閑話 エルクの薬草袋
余りだ、と言うのが上手くなった。
薬草の端も、乾いた根も、少し多く採れた春草も、リナへ渡す時はだいたい同じ言い方をする。
「余りだ」
本当は、余りではないこともある。
バルナ婆さんは知っている。アルノも、たぶん気づいている。リナだけは、まだ時々そのまま信じる。
それでいいと思っていた。
理由のない優しさは、受け取る方が困ることがある。特にローグの家は、何かをもらうたびに、少しだけ肩を縮める。
だから、余りでいい。
手伝いの礼でいい。
婆ちゃんが持っていけと言った、でいい。
俺は薬草小屋の棚を見上げた。
一段目が上がり、二段目も少し上がった。草束の間には、前より風が通っている。
アルノが来てから、村のいくつかの場所が少し変わった。
薬草棚。
灯りの芯。
水桶の台。
共同棚の札。
蔵守りの紙。
大きく変わったわけではない。けれど、見放される前に気づくものが増えた。
「何ぼうっとしてるんだい」
バルナ婆さんが声をかけた。
「ぼうっとしてない」
「してたよ。ローグみたいな顔でね」
返事はしなかった。
婆さんはそれ以上言わず、乾いた草を束ねる。口は悪いが、踏み込む場所は間違えない人だった。
ローグの名を聞くと、今でも少し息が詰まる。
あの日の森は、白かった。
雪が音を消していた。自分の息も、足音も、遠くで折れる枝の音も、全部が白い中に吸われていくようだった。
俺は、戻れないと思った。
けれど、ローグが見つけた。
大きな手で腕を掴み、立てと言った。声は荒かったが、怒ってはいなかった。
冬獣の気配が近かった。
それ以上は、今もはっきり思い出したくない。
「俺も死ぬつもりはない」
ローグはそう言った。
「時間を稼ぐだけだ。ガルド達を呼んでこい」
俺は走った。
走るしかなかった。
後ろを振り返ったのは、一度だけだった。
ローグは見えなかった。雪と木の間に、ただ声だけが残っていた気がした。
何を言ったのか、今も誰にも話していない。
話してしまうと、それが本当に最後の言葉になってしまう気がしたからだ。
「エルク」
婆さんが小さな袋を投げて寄こした。
俺は受け取る。
「ラーデの家に持っていきな」
「またか」
「まただよ。棚を見に来た礼だ」
袋の中には、春に乾かした薬草が少し入っていた。腹に優しい草と、熱の時に使う草。余りと呼ぶには、きちんと選ばれている。
「余りって言えばいいのか」
「好きにしな」
婆さんは鼻を鳴らした。
「ただし、リナの前で暗い顔するんじゃないよ。あの子は帰ってこない顔に敏い」
少しだけ目を伏せた。
「分かってる」
分かっている。
リナは戸口を見る。
アルノも、時々森の方を見る。
あの家には、戻らなかった人の形がまだ残っている。
だから俺は、薬草袋を持っていく。
何かを返せるわけではない。
ローグの代わりになれるわけでもない。
けれど、袋一つで熱が少し下がるなら。
腹を壊す日が一日減るなら。
リナが戸口を見つめる時間が、少し短くなるなら。
それでいい。
小屋を出ると、夕方の風が薬草の匂いを揺らした。
ラーデの家へ向かう道は、もう雪道ではない。泥も乾き始めている。けれど、森へ続く道の奥には、まだ冬の名残がある。
俺は薬草袋を握り直した。
余りだ。
今日も、そう言うつもりだった。
そう言わないと、俺の方が受け取れなくなるからだ。




