第95話 谷からの落ち牙
夕方、北の橋へ行った者たちが戻ってきた。
泥だらけだった。
けれど、全員戻った。
リナはまた泣きそうな顔になり、今度はガルドだけでなくカインの袖もつかんだ。
「帰ってきた」
「帰ってきたって」
カインは照れたように言ったが、リナが離さないので、しばらくそのままにしていた。
橋は、荷車が一台ずつなら通れるくらいに戻ったらしい。
水の逃げ道を作り、崩れた土を避け、丸太を組み直した。完全ではないが、背負い荷だけの状態よりずっといい。
ダレスは報告を終えると、小さな布包みを机に置いた。
「擦り木の手前に落ちていた。新しい跡はなかった。拾ったのは俺だ」
布が開かれる。
中にあったのは、親指ほどの白い欠片だった。
リナが息をのむ。
「牙?」
「落ち牙だろうな」
ダレスは言った。
「ただし、大きな力は期待するな。欠片だ」
オルドが手に取り、慎重に見た。
「試しには十分だ。割れは少ない。祭具庫の欠け牙より若い」
カインは目を輝かせた。
「じゃあ、使えるのか」
「すぐ使えるとは言ってねえ」
オルドの声に、カインは肩を落とした。
「またそれかよ」
「またそれだ」
部屋に小さな笑いが起きた。
アルノは落ち牙を見つめた。
倒して得たものではない。
追って奪ったものでもない。
橋を直し、人が帰る道を守ったついでに、灯守が見つけた欠片。
そのことが、アルノには大事に思えた。
「これなら、食べ物の近くじゃなくて、棚の外で試せますか?」
「できる」
オルドは短く答えた。
「木枠を小さくする。吊るす場所を決める。戻す火も弱くする。欠片は乾きすぎても割れるかもしれん」
フィアナが書き取る。
「落ち牙は、橋守りの折に得たもの。命を危険にさらして求めない。試しは食べ物から離して行う」
バルナ婆さんがうなずいた。
「それでいい。欲張ると、加護は離れるよ」
リナは落ち牙を見て、小さく言った。
「この牙、橋のお礼みたい」
誰も笑わなかった。
少しだけ、そんな気がしたからだ。
ダレスは、落ち牙を拾った時のことを短く話した。
「擦り木の手前に落ちていた。新しい泥はなかった。風下に立って、音を聞いて、それから拾った」
「そんなに慎重に?」
カインが聞く。
「慎重で足りないくらいだ」
ダレスの声に、冗談はなかった。
牙の欠片一つにも、そこまでの手順がいる。
アルノは、そのことも記録してほしいと思った。
素材だけを見れば欲しくなる。
けれど、素材がここに来るまでの危なさを忘れたら、次は誰かが帰ってこないかもしれない。




