第25話 記録係の机
灯院の奥には、小さな記録室があった。
石壁の部屋だ。外より少し暖かいが、湿気はある。棚には板と紙が並び、机の上には墨壺と削られた筆が置かれていた。
紙の匂いは、薬草倉庫とも燻製小屋とも違う。
乾いているようで、どこか湿っている。大事に使われている匂いだった。
「入っていいのか」
アルノが聞くと、エルクは肩をすくめた。
「ユリウスが呼んでる」
記録係のユリウスは、細い男だった。年は若くないが、村の大人達ほど日に焼けていない。指先には墨が染みている。
「君がアルノだね」
「はい」
「ラーデの子だと聞いている。最近、倉庫でよく妙な顔をしているとも」
アルノは少し黙った。
「……すみません」
「怒ってはいないよ」
ユリウスは紙を一枚押さえながら言った。
「妙な顔をする者は、たまに必要だ」
机の上には、村ごとの記録があった。
持ち寄り。分配。炭の量。薬草の減り。粗塩の残り。冬前に足りない物。
文字は細かい。だが、ただ数字が並んでいるわけではなかった。横には短い言葉が添えられている。
道閉じる恐れ。
炭少。
熱冷まし不足。
霜根草、追加依頼。
アルノはその一行で目を止めた。
「これ、巡灯の後に頼まれる物も書いてあるんですね」
「そうだ。巡灯は運ぶだけじゃない。見る。聞く。足りない物を置いていく」
ユリウスは淡々と答える。
「村で採れる物は村へ頼む。全てを灯院で抱えると、冬前に詰まる」
アルノは紙を見る。
今年は熱冷ましが多い。腹薬は少ない。凍傷用の軟膏は去年より必要。そんな事が、細かく残されている。
「年によって違うんですね」
「同じ冬はないよ」
ユリウスは静かに言った。
「雪の早い年。腹を壊す年。怪我が増える年。冬獣が近い年。必要な物は毎年少しずつ違う」
だから巡灯だけでは終わらない。
巡灯が来る。持ち寄りを見る。足りない物を伝える。村で揃える。揃ったらレヴァンへ届ける。
その流れが、ようやくアルノの中で繋がった。
「昔、遅くなったこともあるんですか」
口にしてから、少し踏み込みすぎたと思った。
ユリウスの視線が、ほんの少しだけエルクの方へ動いた。
エルクは壁際で黙っていた。
「ある」
ユリウスは短く答えた。
「珍しい草が必要な年は、どうしても押す。雪が早ければ、なおさらだ」
それ以上は言わなかった。
アルノも聞かなかった。
記録室には、墨と紙の匂いが満ちている。
ここには、物だけではなく、冬の遅れも、足りない物も、言葉にしにくい出来事も残されているのだろう。
ユリウスは紙を閉じた。
「君が気づいたことがあれば、エルクへ伝えなさい。全部は無理でも、一つなら記録できる」
アルノは頷いた。
一つなら。
その言葉が、妙に今の自分へ合っている気がした。
部屋を出る時、アルノはもう一度だけ机を見た。そこには今日届けた霜根草の名も、ラーデ村の名も残るのだろう。小さな村の小さな荷物でも、誰かが書けば、冬の中で消えずに済む。




