第63話 火を入れる日
雨が止んで二日目、バルナ婆さんが言った。
「湿ったものは、日だけじゃ足りない時がある。火を入れな」
火を入れる。
アルノはその言葉に少し緊張した。
乾かすために火を使うのは分かる。けれど、薬草や布、木箱の近くで火を使うのは怖い。
バルナ婆さんは、アルノの顔を見て鼻を鳴らした。
「燃やせって言ってるんじゃないよ。遠くで温めるんだ。焦がすやつは馬鹿だ」
「どうやるんですか?」
「見て覚えな」
家の外に、小さな火が作られた。
煙が強く出ないよう、乾いた枝を使う。薬草棚は外へ出さず、家の中の空気を少しずつ動かす。戸を少し開け、反対側の隙間も開ける。
火は家の中に入れない。
それでも、湿った空気がゆっくり外へ出ていくのが分かった。
リナは戸のそばで、手をかざしている。
「あったかい」
「近づきすぎるなよ」
カインが言う。
「分かってるもん」
フィアナはその様子を見ながら、古い帳面を開いた。
「火入れ前、棚を空けよ。布を寄せるな。子を近づけるな。灯りを低く置くな」
バルナ婆さんが目を細めた。
「まともなことが書いてあるじゃないか」
「今は、火入れの祈りとして残っています」
「祈る前に燃やさないようにしろって話だね」
カインが笑いかけたが、バルナ婆さんににらまれて口を閉じた。
アルノは火の位置を見ていた。
火は近すぎても危ない。遠すぎても意味がない。風が強すぎれば火の粉が飛ぶ。閉め切れば煙がこもる。
ただ火をつければいいわけではない。
「これ、誰でもできますか?」
「馬鹿には無理だね」
バルナ婆さんは即答した。
リナが不安そうな顔になる。
「リナ、馬鹿じゃないよ」
「子供だけでやるなって意味だよ」
バルナ婆さんは少しだけ声を柔らかくした。
「火は便利だ。でも、腹を空かせた冬より怖い時もある」
アルノはうなずいた。
保存のために火を使う。
でも火事になれば、保存どころではない。
フィアナは帳面に新しい行を書き足した。
「火を入れる時は、火を扱える大人が見る。子供は近づけない。布と藁を離す。戸を少し開ける」
それは祈りの言葉ではなかった。
けれど、神事として残すなら、きっと必要な言葉だった。
夕方、棚の奥に手を入れると、昨日より冷たさが減っていた。
アルノはほっとした。
完全ではない。
でも、少し良くなった。
小さな改善は、そうやって積み重なる。




