表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜明けの皇子と宵の月  作者: 月夜洸星
第一章 夜明けの星

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
18/22

第17話 レインという名の意味

満月が西へ傾き、皇宮内がまるで何事もなかったかのような静寂に包まれている夜更け、皇帝の私室に灯りが灯っていた。

三年ぶりの家族の再会である。本来なら喜びに満ちた時間であるはずなのだが、皇帝も皇后もシエルレインも、言葉にできない複雑な表情を浮かべていた。祭殿で起きたことの重さが、まだ三人の間に漂っている。


重苦しい空気を解いたのはシエルレインの母、皇后アルタイル・アステル・ド・ルナリアだった。


「シエルレイン……」


純白の衣に身を包む我が息子に近寄り、両手を取る。その胸に押し抱き、祈るように握りしめた。

眠りに落ちる前は母を見上げていたはずなのに、今ではその細く華奢な肩を見下ろしている。背が伸びたんだな。改めてそう感じていた。


「母上……おひさしゅうございます。お変わりはありませんでしたか」


「ええ、このとおり。貴方を思わない日は一日とてありませんでした、シエル。本当に、よく生きて……」


握られた手を解き、震える母の肩をそっと抱いた。暁月以外の肌の温もりを、久しぶりに感じる。傍にいたレグルスも、たまらず二人を抱きしめた。まだ、父の方が背が高い。それでも大きく見えたその体は、心なしか以前より痩せているように思えた。


「シエル……ああ、シエルレイン。私たちの大切な息子よ、よかった……この夜を終えることができて」


「父上……」


レグルスの背に手を回し、撫でるようにゆっくりと抱く。父も母も、三年ぶりの息子との対面の感動よりも、長く巨大な恐怖から逃れられたという安堵の方が大きく感じられた。おそらく二人は知っていたのだろう。成人の義で何が行われるかということを。


再会の喜びをひとしきり味わったところで、三人は客間のソファーにそれぞれ腰掛けた。いつかの暁月の訪問と同じように、レグルス自らベニマの茶を注ぐ。柑橘の香りが、静かに部屋に満ちた。


「……父上、母上、お二人は知っていたのですね」


何が、という言葉はいらなかった。レグルスとアルタイルは懺悔する罪人のような瞳でシエルレインを見つめた。


「……ああ。知っていた。皇家には代々伝えられているとある口伝がある。皇帝から次の皇帝となる者へ、即位の際にのみ伝えられるものだ」


レグルスは息を吐き、目を閉じて言葉を紡ぎ始めた。


「月神の御代より、この国に伝わる定めをここに伝える。

数世代に一度、世界に厄災をもたらすものが生まれる。

それは明けの明星、名はシエル。

星が成人の齢を迎える時、

外界より来たりし災厄の力が目覚め、

大地を腐らせ、民を狂わせ、世界を滅びへと導く。

満月の夜、星の命を月神へ捧げよ。

さすれば力は封じられる。

これは月神との契約である。

皇帝よ、その手を汚すことを恐れるな。

星の伴侶は月へ還り、世界は守られる。

そはこの国の皇帝に課せられた、大いなる使命である。

この定めに背く者は、国と民もろとも滅びを迎えるだろう」


シエルレインはその口伝と、祭殿で聞いた魔女の言葉を重ね合わせていた。


——星月をその手にかける暁月がたまらなく美しかったから……それから何度か同じことを繰り返すうちに、皇帝達が勝手に『明けの明星は成人の儀の日に処刑される』なんて慣習をつけるんだから。おかしいったらなかったわ。


魔女の気まぐれが元で、歴代皇帝により慣習となったそれが、神代からの使命と錯誤された。おそらくこの口伝はそうして出来上がったものだろう。自分の子に明けの明星が生まれなければいいとどれだけの皇帝が願っただろう。そして明けの明星が生まれた時、どんな絶望に苛まれただろう。現にレグルスとアルタイルは、シエルレインが生まれてから今日までどのような心持ちでその成長を見守ってきたのか——その心痛は計り知れなかった。


「……私は、口伝など迷信であるとどこか他人事のように思っていた。だが、お前がその見た目を持って生まれた時、私は喜びと同時に底の見えない絶望に震えた。十数年後、私がこの手で愛しい息子を殺すのかと」


アルタイルはその手をそっとレグルスに重ねる。二人の指が絡み合った。


「月神を心底恨んだよ。要するに口伝は、世界を救うために月神に生贄を捧げよということだ。そんなことなしに世界を救えない神など必要ない——自分の手でなんとかできないものかと、ありとあらゆる手段を尽くした。だが駄目だった。私たちには厄災がなんなのか、その力の源さえもわからないのだから」


蜜蝋の灯りが、太陽の色をした茶の中で揺れている。シエルレインはその光を飲み込むようにゆっくりと一口味わい、レグルスの言葉を待った。


「……三年前、暁月様がこの地に参られた日——そう、お前が事故にあった日だ。私は全ての真実を暁月様から聞かされた。そして私に言ったのだ。お前を救う方法を見つけた、と」


「暁月は……月神、なんだね」


レグルスはゆっくりと頷いた。


「そう、暁月様は月神。そしてお前は神代の頃、月神と共にあった星の伴侶——星月の生まれ変わりだ」


「星月……」


その響きに、胸の奥底にぴりりと小さな火花が走る。これはきっと、もう取り戻せない時の痛みを、自分の中の星月が感じているからだろう。


「暁月と星月、そしてお前も知っている暁月様の側仕え達の名。これはこの国が神域と呼ばれていた頃の文字だ。月神に仕える四神と、星の伴侶のみに与えられた神聖なもの」


「星の伴侶……それが、僕」


シエルレインはその掌を見つめた。黒い襪に包まれた右手と、白く滑らかな左手。


「星の伴侶、すなわち明けの明星は星月の魂を持った生まれ変わり。その者にはシエルという名をつけるのが決まりとされていた。……けれど私は、お前が生きられる未来を願った。たとえ一千年の間変わらない因習だとしても、今度こそ変えられるかもしれない。いや、変えてみせる。そう想いを込めて、お前の名に『レイン』を加えたのだ」


「シエル……レイン」


レグルスはシエルレインの頬にそっと触れた。


「レイン——天空から降り注ぐ雨という意味だ。雨は全ての命の源。時に激しく、時に優しく、永遠にこの大地を育み愛しむもの。星の伴侶としての生を取り戻すことが、果たしてお前の幸せなのかはわからない。だがどんな道であっても、お前が長く生き、幸せでいられるように……」


「父上……」


頬に触れる手に、自分の手を重ねた。確かな年齢を刻んだその手は、僅かに震えていた。


「お前はこの夜を生きることができたが……まさかメルウィントが……厄災の源だったとは……」


レグルスは項垂れ、その両目から溢れそうな感情を必死に堪えた。何か言葉を紡げば一瞬にして決壊してしまいそうだ。アルタイルは夫の手をきつく握り、ただ静かに目を閉じていた。


「メルは……元々魔女だったのでしょうか」


シエルレインは静かに口を開く。


「あのリリスという者は、あの時初めて目覚めたわけではなく、元々全てを知っているようでした。……メルが生まれてから今まで、僕はあの儀式の際に発現しかけた力を全く感じたことがなかった。どんなに恐ろしい魔女とはいえ、それほど長い間自分を偽ることができるでしょうか」


レグルスに触れる手を離し、自分の胸に当てる。魔女が力を発現しようとした時、ここの奥底に感じたあのぬるりとした情。そして鈴の音のような声。


「それに僕はあの時、確かにメルウィントの声を聞いた。彼女が力の発現を止めてくれたのです。魔女は自分の魂を自由に宿らせることができると言っていました。おそらくメルの体には、魔女とメルの二つの魂がある。魔女の魂だけを消し去ることができれば、メルウィントは戻るかもしれない」


レグルスは面を上げ、シエルレインを見た。


黒い真鍮の半面と美しい曲線を描く半面。そのただ一つの瞳に宿る光は、夜明けを思わせるほど強く輝いていた。それを見る者は誰しも希望を抱くに違いない。それほどに、この紫水晶の瞳は見る者の心を揺さぶる力を持っている。


「シエルレイン……私はお前もメルウィントも失いたくない」


堪えきれず、涙がレグルスの頬を伝った。シエルレインは黒い襪に包まれた手でそれをそっと拭う。敏感な肌のせいだろうか、その涙はとても熱く感じられた。人の熱というものは涙にもこもるものなんだな、と、シエルレインは頭の隅で思っていた。


「僕もです、父上。一千年の間この夜に死ぬ運命だった僕が、今ここに生きています。きっと、メルウィントを取り戻す方法もある筈です。暁月は僕を救う方法を見つけたと言っていた。彼ならば何か知っているかもしれない」


シエルレインは立ち上がり、窓の向こうの月を見た。いくらか傾き、凪いだ黒い海にその黄金の光を伸ばしている。


暁月が泣いている。ふとそんな気がした。


「暁月に会ってきます。この夜を越えたら全てを話してくれるって、約束したから」


月の光を浴びて微笑むその面は、言葉を失うほど鮮烈な美しさだった。明けの明星、星の伴侶。そんな二つ名を持つシエルレインはこの夜を越えて、月の神とどのような生を歩んでいくのだろう。


レグルスとアルタイルは、シエルレインを見つめながらただ頷くしかなかった。

扉が静かに閉まる。二人は暫く動かなかった。


灯りの中で、ベニマの茶だけが冷めていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ