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腐敗は神罰ではありません 〜保存と冬支度から始める、寒村の生活改善〜  作者: 高山 墨人
雪解けと記録

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第33話 流れる水

雪解け水は、村のあちこちを走っていた。


家の脇。道の端。薪置き場の下。昨日まで白く固まっていた場所から、細い水の筋が生まれている。


水は透明ではなかった。


土を巻き込み、藁を運び、炭の粉を溶かしたように灰色がかっている。


リナは木桶を持って、井戸の近くで立ち止まった。


「今日の水、濁ってる」


井戸そのものが濁っているわけではない。けれど周囲の地面が緩み、汲んだ桶の底に細かいものが沈んでいた。


アルノは桶を覗き込む。


嫌な感じがした。


冬の古い水とは違う。流れているのに、落ち着かない。何かをたくさん連れてきている水だ。


「すぐ飲まない方がいい」


「どうして?」


「底に何かある」


リナは桶を揺らした。沈んでいた細かい土がふわりと上がる。


「うわ」


「揺らすな」


「だって見えたから」


そこへバルナ婆さんが歩いてきた。手には小さな籠。春草を採りに行く途中らしい。


「春の水で遊ぶんじゃないよ」


「遊んでないもん」


リナが言うと、婆さんは鼻を鳴らした。


「春の水は腹に来ることがある、雪が溶けると、山も道も家の周りも、いろんなものが水へ混ざるからね」


アルノは顔を上げた。


「やっぱり」


「やっぱりって顔してるね」


婆さんはアルノを見て、少し面白そうに笑う。


「水にも加護が離れる時があるんだよ、見た目が澄んでても、春先は油断するんじゃない」


リナは桶を見下ろす。


「じゃあ、どうするの?」


「落ち着かせる、上だけ使う、弱い子や病み上がりに飲ませるなら、火にかける」


婆さんの言葉に、アルノは頷いた。


火にかける。


理由をはっきり説明できるわけではない。けれど、その方がいいと体の奥が言っている。


「うちでもそうする」


「薪を使いすぎるんじゃないよ」


婆さんがすぐに言う。


「全部の水を火にかけたら、薪が先に見放される」


「薪は見放されないだろ」


「無くなれば同じだよ」


確かにそうだった。


安全にしたい。けれど薪は限られている。春になっても、火は勝手に増えない。


アルノは桶を見た。


「飲む分だけ火にかける、料理に使う分は、底を揺らさないようにしてから使う」


「そのくらいならいいだろうね」


婆さんは頷いた。


「ただし、古い水を残しすぎるな、春は水が走る、走ったものを長く抱えると、家の中まで落ち着かなくなる」


言い方は不思議だった。


でも分かる気がした。


水は溜めれば便利だ。けれど春の水は、冬の水より悪くなりやすい気がする。湿り、ぬるみ、土を含んでいる。


リナは桶を慎重に持ち上げた。


「揺らさないようにする」


「できるか?」


「できる」


そう言いながら、リナの足元が泥で少し滑った。


アルノが桶の反対側を持つ。


「一緒に運ぶ」


「一人でできるのに」


「転ぶと水もお前も泥だらけになる」


リナは少しだけ考えた。


「それは困る」


二人で桶を運ぶ。


水面が揺れるたび、底の濁りがふわりと上がる。アルノはできるだけ静かに歩いた。


家へ戻ると、桶を棚の下ではなく、少し高い台の上へ置いた。


「どうして上?」


「床が冷えてるし、泥が近い」


「水も場所を選ぶんだね」


「ああ」


リナは真面目な顔で桶を見た。


「春って、水が増えるのに、使うの難しいね」


その通りだった。


足りない冬の次に来るのは、扱いづらい春だった。


水は増えた。


でも、安心して使える水が増えたわけではない。


アルノは桶の中の揺れが静まるのを待ちながら、その違いを忘れないようにしようと思った。


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