第50話 次の冬の場所
家の棚に、少しだけ場所が増えた。
小さな壺。
困った時の袋を置く場所。
小かぶの種袋。
古布を掛けた水桶。
壁から少し離した干し草。
どれも、初めて見る人なら何も変わっていないと思うだろう。家は狭く、床は冷たく、壁にはまだ湿りが残っている。
それでもリナは、棚の前で満足そうに頷いていた。
「ちょっと増えた」
「中身は少ないぞ」
「でも、場所はある」
リナはそう言って、壺の布をそっと直した。
場所がある。
それは確かに、前とは違うことだった。
冬の前には、食べる袋しかなかった。残す袋も、困った時の袋も、空っぽどころか置き場所さえ曖昧だった。
今はまだ少ない。
でも、ここへ入れると決めた場所がある。
アルノは棚を見ながら言った。
「春って、次の冬の始まりなんだな」
リナが嫌そうな顔をする。
「もう冬の話?」
「嫌か」
「嫌、今は春なのに」
「でも春にやらないと、冬に足りない」
リナは少し考えて、唇を尖らせた。
「分かるけど、嫌」
その正直さに、アルノは少し笑った。
外では、カインが泥を跳ねながら走っている。ガルドは橋の板を確かめに行き、ミレナは山羊小屋で桶を洗っている。バルナ婆さんの小屋では、一段高くした棚に薬草が揺れているだろう。
村は大きく変わっていない。
けれど、冬で傷んだものを直しながら、少しずつ次へ向かっている。
夕方、リナは畑の端を見に行った。
まだ芽は出ていない。
それでも、土の上に置いた藁は飛ばずに残っていた。
「これ、本当に食べられる?」
「育てば」
「育たなかったら?」
「次を考える」
「またそれ」
リナは少し笑った。
夜、灯りを整えると、煙は少なかった。
リナは寝る前に棚をもう一度見る。
「今年は、去年より持つかな」
「持たせる」
言ってから、少し大きすぎる言葉だったかと思った。
でもリナは笑った。
「じゃあ、私も持たせる」
小さな家の中で、灯りが静かに揺れる。
次の冬のための場所が、少しだけできた。
物語は、まだそこまでしか進んでいない。
でも今は、それで十分だった。
アルノは棚の奥に、空の布袋を一つ置いた。
まだ中身はない。
けれどリナは、それを見てすぐに言った。
「困った時の袋?」
「ああ」
「空っぽだね」
「これから入れる」
「何を?」
「まだ分からない」
リナは少し呆れた顔をしたが、袋をどけようとはしなかった。
空の場所を用意することに、前ほど不安を感じていないのかもしれない。
その夜、粥は薄かった。山羊乳はほんの少しだけで、塩も控えめだ。それでもリナは文句を言わなかった。食べ終わると、蜜の器を一度だけ見て、今日は開けずに棚へ戻す。
「食べないのか」
「今日はいい」
「宝物なのに?」
「宝物だから、残す」
その言葉は、リナの中で何かが少し変わった証のように聞こえた。
アルノは灯りを見る。
煙は少ない。芯を整える手つきも、前より迷わなくなった。
春はまだ続く。
泥も、水も、畑も、壺も、きっとまた失敗する。
でも、失敗しても直せるうちは終わりではない。
今年の家には、次の冬のための場所がある。
それだけで、去年より少しだけ強くなった気がした。




