第93話 橋を直す朝
橋を直す朝、村はまだ暗いうちから動き出した。
ミレナは湯気の立つ薄い汁を配り、バルナ婆さんは薬草を包んだ小袋をガルドに渡した。オルドは金具と針金を布に巻き、ダレスは灯入れの火を確かめている。
アルノは持っていく荷を見直した。
乾いた布。細い縄。火打ち道具。焼いた芋。塩を少し混ぜた湯を入れた小壺。
「全部持つの?」
リナが心配そうに聞く。
「全部は僕が持たない。大人が分ける」
「アルノ兄は行くの?」
その声が少し震えていた。
アルノは首を横に振った。
「行かない。村に残る」
リナはほっとした顔をしたが、すぐにガルドの方を見た。
ガルドはそれに気づき、膝をついてリナと目を合わせた。
「戻る」
「絶対?」
「絶対とは言わん。だが、戻るために行く」
リナは唇を結んだ。
「帰ってきて」
「ああ」
ガルドはリナの頭を大きな手でなでた。
アルノはその光景を見て、胸の奥が少し痛くなった。
帰ってこない。
その言葉は、リナの中に深く残っている。
だから、今回の作業は橋だけの話ではなかった。残る者の心も、ちゃんと守らなければならない。
フィアナは出発前に、作業の順番を読み上げた。
「橋に着いたら、先に周りを見る。新しい跡があれば近づかない。水の道を作る。丸太を動かす。金具は最後。火は休む場所でだけ使う」
ダレスがうなずいた。
「いい。灯りは橋の上に置くな。足元を見るために使え」
カインは珍しく黙って聞いていた。
「カイン」
アルノが呼ぶと、カインは振り返った。
「無理しないで」
「分かってる」
「本当に」
「分かってるって。俺、橋を直しに行くんだ。魔獣を倒しに行くんじゃない」
その言葉に、アルノは少しだけ安心した。
やがて男たちは北へ向かった。
背中が村の道を曲がって見えなくなるまで、リナはずっと手を握っていた。
アルノは隣に立ち、同じ方向を見ていた。
残る者にも仕事がある。
今日、村の灯りを消さないこと。
帰ってくる場所を整えておくこと。
出発の直前、ミレナがカインの襟元を直した。
「無茶したら、帰ってから倍働かせるよ」
「無茶しなくても働かされるだろ」
「分かってるならいいね」
その声はいつも通りだった。だからこそ、カインの肩から少し力が抜けた。
ガルドはローグの名を出さなかった。
誰も出さなかった。
けれど、リナが帰ってきてと言った時、そこにいない人の影は確かにあった。
アルノはそれを胸の奥に置いたまま、男たちの背を見送った。




