第20話 拾い物
どうやら俺は女運が悪いらしい。
とりわけこの島の女に至っては。これでもそこそこ顔はいいし身長もある。傭兵業で培った筋骨隆々の逞しい身体は、脱げば大抵の女は目を輝かせて擦り寄ってくる。あっちの大きさも手技も、そんじょそこらの男娼には負けない自信がある。
それなのに。
念願の神域に来た初日には勝手に娼婦をあてがわれ、必死に貯めた金をがっぽり持っていかれた。おまけになんでかそこの女店主に気に入られちまったもんだから、傭兵業のかたわら宿の面倒ごとまで押し付けられて、いつの間にか使い勝手のいい用心棒みたいな立場になっちまってる。それならそれで宿代くらい値引きしてくれたっていいのに、あの女店主は一向に首を縦に振らない。それどころか気を抜いたら勝手に女をホイホイ送り込んで来やがる。たまったもんじゃない。
そして極め付けが——コレだ。
野営の焚き火の傍ら、薄汚れた俺の外套の下で目を閉じている女。いや、まだ少女と言ったところか。赤々とした火の灯りが頬に長い睫毛の影を落としている。
神域を救いに来た、なんて大口を叩いても、具体的にできることといえば増え続ける魔物の討伐くらいだ。そもそも災厄の原因なんてたかだか傭兵ひとりの身分でわかるわけもなく、ただひたすら依頼をこなして日銭を稼ぎながら情報を集めるのが関の山。今日だっていつもと変わらず仕事を終わらせて、いつもの宿でいつもの酒を飲みながら、いい女でもいれば抱いて寝ようと思っていたのに。
——拾っちまった。
死んでりゃ手厚く葬ってやろうかと思ったんだが、息があった。身なりはだいぶ上等で、おそらくどこぞのお貴族のお嬢様なんだろう。こんなところで気を失っている理由はわからんが、魔物がうようよいる森の中に生きている人間を放っておく趣味はない。俺は意外と優しいのだ。
目立った怪我もない。頭でも打っているのか。下手に動かすと身体に障るかもしれない。日が落ちかけていた森、女を担いだまま抜けるのは厳しいと判断した俺は、池のほとりに手頃な洞窟を見つけ、そこで夜を過ごすことにした。
薄暗い洞窟の奥、岩肌から滲み出る水がぽつりぽつりと床を叩く音だけが響いていた。入り口近くに焚き火を起こし、湿った空気を押し出すように煙を流す。炎が赤々と揺れ始めると、ようやく冷えた指先に感覚が戻ってきた。
焚き火で炙った干し肉を齧る。熱で暖まりいくらか柔らかくなったそれは、噛むほどに旨みを増して、余計に腹を減らす。とりあえずの非常食だけでも持っておいて良かった。そう思いながら小さな小瓶に入った琥珀色の液体を少し喉に流し込んだ。喉が焼けつくような強い酒。ぬるりと喉を通って肋骨の間に溜まり、そこからじわじわと体が温まっていくのがわかった。常春の国といえど、やはり夜の森は冷える。
俺は洞窟の入り口越しに西の空を眺めながら、月見酒と洒落込んだ。
獣の唸り声も、草を掻き分ける音も、鳥の羽ばたきも聞こえない。静かな夜だった。風もなく、池が鏡のように西に傾く月を映している。月光が注ぐ音さえ聞こえてきそうな、そういう静けさだった。
この国の月は、どこか違う。
そう感じるようになったのは、この地に来てからだ。故郷の月より近くて、大きくて、まるでこちらを見ているみたいな目をしている。月神がいる国だと聞いたが、そういうことなのかもしれない。もっとも月神だか何だか知らんが、この国の今の惨状を見てほったらかしにしているなら、たいした神じゃないと思う。
「んっ……」
外套の下で少女が蓑虫みたいにごそごそと動いた。手足を縮めた姿は、丸まった猫のようだ。
「暁月……」
寝言と共に、閉じた瞼から一筋の雫が落ちる。
アカツキ。
聞き慣れぬ言葉だ。月の名前だろうか。それとも少女の想い人か。どちらにしても、その一言に込められた重さが只事ではない気がした。呼び方というのは不思議なもので、声に出した時の切実さで、その言葉の持つ意味がわかる。それは恋人を呼ぶ声でも神に祈る声でも、どこかこのふたつに似ていた。
ひとつ、またひとつと溢れてくる雫を指で掬い、栗色の砂糖菓子みたいにふわふわした頭を撫でた。
俺は夢で泣く人間が嫌いじゃない。眠っている間くらい全部忘れて、ぐうぐう寝ていればいいのにと思う一方で、それができない人間の背負っているものの重さを知っているから。傭兵稼業で、そういう奴を何人も見てきた。戦場で死んだ仲間の名を呼びながら夜中に目を覚ます男、故郷に置いてきた子供の名を夢の中で呼び続ける女。眠っている時にしか、泣けない人間がいる。
あんたが何者なのかは知らないが、せめて夢の中くらいは自由で楽しいものにしてくれよ。
外套をかけ直してやり、最後にもう一度、薔薇色の頬に触れる。涙は止まっていた。
洞窟の入り口に戻り、焚き火に薪を焚べる。外は相変わらず静かだった。愛用の大剣を膝に抱き、岩壁に背を預ける。耳を澄ませたまま、瞼を閉じた。
この国に来て何ヶ月になるだろう。情報を集めれば集めるほど、何かが見えそうで見えないもどかしさがある。魔物の異常発生、枯れる作物、濁る水。まるで大地そのものが腐っていくみたいに、この国の均衡が崩れている。
傭兵ひとりにできることなど高が知れている。そんなことはわかっている。それでもこの国に来たのは、子供の頃から信じてきた神話があったからだ。月の神が星の伴侶と共に守る大地。争いのない常春の楽園。そんな場所が本当にあるなら見てみたかった。そして今、確かに自分はその場所に立っている。
でも楽園なんてどこにもなかった。
あったのは、少しずつ滅びかけている美しい国と、誰も答えを知らない謎と、泣きながら眠る名も知らぬ少女だけだ。
——まあ、いいか。
俺は根がお人好しなのだ。どうせ明日になれば少女は目を覚ます。そうしたら名前でも聞いて、事情を聞いて、必要ならば安全な場所まで送り届けてやればいい。それだけのことだ。
池に映った月が、ゆっくりと傾いていく。
炎が揺れ、少女の頬を橙色に染めている。その寝顔は、なんというか——泣き終わった後の顔だ。荒れていた何かが静まって、ただ疲弊だけが残っているような。こういう顔をする人間は大抵、相当なものを抱えている。
俺は目を閉じたまま、耳だけを夜に向けた。
虫の声も聞こえない夜の森は、まるで息を潜めているみたいだった。




