第56話 灯院から来た人
灯院から人が来ると聞いて、リナは朝から落ち着かなかった。
床を掃き、干していた布を畳み、いつもより何度も自分の袖を見ている。
「アルノ兄、変じゃない?」
「変じゃない」
「ほんと?」
「ほんと」
リナは少しだけ安心した顔をしたあと、また入口の方を見た。
灯院の人が村に来ること自体は珍しくない。持ち寄りの記録、亡くなった者の名、冬に足りなくなる物、春に戻った家畜の数。灯院はそういうものを確かめる。
けれど、今日来るのはグランツ大灯院からの人だと聞いていた。
ラーデ村の小さな灯院とは違う。もっと大きな町にある、もっと多くの記録を持つ場所。
アルノは、干していた薬草を棚から下ろしながら息を吐いた。
緊張していないと言えば嘘になる。
自分がしてきたことは、村の中では少しずつ受け入れられてきた。寝床を干す。藁を替える。壺を分ける。水を濁らせない。肉をすぐにしまわない。
けれど、灯院の人がそれをどう見るかは分からない。
おかしなことをしていると思われるかもしれない。
神の作法を乱していると思われるかもしれない。
そう考えたところで、外から声がした。
「アルノ、来たぞ」
カインが戸の外で手を振っていた。
その後ろに、薄い灰色の外套を着た少女が立っている。年はアルノより少し上に見えた。栗色の髪を後ろでまとめ、胸元には小さな灯の印が下がっている。
その少女は、家の前で一度足を止め、丁寧に頭を下げた。
「フィアナ・ハーヴェンと申します、グランツ大灯院で供灯と記録の手伝いをしています」
声は静かだった。
けれど、弱くはなかった。
リナが慌てて頭を下げる。
「リナです」
「アルノです」
アルノも続けると、フィアナは少しだけ目を細めた。
「お話は聞いています、悪くなりそうなものに、早く気づく子だと」
アルノは言葉に詰まった。
褒められているのか、疑われているのか分からなかったからだ。
カインは横でにやっと笑った。
「アルノ、すげえって言われてるぞ」
「まだ分からない」
「なんでだよ」
フィアナは家の中に入ると、まず灯りの置かれた場所を見た。
それから、干した薬草、棚の高さ、壺の口を覆う布、壁際に寄せすぎないように置かれた木箱を順に見ていく。
何かをすぐに言うことはなかった。
ただ、見ていた。
リナは不安そうにアルノの袖をつかんだ。
「怒られる?」
「分からない」
少しして、フィアナは小さな帳面を開いた。
「怒りません、むしろ、灯院の古い記録に似ています」
「古い記録?」
アルノが聞き返すと、フィアナはうなずいた。
「今では意味が分からなくなった作法です、でも、あなたの棚を見て、少しだけ分かる気がしました」
フィアナは灯りの方を見る。
「加護が寄る場所は、ただ祈った場所ではありません、整えられた場所です」
その言葉に、アルノは胸の奥が少しだけ重くなった。
自分が見ていた湿りや匂い。
それを彼女は、別の言葉で見ていた。




