第97話 初雪の棚
初雪は、朝の畑に薄く積もっていた。
リナは戸を開けた瞬間、白い息を吐いて目を丸くした。
「雪」
「うん」
「冬、来た?」
「来たと思う」
アルノはそう答えながら、すぐに共同棚のことを考えた。
雪が降れば、外の空気は冷える。家の中との差で、奥が湿ることもある。橋が凍れば荷も遅れる。
きれいなだけではない。
冬は、静かに確かめに来る。
灯院に行くと、フィアナがすでに灯りを整えていた。リナも手伝いを申し出たが、まず手を温めるように言われていた。
「共同棚を見ます」
アルノが言うと、フィアナはうなずいた。
「私も行きます」
棚の入口には、蔵守りの紙が吊るされている。絵の印もある。壺、肉、薬草、火、子供の手、灯りの順。
アルノは順番通りに見た。
入口。
左。
奥。
右。
入口。
落ち牙の木枠は、昨日より少し重くなっていた。オルドに言われた通り、まだ触らない。ただ、吊るした紐の張り方が少し変わっている。
「湿りを寄せたのかもしれません」
フィアナが言う。
「戻す火が必要ですね。でも、今すぐじゃない」
棚の奥は冷たい。
けれど、嫌な臭いはない。
布の札も湿りすぎていない。
壺の一つだけ、口元の布が少し冷たかった。
「これは前に出そう」
「悪くなりそう?」
リナが聞く。
「まだ。だから今出す」
リナは納得したように壺を見た。
「悪くなる前に動かす」
「そう」
フィアナは帳面に書いた。
「初雪の日、奥の壺を前へ。臭いなし。布に冷えあり」
カインが後から来て、棚をのぞいた。
「すげえ。何も起きてないのに書くんだな」
「何も起きなかったことも大事です」
フィアナが答える。
アルノはうなずいた。
悪くなってから騒ぐのではなく、悪くならなかった理由を残す。
それが続けば、次の冬にも使える。
リナは棚の前で小さく笑った。
「今年の棚、去年よりちゃんとしてる」
「うん」
アルノも笑った。
初雪の日、共同棚は静かだった。
その静けさが、少しだけ誇らしかった。
その日の午後、壺の布を替えた家の女が灯院に来た。
「前に出しておいてよかったよ。奥に置いたままだったら、明日の朝には黒くなってたかもしれない」
フィアナはその言葉も記録した。
大きな成功ではない。
誰かが歓声を上げることでもない。
けれど、壺一つが持つことは、その家の食事が一つ守られるということだった。
アルノは、そういう小さな数を忘れたくなかった。




