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夜明けの皇子と宵の月  作者: 月夜洸星
第一章 夜明けの星

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第18話 また明日

皇帝の部屋を辞したその扉の先には、幼い頃からよく見知った顔があった。ただ、その髪を除いて。


「セシリア……」


宵闇に溶ける黒いドレスに着替えたその少女は、銀色の鎧を脱いでもなお、月明かりを背に真っ直ぐにこちらを見ていた。銀色の双眸が心なしか海の波のように揺れている。


「シエル……あの……」


ぎゅっとドレスの裾を握る。言いたい言葉はたくさんあるはずなのに、いざ面と向かうとそれは喉元で詰まり、乾いた空気だけを何度も飲み込んだ。


シエルレインは静かにセシリアに近寄り、短く切り揃えられた銀糸の髪にそっと触れた。紫水晶の瞳に、影がさす。


セシリアの体が震えた。


三年ぶりに会う幼馴染であり愛しい婚約者は、記憶にあるよりずっと大人びていて、そしてさらに見る人を惹きつける魔性のような魅力を増していた。私が変えてしまった、その黒い仮面と黒い襪に覆われた部分がどんなに醜かろうと、明けの明星は世界で一番美しく輝く星だ。この人のためなら私はなんでもする。たとえ神や悪魔に魂を売ることになっても。死ねと言われれば喜んで逝ける。その覚悟はとうにできている。


「綺麗だね、セシリア」


眩しそうに、ただ一つの瞳を細めて、シエルレインは微笑んだ。そこに嘘も偽りも、悲哀も憐憫もなかった。ただただ綺麗なものを見て、心からそれを讃えている。


セシリアはそこに、三年前と変わらないシエルレインを見た。純粋で無垢な、私の大切な、人。


銀色の双眸からとめどなく雫が溢れていた。それは月の光を含み、輝石のように頬を伝う。泣いてはいけない。セシリアは笑おうとした。けれどどうにも唇が言うことを聞かない。泣き笑いのような、くしゃくしゃになった顔。こんなのシエルレインには見せたくないのに。


突然、視界が星に包まれた気がした。


頬から伝わる温もりの向こうに、規則的な振動を感じる。それはとても優しくて、とても愛しくて、余計に雫が溢れて止まらない。


「もういいんだ。もう苦しまなくていい。遅くなって、ごめん」


「シ……エル……」


純白の胸元を掴む。もう、堪えることができなかった。顔を埋め、声を殺してセシリアは泣いた。


シエルレインは白い左手で嗚咽に震える小さな肩を抱き、黒い手で銀糸の髪を梳いた。その後ろに控えていた上弦と下弦は何も言わず、ただその翡翠と紅玉の瞳を二人に向けていた。漆黒と純白が寄り添い合う姿を、言葉もなく見つめていた。


ひとしきり感情を流し、落ち着きを取り戻したセシリアはシエルレインの腕を離して赤くなった瞼を拭い、先刻よりも強い光を宿した銀の瞳で純白の皇子を見た。


「シエル……話すべきことはたくさんあるのだけど、まずは暁月様に会って。全ては彼の方が語ってくれます」


上弦はその翡翠の瞳を細めてゆっくりと頷き、下弦は燃えるような紅玉の瞳を輝かせて微笑んだ。


「セシリア様は全部知ってるんです。三年前、あなたが眠りについてから今日まで、俺たちは共に、シエル様をお救いするために動いてきた。今は何を語ってもシエル様にとっては分からないことだらけでしょう。だから……」


言葉を詰まらせた下弦の代わりに、上弦が口を開く。


「……暁月様が、待っています」


紫水晶と銀と翡翠と紅玉が交わった。窓から吹き込む夜風に、月の香りが混じっている気がする。それぞれの髪を揺らして、風は回廊を通り過ぎた。


「うん、いってくる」


シエルレインはセシリアの前に跪き、その手を取った。


「セシリア、僕は君を婚約者にするといったことを、反故にする気はない。僕はこの国の皇子で、国を継ぐものとしてしなければいけないことをわかっているつもりだ。けれど暁月のことは……」


セシリアも身を屈め、シエルレインの手にもう片方の手を重ねてそっと握る。


「大丈夫、シエル。わかってる。私も、私が成すべきことをする。あなたがこれから紡ぐ未来を守るのが私の役目だから」


朱金の皇子と銀色の少女が微笑み合う。それはまるで幼い二人が戯れ合うような、温かい光景だった。二人の間には言葉にならない多くのものが流れ、しかしそれで十分だった。


「暁月様は——」


上弦の言葉をシエルレインは穏やかに遮った。


「どこにいるか、多分わかる。この夜を超えたら一緒に朝日を見ようって言ったから」


上弦はそれ以上何も言わなかった。目を閉じて微笑むシエルレインの横顔を、ただ見つめていた。


少しの間をおいて、下弦が口を開く。


「……魔女が去ったとはいえ油断はできません。我々はセシリア様を、十六夜と十三夜がシエル様と暁月様を近くでお守りします」


「うん、わかった。……みんな、本当にありがとう。また明日、会おう」


また明日。


そんな言葉が聞ける日を、暁月も四人の従者もどれだけ待ち望んだだろう。上弦も下弦も、込み上げるものが胸を締め付け、言葉を発することができなかった。ただ何度も頷いては、瞳から溢れそうなものを必死に堪えていた。


シエルレインは立ち上がり、月の回廊へと歩き出した。


その後ろ姿を見ながら、セシリアはゆっくりと息を吐いた。胸の奥にまだ抱えているものがある。この夜が終わっても、自分が成すべきことは終わっていない。それでも——今この瞬間だけは、ただ見送ることができる。


「シエル……また、明日」


月光に照らされた銀色の少女は、月の回廊を歩いていく星の皇子を、その姿が闇に溶けるまで、いつまでも見つめていた。

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