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腐敗は神罰ではありません 〜保存と冬支度から始める、寒村の生活改善〜  作者: 高山 墨人
蔵守りと冬の帳面

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閑話 フィアナの帳面

帳面を閉じられなかった。


灯院の小さな机の上には、何枚もの紙が置かれている。


蔵守りの手順。

白き牙の扱い。

戻す火。

香草の置き場所。

ミレヴァールの水蔵の写し。

ラーデ村からグランツへ送る包みの控え。


どれも、もとは別々のものだった。


祈り。

祭具。

古い帳面。

村人の感覚。

アルノさんの違和感。

職人の手。

灯守の地図。


それが、今は一つの机の上に並んでいる。


私は灯皿の芯を少しだけ整えた。火が落ち着く。煙は少ない。


供灯係として習ったことは、火を絶やさないことだった。


油を選ぶ。

芯を切る。

灯皿を拭く。

火が大きすぎれば抑え、小さすぎれば整える。

煙が出れば、どこが合っていないのか見る。


それは大事な仕事だった。


けれどラーデ村に来るまで、私はそれを灯りだけの仕事だと思っていた。


アルノさんは違った。


灯りを見るように、棚を見る。

火の揺れを見るように、湿りを見る。

煙の重さを見るように、壺の布を見る。


そして、分からない時は分からないと言う。


それが、私には少し眩しかった。


灯院では、分からないことを分からないまま言いにくい時がある。古い帳面に書かれているものは、正しいものとして扱われる。意味が分からなくても、祈りとして残す。


残すことは大事だ。


でも、残しただけでは届かないものがある。


私は蔵守りの紙を手に取った。


棚を空ける。

古い藁を出す。

床を拭く。

壺を高く置く。

火を入れる時は大人が見る。

灯りで奥を見る。


これを、昔の人は何と呼んでいたのだろう。


祈り。

作法。

舞。

冬支度。


きっと、どれも間違いではない。


ただ、どれか一つだけにしてしまうと、手が止まる。


祈りだけになれば、棚を見なくなる。

手順だけになれば、願いが薄くなる。

記録だけになれば、読めない人に届かない。

舞だけになれば、意味を忘れる。


だから、つなぎ直さなければならない。


私は帳面に新しい見出しを書いた。


蔵守り。灯りを持ち、置かれたものを見落とさないための作法。


少し考え、次の行を足す。


整えた場所に、加護は寄る。


その一文を書いた時、胸の奥が少しだけ落ち着いた。


神を軽く扱いたいわけではない。

古い祈りを壊したいわけでもない。


むしろ、逆だった。


祈りが、もう一度手に戻ってくる気がした。


灯院の戸が小さく鳴った。


顔を上げると、ダレスが立っていた。グランツへ向かう包みを受け取りに来たのだ。


「まだ書いてたのか」


「はい。少しだけ」


「少しで済む顔じゃないな」


私は少し笑った。


「アルノさんの言い方が移ったのかもしれません」


「たぶん、か」


「はい。たぶん」


ダレスは肩をすくめた。


「そのたぶんを、ちゃんと書いておけ。確かだと言い切るやつより、冬には役に立つことがある」


それは灯守らしい言葉だった。


私はうなずき、包みを差し出した。


「お願いします」


「ああ。届ける」


短いやり取りだった。


ダレスが出ていくと、灯院の中はまた静かになった。


私は机に戻り、最後に一行だけ書いた。


ラーデ村より。小さな改善は、記録して持ち寄ること。


灯りが揺れる。


それはまだ小さい。


けれど、遠い水蔵へ向かうには十分な火に見えた。


私はようやく帳面を閉じた。


閉じても、終わりではない。


明日、また開くために閉じるのだと思った。


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