第66話 白き牙の記述
灯院の祭具庫は、乾いた木と古い油の匂いがした。
フィアナは小さな鍵を開け、棚の奥から布に包まれたものを取り出した。
「触らないでください。欠けていますが、まだ力が残っているかもしれません」
リナは慌てて手を引っ込めた。
「触らない」
布が開かれる。
中にあったのは、白というより灰色がかった牙だった。片側は欠け、表面には細かなひびが入っている。
長さはアルノの手より少し大きい。重そうに見えるのに、フィアナが持ち上げると不思議と軽く見えた。
「これが白き牙?」
「おそらく」
フィアナは帳面と見比べた。
「冬前、蔵の奥に白き牙を吊るす。湿りを食わせ、灯りを澄ませる。火に寄せるな。濡れた手で触れるな。割れた牙は土へ返す」
カインが顔をしかめた。
「湿りを食うってなんだよ」
「分かりません」
フィアナは正直に言った。
アルノは牙をじっと見た。
表面のひびの間に、少し黒っぽい筋がある。濡れているわけではない。けれど、長く湿った場所に置かれていたような跡にも見えた。
「これ、昔は蔵に置いていたんですよね」
「はい」
「今は置かないんですか?」
「置きません。由来が分からないものは、祭具庫にしまうことになっています」
由来が分からない。
その言葉が、アルノには少し怖かった。
意味が分からなくなったから、しまう。
しまったから、使われない。
使われないから、さらに意味が分からなくなる。
そうやって、大事なものが消えていく。
バルナ婆さんが、牙を遠目に見て鼻を鳴らした。
「凍牙猪の牙に似てるね」
ガルドが顔を上げた。
「凍牙猪?」
「あたしも本物は一度しか見たことないよ。昔、灯守が持ってきた。湿った薬草箱に入れると、少し持ちが良くなるって話だった」
「それを先に言ってください」
アルノが思わず言うと、バルナ婆さんは不機嫌そうに目を細めた。
「今思い出したんだよ。古い話だ」
フィアナの手が止まった。
「灯守が?」
「村の外を歩く連中だよ。冬道を見たり、魔獣の跡を見たりする。今は数が減ったんじゃないのかい」
灯守。
アルノはその言葉を覚えた。
供灯係が灯りを整える人なら、灯守は灯りの届かない外を歩く人なのかもしれない。
フィアナは白き牙を見つめ、静かに言った。
「記録だけでは足りませんね」
アルノはうなずいた。
「実物を見て、知っている人に聞かないと分からないです」
欠けた牙は、薄暗い祭具庫の中で静かに光を返していた。




