表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
腐敗は神罰ではありません 〜保存と冬支度から始める、寒村の生活改善〜  作者: 高山 墨人
雪解けと記録

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
40/98

第39話 山羊の乳

山羊は、春の気配に敏かった。


雪が緩み始めた頃から、カインの家の山羊はよく鳴くようになっていた。小屋の中で足を鳴らし、外へ出せとでも言うように首を振る。


「うるさいだろ」


カインが言う。


「元気でいいじゃないか」


「朝から鳴くんだぞ」


「お前も朝からうるさい」


「俺は山羊じゃねぇ」


そのやり取りを聞いて、リナが笑った。


ミレナは木桶を持って山羊の横に座る。手つきは慣れていた。山羊の腹を撫で、声をかけ、静かに乳を搾る。


白い乳が、木桶の底へ細く落ちた。


リナは目を輝かせる。


「出た」


「出るよ。山羊だからね」


ミレナが笑う。


アルノは桶を見た。冬に分けてもらった山羊乳を思い出す。粥に少し入れただけで、味も温かさも変わった。


けれど、乳は難しい。


甘い匂いがする。温かい。栄養がある。だからこそ、悪くなりやすそうだった。


「これ、すぐ使うんですか」


アルノが聞くと、ミレナは顔を上げた。


「春は特にね」


「冬より?」


「冬は寒さで少し持つ。でも春は中途半端に温い。置きっぱなしにすると、すぐ嫌な匂いになる」


リナが桶を覗き込む。


「乳も加護離れる?」


「離れやすいよ。だから飲むなら早く。粥に入れるなら火のそば。残すなら冷たい所。ただし凍らせるほどじゃない」


ミレナの言葉は細かかった。


セラも、きっとこういうことを知っていたのだろう。


アルノは山羊小屋の中を見る。床には藁が敷かれているが、雪解けのせいで入口近くは湿っていた。山羊の足元も少し汚れている。


「桶、床に置かない方がいいですね」


「そうだね」


ミレナは頷いた。


「春は床から嫌なものが来る。乳は特に拾いやすい」


拾いやすい。


その言い方が、妙に分かりやすかった。


アルノは近くの小さな台を引き寄せた。桶を置くには低いが、床へ直接置くよりはいい。


カインがそれを見て笑う。


「乳まで台に乗るのか」


「偉いから」


リナが即答した。


「春草も偉かったよな」


「濡れると困るものは偉いの」


カインは少し考えた。


「じゃあ俺の靴も偉い?」


「カインの靴は泥だらけだから偉くない」


「ひでぇ」


ミレナが笑いながら、搾った乳を布で覆った。


「笑ってる場合じゃないよ。飲む分はすぐ分ける。残りは家へ持って帰って、粥にしな」


「リナの分、ありますか」


アルノが聞くと、ミレナは少し目を細めた。


「あるよ。昨日、リナが春草を広げるのを手伝ったからね」


施しではない。


いつものように、理由を付けてくれる。


リナは嬉しそうに桶を見た。


「今日は山羊乳粥?」


「少しだけな」


「少しでもいい」


その言葉に、アルノはどこかで聞いたような気がした。


冬の灯りの時も、リナはそう言った。


少しでもいい。


この家では、その少しが本当に大事だった。


帰り道、アルノは布で覆った小さな器を慎重に持った。揺らすとこぼれるし、温かいまま置いておくのも嫌だった。


リナは横から何度も覗き込む。


「まだある?」


「ある」


「減ってない?」


「歩いてるだけで減るわけないだろ」


「匂いは逃げるかも」


「蜜じゃない」


リナは真剣な顔で器を守るように歩いた。


春は水だけでなく、乳も動き出す季節だった。


動き出したものは嬉しい。


けれど、扱いを間違えればすぐ悪くなる。


アルノは器の温かさを手の中に感じながら、また一つ、気にするものが増えたと思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ