第26話 帰り道の音
レヴァンを出る頃には、空の色が少し暗くなっていた。
昼を過ぎたばかりなのに、雪雲が低いせいで夕方のように見える。灯院の屋根から落ちる雪の音を背に、アルノとエルクはラーデ村へ戻る道へ入った。
行きより荷は軽い。薬草を届けた分、籠の中は空いている。それでも足は重かった。雪道は、歩いているうちに体の芯から力を奪っていく。
「疲れたか」
エルクが振り返らずに聞く。
「かなり」
「前よりは歩けてる」
「褒めてるのか」
「一応」
エルクの声はいつも通り短い。けれど歩幅は、行きより少しだけ遅くなっていた。
森は静かだった。雪を踏む音と、時々枝から落ちる雪の音だけがある。遠くで鳥が一度鳴いたが、すぐに消えた。
アルノは息を吐く。白い息が顔の前でほどける。
「この道、ローグもよく通ってたのか」
聞いてから、少し早かったかと思った。
エルクはすぐには答えなかった。足を止めるわけでもなく、ただしばらく雪を踏む音だけが続いた。
「通ってた」
やがて、それだけ返ってくる。
「森の道、詳しかった?」
「詳しかった。俺よりずっと」
エルクは低い枝を避けながら進む。
「あの人は、迷わなかった。雪で道が消えてても、木の形で分かるって言ってた」
アルノは森を見る。どの木も同じに見えた。白く、黒く、湿っていて、静かだ。
「俺には分からない」
「最初から分かる奴はいない」
エルクはそう言ったきり、また黙った。
多くは語らない。助けられたとも、恩があるとも言わない。ただ、道を選び、歩幅を合わせ、水筒を差し出す。
それがエルクなりの返し方なのだろう。
途中、アルノは雪に足を取られた。
「うわ」
体が前へ傾く。倒れる前に、エルクが腕を掴んだ。
「言っただろ。最初に無理する奴は転ぶ」
「もう帰りだ」
「帰りに転ぶ奴の方が多い」
エルクは手を離す前に、アルノの足元を見た。
「足布、濡れてるな。帰ったらすぐ替えろ」
「分かった」
「リナに怒られるぞ」
「それは避けたい」
エルクが少し笑った。
村の煙が見えたのは、空がさらに暗くなってからだった。細い煙が雪雲へ溶けている。
アルノはそれを見て、少しだけ息を吐いた。
帰る場所が見える。
それだけで、足の重さが少し変わる。
エルクは何も言わなかった。ただ、最後の坂だけは少し先に立ち、雪の固い場所を選んで歩いてくれた。
村へ近づくにつれて、森の音が少しずつ変わった。遠くで犬が吠え、どこかの家から薪を割る音がした。静かな雪道の後では、その小さな生活音さえ妙に暖かく聞こえる。
「帰ったら、まず足布替えろ」
「分かってる」
「リナが見る前に替えろ」
「それは無理だろうな」
エルクは少しだけ口元を緩めた。
その笑い方は控えめだった。けれどアルノには、エルクがこの道を一人で歩いているわけではないのだと分かった。ローグのことを多く語らない。ただ、同じ道を歩く時だけ、ほんの少し記憶が滲む。
アルノはそれ以上聞かなかった。




