第85話 冷えた泥
ガルドたちが戻ったのは、日が落ちる少し前だった。
外套には泥がつき、ダレスの靴はひどく汚れていた。怪我はない。それを見て、リナが大きく息を吐いた。
「よかった」
ガルドはリナの頭に手を置いた。
「橋は落ちていない」
「じゃあ大丈夫?」
「大丈夫ではない」
ダレスが地図の上に小石を置いた。
「橋の手前が崩れている、荷車は通せん、人なら、気をつければ通れる」
「凍牙猪は?」
カインが聞く。
「跡はあった、深い、新しい」
部屋が静かになる。
ダレスは泥のついた布を広げた。そこには、黒く重い土が少し包まれていた。
「触るな、見るだけだ」
アルノは顔を近づけた。
泥なのに、普通の泥とは違う。黒く重く、手を近づけるだけで冷たさが伝わる気がした。濡れているというより、湿りが逃げずに閉じ込められているようだった。
「水がたまってたんですか?」
「ああ、橋の手前に水が集まる、そこを踏み抜いて、土が崩れた」
「凍牙猪が壊したというより、弱い場所を踏んだ?」
ダレスは少し目を細めた。
「そう見えた」
ガルドもうなずく。
「橋だけ直しても、また崩れる、水を逃がさないと駄目だ」
アルノは家の壁際に掘った溝を思い出した。
湿りには道がある。
橋の手前にも、水の道が必要なのかもしれない。
フィアナはすぐに帳面へ書いた。
「北の橋、手前に水、冷えた泥、凍牙猪はそこへ寄る、橋だけでなく、水を逃がす」
カインが拳を握る。
「じゃあ、橋の前に溝を掘るのか」
「簡単に言うな」
ガルドが言った。
「人手がいる、橋を直す者もいる、魔獣の跡があるから、見張りもいる」
村だけでは重い仕事だった。
フィアナが顔を上げる。
「隣村にも知らせましょう、あの橋は、向こうも使います」
ガルドは少し考え、うなずいた。
「そうだな、こっちだけの橋じゃない」
カインは悔しそうに泥を見た。
「牙は?」
誰もすぐには答えなかった。
ダレスが布を畳む。
「跡を追えば、見つかるかもしれん、だが今は追わない」
「橋だから?」
「ああ、牙より先に橋だ」
アルノは北の地図を見た。
一つの橋が、二つの村と、その先の荷をつないでいた。
白き牙よりも先に守るべきものが、そこにあった。
フィアナは泥を包んだ布の横に、灯りを近づけすぎないように置いた。火の色は変わらない。けれど、布の周りの空気だけ少し沈んで見えた。
「灯りが濁る、とは少し違いますね」
「白くなるわけでもない」
アルノはミレヴァールの水蔵の記録を思い出した。国によって言葉が違うなら、見方も増える。
冷えた泥にも、まだ名前のない見方が必要だった。




