第13話 灯の下
その夜、雪は止まなかった。
屋根へ落ちる雪の音が、低く続いている。時々、積もった雪がずるりと滑り落ち、家の壁を震わせた。
リナは早めに寝た。昼間、燻製小屋へ付いてきたせいだ。小さな体には、煙も寒さも重かったのだろう。
アルノは灯りの近くで、古い布を畳んでいた。
布は何度も繕われている。端は擦り切れ、ところどころ色が違う。セラが直した跡だと、リナが前に言っていた。
母の記憶は、アルノの中でぼんやりしている。優しい声。手の温度。干し草の匂い。
はっきりとは思い出せない。けれど、家のあちこちに残っていた。
棚の置き方。針箱の中身。干し草を結ぶ紐の癖。小さな家を、なんとか春まで持たせるための工夫。
この家は、セラがいたから回っていたのだ。
「……」
アルノは畳んだ布を棚へ置く。
獣脂灯の火が小さく揺れた。昨日より煙は少ない。芯を切りすぎないよう、少しだけ整えてある。
臭いはまだある。でも、目にしみるほどではない。
灯りの下で見ると、部屋の湿り具合がよく分かった。壁際は暗い。床の隅は少し黒ずんでいる。薪の下には、湿った木屑が落ちていた。
気になる。どうしても気になる。けれど今すぐ全部直せるわけじゃない。
リナが寝返りを打った。
「……アルノ兄」
寝言のような声。
「いる?」
「いる」
返事をすると、リナは目を閉じたまま、小さく息を吐いた。
「よかった」
それだけ言って、また眠る。
アルノは少し黙った。
外へ行って戻らない人がいる。この国では、それが珍しくない。だからリナは、眠っていても確かめるのだろう。
いるかどうか。帰ってきたかどうか。
アルノは布をもう一枚取った。リナがよく使う肩掛けだ。端がほつれている。針仕事は得意ではないが、そのままにしておくのも嫌だった。
針箱を開けると、中には短くなった糸がきちんと巻かれていた。セラの癖なのだろう。小さな物まで無駄にしないよう、丁寧に残されている。
アルノは不器用に針を通す。指先が冷えて、なかなか糸が入らない。
「……難しいな」
小さく呟く。
灯りが揺れる。
部屋は狭く、湿っていて、決して豊かではない。でも、ここにはリナがいる。
アルノは肩掛けの端を少しだけ縫った。曲がっている。きれいではない。けれど、糸は通った。
しばらくして、リナがもう一度目を開けた。
「何してるの?」
「縫ってる」
「アルノ兄が?」
「そんな顔するな」
リナは眠そうなまま、肩掛けの端を見た。
「母さんみたいにはいかないね」
「言うなぁ」
「でも、やってくれてる」
それだけ言うと、リナはまた目を閉じた。
下手でも、やったことは伝わるらしい。
アルノは曲がった縫い目を指でなぞる。完璧ではない。けれど、何もしないよりはましだ。
この家は、そういう小さなましを積み重ねないと持たないのだろう。
針を持つ指先が、少しだけ温かくなっていた。
寝息が戻るまで、アルノは針を置けなかった。雪が壁を叩くたび、リナの肩が少し動く。そのたびに、ここにいると返事をしたくなる。
声に出すほどではない。ただ、この家に残っているものを、もう少しちゃんと繋いでおきたいと思った。




