第16話 ローグの名前
翌朝、巡灯達は出発の準備をしていた。
夜のうちに積もった雪が、村長の家の屋根からゆっくり滑り落ちる。まだ日が低く、村の影は青かった。吐く息が白い。
アルノはリナと一緒に、村長の家の前まで来ていた。
巡灯の荷ソリには、昨日の持ち寄りが積まれている。炭の束、木材、毛皮、燻製肉。どれも雪で濡れないように布が掛けられていた。
「これ、全部レヴァンへ?」
リナが聞く。
若い巡灯が頷いた。
「一度レヴァンへ。それから、必要な物はグランツへ送る」
「遠いね」
「だから記録するんだよ。忘れないようにね」
若い巡灯はそう言って、荷の横に置いていた記録板を確認した。
その時、風が吹いた。
紙の端がめくれる。
アルノは何気なく、その紙を見てしまった。
名前が並んでいる。
家の名前。持ち寄りの量。足りない物。短い印。
その中に、見覚えのある文字があった。
ローグ。
胸の奥が少し重くなる。
アルノは目を離せなかった。
若い巡灯が気づいて、紙を押さえ直す。
「見えた?」
「……少し」
「隠すものではないよ。村の記録だから」
そう言って、彼女は紙を少しだけ傾けた。
そこには、持ち寄りの量だけではなく、人のことも書かれていた。
ローグ。森仕事。死亡。
セラ。家事、畑、保存。病死。
アルノ家。働き手不足。リナ、家事補助。
短い言葉だけだった。
でも、それだけで十分だった。
ローグも、セラも、ただいなくなったわけではない。記録の中に、その人が何をしていたのかが残されている。
「灯院は、物だけじゃなくて人も書くんですね」
アルノが言うと、年配の巡灯が荷紐を結びながら答えた。
「人が減れば、持ち寄りも減る。持ち寄りが減れば、冬の支度も変わる」
当たり前のような言い方だった。
でも、その当たり前は重い。
「ローグは森を知っていた」
年配の巡灯が続ける。
「セラは家を持たせるのが上手かった。そういう者がいなくなれば、家の加護は離れやすくなる」
リナが俯いた。
アルノは横を見る。
リナの手は、袖をぎゅっと握っていた。
若い巡灯が少しだけ声を柔らかくする。
「責めるために書くんじゃないよ。忘れないために書く。次の冬で困らないようにするため」
アルノは紙の上の名前を見る。
ローグ。
セラ。
たった二つの名前なのに、家一つ分の重さがあった。
エルクが少し離れた所で、荷ソリの縄を直していた。こちらを見ていたのかは分からない。だが、ローグの名前が出た時、手が一瞬だけ止まったように見えた。
彼は何も言わない。
恩も、後悔も、口には出さない。
けれど、昨日の薬草の袋も、今朝の荷紐を黙って直す手も、全部同じ所へ繋がっているように見えた。
「アルノ兄」
リナが小さく呼ぶ。
「母さんのことも、書いてあるんだね」
「ああ」
「……忘れられない?」
「たぶん」
アルノはうまく言えなかった。
でも、忘れられないための紙なのだと思った。
ただ悲しむためではない。
次の冬を越すために、誰がいて、誰がいなくなったのかを覚えておく。
それが灯院の記録なのだ。
巡灯達は荷ソリを引き始めた。
雪の上に、細い跡が残る。
リナはその跡をしばらく見ていた。
アルノも隣に立っていた。
昨日まで、持ち寄りは物の話だと思っていた。
けれど違う。
持ち寄るのは、木や炭だけじゃない。
人が生きていた跡も、この国では冬を越すための一部なのだ。




