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腐敗は神罰ではありません 〜保存と冬支度から始める、寒村の生活改善〜  作者: 高山 墨人
雪解けと記録

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第32話 泥の道

村道は、昨日までの道ではなくなっていた。


雪の下から黒い土が出ている。けれど乾いた土ではない。踏むたびに靴底へまとわりつく、重い泥だった。


カインはその泥の真ん中で足を滑らせた。


「うわっ」


派手な音を立てて尻もちをつく。


泥が跳ねた。


リナが目を丸くし、それから口を押さえて笑う。


「笑うな!」


「だって、すごい音した」


「お前も歩いてみろよ、絶対転ぶぞ」


「転ばないもん」


そう言ってリナが一歩踏み出す。すぐに足を取られ、アルノが腕を掴んだ。


「危な」


「……今のは転んでない」


「ほぼ転んでた」


カインが泥の上で言い返す。


春の村道は、雪道より厄介だった。


雪なら踏み固めれば道になる。深い場所を避ければ、まだ足の置き場が分かる。


泥は違う。


見た目は浅そうでも、足を入れると沈む。荷を持てばさらに沈む。靴へ泥が付き、歩くたびに重くなる。


ガルドは道端に立ち、腕を組んでいた。


「今年はひどいな」


「毎年こうじゃないんですか」


「毎年ひどい、だが今年はよくない」


カインが泥を払いながら文句を言う。


「親父、板敷こうぜ」


「全部には敷けん」


「じゃあ転ぶ」


「転ぶな」


短い返事だった。


ガルドは道の端を見て、古い板を何枚か運ばせた。村の中央から共同倉庫までの、特に沈む場所だけへ板を置く。


「ここだけ?」


リナが聞く。


「ここだけだ」


ガルドは言う。


「全部やると板が足りん、板も冬越しに使った、春には春の使い方がある」


アルノは泥の道を見る。


何かを良くするには、材料が要る。材料は無限ではない。雪囲いに使えば、泥道には使えない。泥道へ使えば、橋の修理に足りなくなるかもしれない。


当たり前のことなのに、実際に見ると重かった。


ミレナが家の前で布を持っていた。泥だらけになったカインの背を見て、ため息をつく。


「また汚したね」


「道が悪い」


「道のせいにするんじゃないよ」


「だって泥が来た」


「泥は来ない、あんたが行ったんだよ」


リナがまた笑った。


その笑い声の横で、アルノは自分の靴を見る。泥が縁に残っていた。これを家へ入れれば、床が湿る。床が湿れば、また家の中の空気が重くなる。


「戸口に板か布を置いた方がいいな」


「何で?」


リナが聞く。


「泥を少し落とす、家の中に入れたくない」


「泥も加護離れる?」


「泥そのものというより、湿る」


「じゃあ離れる」


リナは納得したように頷いた。


アルノは少し困った。


まだ、その言い方には少し引っかかる。けれど、リナには自然なのだ。


ガルドが板を置き終え、足で踏んで確かめる。


「しばらくは持つ」


「ずっとは?」


カインが聞く。


「ずっとは持たん」


「だよなぁ」


カインは諦めたように笑った。


春は、白い雪が消える季節ではない。


雪の下に隠れていた泥が、全部顔を出す季節だった。


アルノは家へ戻る前に、靴の泥を板の端で落とした。


それだけで、足が少し軽くなった。戸口の板には、すぐ黒い跡が付いた。けれど、その跡が家の中へ入らなかったことに、アルノは小さく安心した。


小さい。


本当に小さい。


でも、春の仕事はたぶん、こういう小さい面倒を見落とさないところから始まるのだと思った。


戸口で止めた泥は、家の中へ入らなかった。


それだけのことなのに、床の湿りも、水桶の濁りも、少し遠ざけられた気がした。


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