第83話 北の谷の知らせ
知らせは、夕方に届いた。
北の橋の近くで、泥が深くえぐられていたという。
持ってきたのは、隣村へ向かう途中だった男だった。息を切らし、灯院の入口で膝に手をついている。
「猪だ、たぶん、凍牙猪だ」
灯院の空気が変わった。
リナがアルノの袖をつかむ。カインは顔を強ばらせた。
ガルドとダレスはすぐに地図を広げた。
「橋は?」
「落ちてはいない、ただ、片側の土が崩れてる、荷車は危ない」
「人は?」
「怪我人はいない」
ガルドは短く息を吐いた。
まず人が無事だった。
それだけで、部屋の中の緊張が少しだけ緩んだ。
けれど、問題は残っている。
北の橋は、秋の持ち寄りで使う道につながっている。粗塩や針金、油の一部もその道を通る。橋が危なければ、荷は遅れる。
荷が遅れれば、冬支度に響く。
知らせを持ってきた男は、泥のついた靴を見下ろした。
「橋の手前が、妙に冷えてた、雨の泥とは違う、踏むと足が抜けにくい」
ダレスが顔を上げる。
「冷えた泥か」
「知ってるんですか?」
アルノが聞く。
「凍牙猪が通ったあとは、そうなることがある、牙だけじゃない、体の周りまで冷える、湿った土が重くなる」
便利な牙と、危ない跡。
また同じものの裏表だった。
「見に行く」
ダレスが言った。
「俺も行く」
ガルドも立ち上がる。
カインが一歩前に出た。
「俺も」
「だめだ」
ガルドの声は低かった。
「でも」
「見物じゃない」
カインは歯を食いしばった。
アルノも行きたいとは言えなかった。
見たい。知りたい。どんな跡なのか、どこが湿っているのか、なぜ橋の近くに出たのか。
でも、足手まといになる。
それは分かった。
フィアナが静かに言った。
「私は灯院で記録を待ちます、見たものを、必ず戻して伝えてください」
ダレスはうなずいた。
「書けるように見てくる」
アルノは、地図の北の谷を見つめた。
凍牙猪。
白き牙。
橋を壊す魔獣。
冬を守るかもしれない素材。
その二つが、同じものの中にあることが、ひどく重かった。
出発の支度は早かった。ダレスは外套の紐を締め、ガルドは短い縄と手斧を持つ。ミレナが乾いた布を渡し、バルナ婆さんが苦い薬草袋を押しつけた。
「使わずに帰ってきな」
「ああ」
ガルドは短く答えた。
それだけのやり取りでも、リナの手に力が入った。アルノはその手をそっと握り返した。言葉は少なくても、帰るつもりでいる大人の背中は、少しだけリナを安心させた。




