に痛みはない。
ただ、妙な緊張だけが残っていた。
「今ので何を登録したんですか?」
「手の紋です」
「手の紋……」
「同じ手の紋を持つ人はいませんから。登録者本人かどうかを確認するには、一番確実なんです」
指紋のようなものか。
携太はそう理解した。
この世界にも、本人確認の仕組みはちゃんとあるらしい。
いや、元の世界よりも魔法じみている分、ある意味ではこちらの方が厳重なのかもしれない。
クレアは認証玉をしまうと、光の注がれたカードを手に取った。
だが、その手の中では、カードはただの鈍い銀色の板のまま。表面には何も浮かんでいない。
それが、これから自分の身分証になるらしい。
「こちらがギルドカードです」
クレアが、その銀色のカードを携太の前へ差し出す。
「このカードは、登録者本人が持った時だけ情報が浮かびます。他の方が持っても、何も表示されません」
「本人だけ……」
「はい。盗まれても悪用されにくいようになっています。もちろん、紛失した場合は再発行手続きが必要になりますので、なくさないようにしてくださいね」
「分かりました」
携太はカードを受け取った。
その瞬間、何もなかった表面に淡い光が走る。
細い文字が、ゆっくりと浮かび上がった。
五次携太。
年齢、三十。
出身地、不明。
-登録ギルド-
- 冒険者ギルド ランクF
- 商人ギルド ランクF
- 職人ギルド ランクF
それぞれの横には、小さな紋章が浮かんでいた。
赤い炎を背にした剣と盾。
金色の天秤と硬貨。
青い歯車。
さらにその横には更新期限という欄がある。
どれも、まだ空欄だった。
「本当に出た……」
携太が思わず呟く。
(さっきクレアさんが持っていた時は、何も浮かんでいなかった。俺が持った途端に、これか)
なんとも分かりやすい仕組みだ。
「ギルドカードは身分証ですから。信用が大事なんです」
クレアが得意げに笑った。
「これで、登録は完了です」
クレアの声で、携太は顔を上げる。
「今日から依頼を受けることもできます。ただし、最初は無理をしないでくださいね。登録したばかりの方は、一番下のFランクから始まります」
「やっぱり、そうですよね。カードにも同じFランクと出ていましたし、まずはそこからですね」
「はい。まず、いきなり危険な依頼は受けられません。依頼にはギルドごとの種類と、必要ランクが決められています」
クレアはカウンター越しに、広間のあちこちを指し示した。
「では次に、依頼の見方を説明しますね。初めての方は、まず自分のランクに合った簡単な依頼から選ぶのがおすすめです」
「依頼……」
携太はクレアが示した先へ目を向けた。
中央の冒険者ギルドには、赤い依頼書を貼った掲示板。
右手の商人ギルドには、金色の掲示板。
左手の職人ギルドには、青い掲示板。
それぞれの一角に、ギルドの色で分けられた依頼書が、隙間なく貼られている。
遠目では内容までは分からない。
それでも、そこにいくつもの仕事が並んでいることだけは分かった。
この世界で、自分が初めて選ぶ仕事。
携太は発行されたばかりのギルドカードを手に、クレアの案内に従って冒険者ギルドの掲示板へと歩き出した。
(さて――俺にできる依頼は、あるのか?)
赤い掲示板の前は、すでに人だかりができていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
携太は、冒険者・商人・職人の三つのギルドに登録し、この世界で使える身分証を手に入れました。
次回は、ギルドの依頼を見ていきます。
続きも読んでいただけると嬉しいです。




