それぞれがそれぞれに過ごす
高校生も一年目の終わりに近づくにつれて恋愛を気にしている人はちらほら出てきていた。二年目になるとそれは顕著となり付き合っている人も現れる。その中で徐々に受験のこともちらつき始め、このイベントだけは彼と彼女と過ごしたいと盛り上がって張り切る。そんな流れは高校生の時間を過ごしてきた親も当然分かっているわけで。
夫、正美、会社員。会社員としてこれまで務めてきた中で、新人に指導することもあった。さらに上司や先輩をフォローする場面もあった。
それが、どうだ。
妻の小春が子育ての一貫として我が子二人に指導をしているじゃないか。
己はこのような子育ての参加の仕方をしてきているだろうか。一抹の不安が過り、正美は心の中で涙しながら妻に詫びた。
そして、先ほどの妻と子供たちのやり取りをここで聞いていて、子供たちの将来に対する気持ちが訊けたことや、今まで時折見せてきてくれていた子供たちの大人のような立ち居振る舞いに、また泣きそうになっていた。
子供たちが嫌な顔をせずに、多少戸惑いはあったらしいが、あのように母を頼らずに自分が使った食器を洗い、協力して片づけることができるなんて。
一般的に高校生を過ごせているのだから、それくらいはできると思っている気持ちももちろん持ち合わせているのだが、この時の父正美にはそんな子供たちの姿が尊いものに見えた。
正美の頭の中にミノルのセリフがこだまする。
-”楽しみにしている”
「嬉しい」
と涙ぐんでいる。
久し振りに子供の成長していることを実感する場面に出会えて、これほどに自分の中で感極まるなどという戸惑う気持ちと恥ずかしい気持ちがないまぜになって、笑えて来てしまった正美の顔は口角が上がり、泣き笑いな表情に変化していく。
ミノルはどうもはっきり言われないと気がつかない気概がある。そのミノルへサクが高校生特有のからかいが混じった声かけにも動じずあのようなセリフを言うなんて。
この前は顔を真っ赤にして怒っていたのに。ま、恥ずかしいことだから怒るだろうけれど。自分でも怒るというか人に言わないでとかからかわないでとか言いそうな出来事だった。
自分が思うよりもミノルはしっかりした子でどっしりとした真面目なタイプなんだと、この時初めて父親は知った。
「俺の子供はしっかりしてる」
と思わず呟いて泣いてしまっている正美の目に、嬉しそうなステップを踏みながら妻がこちらに駆けてくるのを発見して、しまったと思った。
急いで涙を拭って、何事もなかったかのように床に座る。
和室のこのスペースに実用書の書籍などを置いている。それを読んでいる最中ですという体で座ったのだ。
すると優しく扉を開けた小春が「おじゃまします」と言って入ってきた。
「なに?」
と何食わぬ顔をして振り向いたつもりの正美だったが、その顔を見て小春はふふふと笑った。
「なに?何か付いてる?」
と幾分緊張して尋ねると、
「うううん。嬉しくって」
と小春は答えた。バレていないかもと安堵し始めた正美は、
「そう?」
と確認するように尋ねる。
「そう」
と小春が満面の笑みで答えるので、正美はこれはバレていないと安堵した。
「よかったね」
すっかり安心した正美は、そう声を掛けた。
「もう、あなたも嬉しい癖に」
と子供のように嬉しそうにはしゃぎだしそうな妻を見て、確かに正美の中に嬉しさが溢れてきていた。当然、笑顔も自然に顔に現れる。
「そうだけど」
と正美も認めると、妻が正美に腕を組んでもたれかかってきた。
「おっ」
「ふふふ。これでミノルの性格にあう職場が見つかるように祈って行動していけば、将来の就職も安心だわ」
「そうだなぁ」
という声に小春は正美の顔を見た。すると前方のすこし上の方を見ている。何か考え事をしている姿勢だ。
「他に何か気になる事でも?」
「うん」と言った後に、正美は小春の顔を見た。
「職業も合うものがいいだろうけれど、何よりも一緒に働く人、特に先輩や上司に恵まれますようにってお祈りしなくちゃね」
まぁ、そうだった。人間関係大切だものね」
「そう、ビジネスの現場でも生活の面でも、訊ね方や尋ねられた時の対応の仕方。その受け応えの仕方って大切だろう。意思疎通を上手くできるように、相手と確認し合って進めていけるような。それでいて嫌がらずに一個一個進んでいくようなさぁ」
「まぁ、それは嫌がってもいいじゃない。人ですもの」
「そうなんだけれど、いざって時はできるような形に持っていけるようにするとってことだよ」
「それはあなた働き出して何年目の方がもつ目標よ」
「ああ、確かに」
もう一度小春の顔を見ながら確かにと繰り返して笑った正美。それを見つめる小春の目は嬉しそうだ。少し身を乗り出した小春はもう一人の子供のことを夫がどう考えているのかと問うた。
「サクは?あの子は?」
「彼女は物怖じもせず人見知りもしない。菊池君の件があっても堂々とクラスで過ごす子だ。言葉を柔らかくすればぶつからずに過ごせるけれど。ぶつかっても謝れる子だから。あまり俺は心配してない」
ひと呼吸おいて、
「むしろどんな職に出会えるのかということを心配している。あの子ならサポートに回ってもやっていけるだろう」
そういうと笑顔で正美が言う。
「サクの場合はどんな仕事に興味を持つのかが楽しみなんだよ」
夫のきらきらした眼差しに小春は、視線を目から離さずに同意した。
「確かに」
兄をからかう姿も時々あるが、サクは基本的に兄や菊池に優しい。学校のある朝でも、菊池がうちでご飯を食べているのを嫌がるそぶりを見せたことはない。はじめこそ驚いてはいたが、それも直ぐにそんな態度もなくなり、必要な物を取って持ってきてあげることすらある。
そして出かける時間となると、たいていサクが先に靴を履き終る、そして履き終わった後に、二人が履き終わるのをまったりとしながら待っているのだ。苦でもないのか文句も言わずに見守っている時もあるし、履きやすいようにスペースを開けていたりもする。
それを思い出した小春は、サクを演劇の出演者をサポートする世界を紹介してはどうかと思ったが、職人さんたちの世界だ。
職人さんに気に入ってもらえないとなかなか厳しい世界。あの子は冷めているからよっぽど熱を上げていないと、言われて居るという感覚に陥ってしまいかねない。それは小春にとって耐えがたいことだった。それなら彼女自身の好きな世界で生きていって欲しい。
「自分の好きな演劇の世界って思ったことも正直あったけれど、これはおわずけになりそうね」
正美は小春の言葉に思わず笑っていった。
「おわずけって、もう。もっと演劇の世界で生きていきたかった?」
小春は小首を振る。
「違うの。後悔はしていないわ。むしろ幸せよ。ただやっぱり好きな世界だから、誰かと共有して楽しみたいって欲求が溢れてきてね」
「あはははは。確かに、ここのところ忙しくしていたのか、映画をゆっくりふたりで見たりする時間も少なかったもんね」
「そう、デートもあの時が久し振りだったし」
「そうだね。確かに。もう少しデートしたいよね」
「そうよ!」
「今度はショッピングも行こうよ。観劇はまた見たいものあって予定合ったら行こう」
「もうあなたもいい年なんだし、もうそろそろもう少し有給どうにかならないかしら」
「あはは、そうだね。じゃ、なるべく早めに教えてよ。頼んでみるから」
「わかったわ」
と夫婦は抱きしめ合った。抱きしめ合いながら、ゆったりと少し左右に揺れる。
「うーん。しっかり毎日顔を合わせて過ごしているはずなのに、こうして夫婦として楽しんでいる時間少ないみたい」
「そうだね。俺もそれを感じているよ。ママパワーが足りてなかったみたい」
「ほんとそうだね。私もパパパワーが足りてなかったみたい」
小春が少し身体を離して、正美の顔を見て聞いた。
「あの子たち、高校生になっているじゃない?」
「そうだね」
「彼女とか彼氏って単語あまり聞いてないんじゃない?」
「え、そう?」
正美はそこまで子供たちの言動を目にしてこれていないのか分からなかった。
「私たちみたいに出会えているのかしら、自分にとって大切な相手に」
「あはははは。出会えているさ。彼氏じゃなくともよい関係性を築けているだろうサクは」
「サクはそれで周りの女性とたちと距離が開いていないと良いけれど。私はミノルの方が心配で」
「ミノル?」
「そう。あの子自分に好意を寄せている人物を自ら察知して対処するってこと苦手だろうし」
「ああ」
と正美は容易にその姿が想像できたので、恐らくそうなのだろうと思った。
「何がそんなに心配になっている事柄でもあるの?」
小春がこういうってことは自分自身にもその件で何かあるのだろうという時は特に、このような物言いをする。
「だって、あの子あのままでつき合いすらままならなかったら、私母親としてあっちへこっちへ駆けまわってお相手を探さなくちゃって考えたら、もうどうしようって思っちゃって」
「ママ!」
驚いた正美は自分の方へ妻小春の意識を向けるようにして呼びかけた。
小春が正美の目を見る。
「ママがそこまで考えて悩むことはないよ。それにそのことの件で悩んでいるママが存在するなら、僕も一緒になって悩んで探し回っているはずだよ」
「そうよね」
「そうだよ」
「どうしよう」
「ママ、まだ気が早いよ」
「それでもそういう話しがちらほら聞こえてくる年頃でしょう。友たちのそういった話しもあの子たちしないじゃない。友たちが付き合っていることああだったとかこうだったとかで怒ってるとか仲直りしたとかいう話しとか」
「確かにねぇ」
「なんだろう。プライベートは秘密にしておいてあげようとか言う気配りしたいとかして欲しいの気持ちがあるのかなぁ」
「ああ、確かに。それか、そうね。それだわ」
「それなら、あまり話題に上らないわけだよ」
「それならよかった」
納得して安心したからかすっきりしたら小春は小腹が空いたようで、小さくぐうっとなった。
「あら、やだ。恥ずかしい」
と、小春はお腹を押さえた。正美はそんな妻にほほ笑んで、
「安心したようでよかったよ」
と小春を立たせて自らも立った。そして二人でキッチンへと向かう。
子供たちは二人とも自分の部屋に戻っていったみたいで姿は見えなかった。
流しの状態を見ると、サクの指示なのかしっかりと水も拭いてあり、ちゃんとこなしてあった。小春としては大満足である。
正美は食べ物を探しているようで、冷蔵庫の野菜室から果物を取り出した。小春はその姿を見て、いつの間に自分の夫はここに買っておいた果物があることを知ったのだろうと考えて、天を仰いだ。
「仕方ない、一緒に食べよう」
「あ、ああ。うん」
妻は戸惑う気持ちが生まれるより前に夫のセリフに注視する。
「あれ、飲み物も用意しようよ」
そういえば自分も飲み物を用意していなかったことに気が付いた。
「じゃ、今日はあなたが入れて」
「いいけど、なんだか久し振りに淹れるから、どうかな」
「ははは、大丈夫、お願い」
「わかった」
妻はさっさと果物を持ってソファに移動して、自分の好きな演劇を再生させた。その様子を振り向いて確認した夫正美は、お茶やコーヒーを淹れて、さらにお菓子も持ち出して妻のもとに向かう。
「ふふふふふ」
「あはははは」
と二人の方が子供のようにはしゃいで楽しそうにしている。
彼ら夫婦としては久し振りの寛げる空間となったリビングのようすに快くした猫も駆け寄って寛ぎ始めた。
まるで付き合い始めてからの二人に戻ったかのような雰囲気である。
主人公のアップで撮影されて映っている顔が画面に映し出されて、後ろ向きにひきの姿が映った。そしてさらに町全体が見えるようにひいていく画に夢中の妻。その輝く瞳を見つめる正美の表情にも、その輝きが宿ったようだった。
すっかり二人の雰囲気になって入った頃。子供たち二人はこっそりそれぞれお菓子や飲み物を持って自分たちの部屋に戻った。
サクは部屋に入って、好きな音楽をかけて楽しみながら過ごしている。兄のミノルは言語化というワードを検索して自分なりに取り組み始めた。
二年生になって振り返っていると、そもそも一年生の時にもと思って、ノートにそのことを書き連ねて、当時の簡単で明確な情報を書きだしていく作業を行っていく中で、自分のその時の気持ちにも向き合って、さらにその場にいた人や友がどういう言動をしていたのかを書き連ねる。
書いていく内に胸がスーッとなって体が軽くなるようだった。
お菓子を食べながら読み返してみると、どうしてそうしたんだと自分で自分の過去の行動について思うこともあった。その思いを赤いペンで書いていく。それだけですっきりした。
そうして過ごしている内に時間はミノルが思うよりも過ぎていた。
「頭を使った後は運動だ!」
とまともなことを言って、ノートを閉じると、椅子から立って、開いているスペースに移動する。ストレッチをし始めて、その後に軽めの筋トレをしてさらにその場で足踏みをする。しばらくそうして居たのだが、窓の外の気持ちの良さそうな天気に惹かれて、出かける準備をする。外に出て歩きに行こう。
そうして体を動かした方がすっきりする。
ミノルは楽しそうに準備をして出かけていった。
サクはそんなミノルの姿を自分の部屋の窓から眺めて人知れず見送っていた。
親になったことがないですが、親と子の高校生の恋愛と将来の仕事についてのいいとこどりのバランスを取って、恋愛もうまくいき、親とも和解して、就職や進学もうまくいっている高校生はそういない。恋愛で涙を呑んで進学や就職していく若者は多い。恋愛も親ともうまくいっている人で、進路もうまくいっている存在はもうオールラウンダーのツワモノくらいだ。
だから高校生活で何かうまくいってないなぁと思っても心配いらない。たいていの人がどれかだけでもと一生懸命になって過ごしている姿が眩しいんだよ。
そしてそんな輝きは高校生活で起こるとも限らない人も存在している。
自分の気持ちに正直に何かひとつ丁寧に応対して生きていけばきっと救われるさ。
大人はたいていこんな感じに若者へ祈っているもんだよ。




