閑話 リナの灯り
アルノ兄が変わってから、私は眠る前に灯りを見るようになった。
前は、ただ消えないかどうかだけを見ていた。油が残っているか、火が小さくなりすぎていないか。夜の家が真っ暗にならないか。
でも最近は、少し違う。
火が揺れすぎていないか。
煙が黒くなっていないか。
布の端が焦げていないか。
アルノ兄が、何か気にしている顔をしていないか。
そういうことまで見るようになった。
「リナ、もう寝ろ」
アルノが灯りのそばで言った。
手には古い布がある。さっきまで灯りの芯を少しだけ整えていた。前より煙が少なくなるように、少しだけ切って、少しだけ向きを直す。
少しだけ。
アルノ兄は最近、その言葉をよく使う。
「まだ眠くない」
「欠伸してた」
「してない」
「してた」
「ちょっとだけ」
そう言うと、アルノ兄は小さく笑った。
前のアルノ兄は、あまり笑わなかった気がする。
怒っていたわけではない。冷たかったわけでもない。ただ、家の中にいるのに、家の中を見ていないような時があった。
水が少し臭っても、気づかない。
寝床が湿っていても、ぼんやりしている。
灯りの煙で目が痛くても、そのまま座っている。
私は、それが少し怖かった。
父さんが森から帰ってこなくなって、母さんもいなくなって、この家で本当に帰ってくる人はアルノ兄だけになった。
そのアルノ兄が、家にいるのに遠くにいるみたいな顔をすると、胸の奥が冷たくなった。
でも、熱を出してからのアルノ兄は変わった。
変なことばかり言う。
最初は、少し困った。
窓を開ける。
水が臭う。
干し草を壁から離す。
灯りの芯が長い。
床が湿る。
草が悪くなりそう。
最初は、どうしてそんなことばかり気にするのか分からなかった。
けれど、灯りの煙が少し減った夜、リナは思った。
前より怖くない。
家の中に、ちゃんとアルノ兄がいる気がした。
そこにいて、ちゃんと帰ってきてくれる人の顔だった。
「何見てる」
アルノ兄が聞いた。
「灯り」
「眠れなくなるぞ」
「前より落ち着くからいいの」
アルノ兄は灯りを見る。
「少しはましになっただけだ」
「少しでもいいよ」
そう言うと、アルノ兄は黙った。
私は寝具に入り、肩まで布を引いた。古い布だけれど、少し縫い直されている。縫い目は曲がっていた。母さんみたいにきれいではない。
でも、アルノ兄が縫ったものだ。
「アルノ兄」
「ん?」
「明日もいる?」
アルノ兄は少しだけ手を止めた。
自分でも、変なことを聞いたと思った。明日もいるに決まっている。家にいる。朝になったら起きる。水を見て、湿気を見て、また変な顔をする。
でも、聞きたかった。
「いる」
アルノ兄はそう答えた。
「どこか行く時は言う」
「帰ってくる?」
「帰ってくる」
その言葉で、胸の奥にあった小さな冷たさが少し溶けた。
絶対とは言わなかった。
けれど、今のアルノ兄は、帰ってくるために考えてくれる気がした。
私は灯りを見た。
火は小さく揺れている。前より煙は少ない。部屋の隅はまだ暗いし、壁も湿っている。床も冷たい。
でも、今日は怖くない。
「おやすみ」
私が言うと、アルノ兄は灯りの向こうで頷いた。
「おやすみ」
句点のない短い声だった。
私は目を閉じる。
灯りの匂いは、前より少しだけ軽かった。
その少しだけが、私には十分だった。




