第94話 帰る場所の蔵守り
男たちが北の橋へ向かったあと、ラーデ村に残った者たちは共同棚を開けた。
ただ待つだけでは、時間が重くなる。
だから、フィアナは蔵守りの紙を広げた。
「今日は、戻ってきた人たちがすぐ使えるように、棚と灯りを整えます」
リナは大きくうなずいた。
「リナ、床拭く」
「火は触らない」
「分かってるもん」
ミレナは布を分け、バルナ婆さんは薬草袋の数を確かめた。アルノは棚の札を並べ直す。
使う順番。
先に食べるもの。
奥に置かないもの。
湿りを見たらすぐ出すもの。
文字が読めない家のために、フィアナは絵の印も描いた。
壺の印。肉の印。薬草の印。火に近づけない印。子供が触らない印。
「これなら分かる」
リナが言う。
「字、読めなくても?」
「うん。壺は壺だもん」
フィアナは少し嬉しそうだった。
「神事の印も、最初はそうだったのかもしれませんね」
「どういうこと?」
「読めない人にも伝えるための印です。祈りの形だけが残って、意味が後から薄くなったのかもしれません」
アルノは棚に札を差し込んだ。
作業を絵にする。
順番を印にする。
手順を歌や動きにする。
そうすれば、文字が読めない人にも残せる。
灯院の古い神事は、そういうものだったのかもしれない。
昼過ぎ、共同棚の奥に小さな風の道を作った。
壺を一列ずつずらし、床に直接置かない。布は畳まず、乾かしやすいように掛ける。灯りを持って見る順番も決める。
リナは何度も指でなぞった。
「入口、左、奥、右、戻る」
「そう」
「これ、舞みたい」
フィアナが手を止めた。
「舞」
「だって、歩く順番が決まってるから」
アルノも思った。
灯りを持って蔵を巡る動き。
それは、外から見れば舞に見えるかもしれない。
でも中身は、確認だった。
「蔵守りの舞、かもしれません」
フィアナが静かに言った。
リナは少し照れたように笑った。
「リナが言ったの、当たり?」
「はい。とても大事なことを言いました」
リナは嬉しそうに胸を張った。
村に残る者の手で、帰る場所が少しずつ整っていく。
途中、リナは何度も外を見た。
そのたびに、ミレナが声をかける。
「まだだよ。北の橋は近くない」
「分かってる」
「分かってても見るんだね」
「うん」
待つことは、何もしないことではない。
アルノはそう思いながら、壺の札を一枚直した。
帰ってくる場所が乱れていたら、戻った人たちも落ち着けない。
だから、棚を整える。
それは小さな祈りに似ていた。




