第40話 春の仕事
ラーデ村の春は、静かに忙しかった。
冬のように、家へ閉じこもって耐える季節ではない。けれど、楽になったわけでもない。
雪が解ければ、泥が出る。
泥が出れば、道が沈む。
水が増えれば、橋が傷む。
草が出れば、摘む手が要る。
山羊の乳が増えれば、すぐ使う手が要る。
アルノは共同倉庫の前で、春の荷を見ていた。
冬の終わりに残った炭。少なくなった粗塩。まだ大事に吊るされている干し草。新しく集められた春草。修理に使う板と縄。
冬の備えと、春の仕事が、同じ場所に並んでいる。
「変な感じだな」
カインが隣で言った。
「何が」
「冬が終わったのに、また冬の準備してるみたいで」
「してるんだろ」
アルノが答えると、カインは嫌そうな顔をした。
「早くね?」
「たぶん、早くない」
近くではガルドが板を選んでいる。橋の本直しに使う板だ。乾き具合を見て、反りを見て、叩いて音を聞く。
ミレナはリナと一緒に、春草を広げていた。籠に入れっぱなしにせず、布の上へ薄く広げる。バルナ婆さんが横から口を出す。
「重ねるんじゃないよ。下が見放される」
「はい」
リナは真剣だった。
エルクは森へ入る準備をしている。籠の底に布を敷き、採った草が蒸れないようにしていた。
誰も大きなことをしているわけではない。
けれど全員が、次に悪くなりそうなものを少しずつ見ていた。
アルノはその光景を、冬の始まりより少し違う目で見ている自分に気づいた。
前は、湿気が嫌だった。
臭い水が嫌だった。
煙のこもる灯りが気になった。
今もそれは変わらない。
けれど、ただ嫌なだけではなくなっていた。どこを見ればいいか、誰に聞けばいいか、少しだけ分かるようになっている。
水は待つ。
草は広げる。
乳は早く使う。
橋は下を見る。
荷は泥から離す。
どれも、誰かがずっとやってきたことだ。
アルノが新しく全部を作ったわけではない。村の中にあった知恵を、少し別の場所から見直しているだけなのだと思った。
「アルノ兄」
リナが呼んだ。
「これ、こっちでいい?」
春草の束を持っている。
アルノは近づき、布の上を見る。少し重なっていた。
「もう少し空けた方がいい」
「こう?」
「そう」
リナは丁寧に草を広げた。
「加護寄る?」
「離れにくくはなる」
リナは満足そうに頷いた。
ガルドがそのやり取りを横目で見ていた。何も言わない。ただ、板を選ぶ手が少しだけ止まった。
「アルノ」
「はい」
「午後、橋へ来い。軽い板を持て」
「分かりました」
それだけだった。
けれど、頼まれた。
その事実が、少し胸に残った。
昼になると、リナが山羊乳入りの薄い粥を持ってきた。乳はほんの少しだけだが、湯気に柔らかい匂いが混じっている。
「今日は早く食べるんだよ」
リナが言う。
「乳が見放される前に」
「それは婆さんみたいな言い方だな」
「婆さんが言ってたもん」
「そうか」
アルノは椀を受け取った。
温かい。
冬の終わりに食べた粥より、少しだけ春の匂いがした。
外では水が流れている。泥は乾かず、橋はまだ頼りない。倉庫の粗塩は少なく、薪も余裕があるわけではない。
それでも村は動いていた。
冬を越したから終わりではない。
冬を越したから、次の冬の支度が始まる。
アルノは粥を一口食べた。
リナが不安そうに見る。
「しょっぱい?」
「ちょうどいい」
「ほんと?」
「ああ」
リナはほっと笑った。
その笑顔を見ながら、アルノは思う。
次の冬は、まだ遠い。
でも、きっともう始まっている。




