第15話 寂しそうに見えるから
瞬間。
祭殿に一陣の風と光の粒が舞った。暁月の漆黒の髪が逆立ち、見開かれた双眸は凍えるように冷たい。
「黙れ……!」
白い指先に光が集まり、鋭い短剣を模る。その切先が紫色の瞳の少女に向く。
「待って、暁月!」
メルウィントを庇うようにシエルレインが立ちはだかった。短剣を自分の胸に当てがう。暁月は怯み、その光をかき消した。
「僕に……話をさせて」
「シエル様!」
「それは危険すぎるわ!」
暁月が言葉を発する前に十六夜と十三夜が声を上げる。上弦は側に寄らせまいと分厚い壁のように立ちはだかり、下弦は臨戦体制を崩さない。
「シエル」
暁月の声は低く、押し殺したようだった。
「下がれ」
「嫌だ」
シエルレインはただ少女を見たまま、静かに言う。
「今は僕に任せて」
暁月の奥歯が軋む音がした気がした。しかし動かない。数千年を生きてきた神が、齢十七歳の皇子に止められている。その事実が、この場の空気をさらに複雑なものにしていた。
十三夜は蒼玉の瞳を細め、少女とシエルレインを交互に見ていた。魔杖を握る手は緩めない。しかしその表情には、止めるとも進めるとも言わない、静かな待機の色があった。
上弦は無言のまま、大剣の柄を両手で握り直した。
「シエル……いえ、お兄様、私にどんなお話があって?三年ぶりの再会を喜ぶのかしら。それとも星月として一千年の恨み辛みをくださるのかしら」
シエルレインは自分の瞳と同じ色をした少女に、穏やかに声をかける。
「君はメルウィントじゃない、他の誰か……さっきの名前、リリス、でいいのかな。ごめんね、君は僕のことをよく知っているようだけど、今の僕には君の記憶がないから、何を言ってあげればいいかわからない。『僕』は、何も知らないから。ただ君は……暁月のことが好きなんだね。そして君が力を発現するとどうやら良くないことが起こるらしい。それを止めるために暁月達は長い時間をかけてきた。そういうことでいいんだよね」
「だったら?」
「僕は君に、何をしてあげられる?」
「……は?」
二つの紫水晶が大きく見開かれる。
「君の力を返して欲しいならそう努力する。どうすればいいかわからないけど、暁月もみんなもいるし、時間がかかっても何か方法があるはず。暁月の心が欲しいなら、それは僕にはどうしようもないから……暁月に委ねるしかない。過去に君が何をしてきたのか、どんな罪があるのかわからない。この先思い出すことがあるのかもしれない。けど……」
星を宿したような一つの目で、妹の中にいるもう一つの魂を見ようとした。
「今日初めて話した君は、とても……寂しそうに見えるから」
見開かれた瞳に朱が宿った。少女の纏う空気がチリチリと音を立てるように焼けついていく。
「お前が……それを言うのか」
その言葉と同時に、祭殿の空気が変わった。
下弦が低く舌を打つ。十三夜の魔杖の宝玉が青白く点滅し始める。十六夜は一歩前に出た。暁月だけは動かなかった。ただ、その金色の瞳がシエルレインの背中に注がれていた。
瞬間、シエルレインの中の何かが蠢いた。
赤くて黒くて、熱くて冷たい——蛇のようにじわじわと全身に広がっていく、痛みにも似た感情の奔流。これが魔女の力なのか。指先から、唇から、髪の一本から、ありとあらゆる体の器官から溢れて飛び散って爆発してしまいそうな。欲望、嫉妬、憎悪——そういう類の感情だ。抗いがたく、悪なるものに唆され犯され浸され奪われていく。なんて恐ろしく、なんて甘美なのだろう。意識がまるで眠りに落ちる前のように薄らいでいく。
ああ、だめだ。こんな気持ちに染まってしまうなら、いっそ——。
「シエル!」
暁月の声が遠い。
十三夜が魔杖を少女に向けた。十六夜の長剣の刃に琥珀色の光が宿る。上弦と下弦が同時に動き出す——その全てが、水の中の出来事のようにゆっくりと、遠く感じられた。
(いけない!お兄様……!)
急激に頭の中が明瞭になり、意識が戻ってきた。
シエルレインは胸を押さえて蹲る。瞬時に暁月がきつく抱いた。
「シエル!シエル……!」
悲しみと絶望を秘めた声色。黒衣の向こうから伝わる鼓動が早鐘のように鳴っている。暁月もこんなに取り乱すことがあるんだな、と、温もりを感じながらシエルレインは思った。
四人もシエルレインの周りに集まった。十三夜がすぐさまシエルレインの肩に手を触れ、治癒の温もりを流し込む。十六夜は少女を油断なく見据えたまま、魔杖の切先を向け続けていた。上弦と下弦は二人の周囲を囲むように立ち、外側を守る壁になった。
「大丈夫だよ、暁月」
安らぎを渡すように、暁月に触れる。
「メルウィントが、助けてくれた」
「……お前の、妹が……?」
腕の中のシエルを見やり、暁月は問う。その金色の瞳は、少女を見ていた。少女の奥にいる、もうひとりを。
少女はその視線を受けて、ほんの一瞬だけ、表情が揺れた。
甘ったるい毒の笑みの奥に、何か別のものが覗いた気がした。それが何なのか、祭殿にいた誰もが言葉にできなかった。
ただシエルレインだけが、その揺れを見ていた。
やっぱり、と思った。
君は寂しいんだ。ずっと、ずっと。




