さらなる不穏
「はい、もしもし」
繋がった。
男の声だ。
年齢は掴みづらい。
どんな些細な情報でも欲しいという感情が
先走った行動が故に、
自分の第一声が決まらない。
思考しろ。
能動的な思考を。
馬鹿正直に、
「初めまして
知らない人から番号教えられて掛けてみました」
なんて言おうものなら阿呆の極みだろう。
もし会話が繋がったとしても、
阿呆のレッテルによって対等な会話は望めないし、
そんなやつと会話しようとする奴はもっと阿呆だ。
どうする。
自分の名前を名乗ることすら危うい。
状況を最初から懇切丁寧に説明したところで、
それが吉と出るか凶と出るかも分からない。
着信拒否なんてされようものなら、最悪だ。
会話というのは
相手に興味や関心がないと成立しない。
興味や関心がなくても
成立しているように見える会話は
全て独り言と同義だ。
そしてそこには優位性があって初めて
相手の行動を誘導できる。
相手にとって興味や関心がある事柄。
そしてなおかつ、
この状況の中で俺が欲しい情報の源の存在。
その存在に反応があるかどうかで
全てわかるだろう。
なら、俺の第一声は...
「もしもし、松下健太です」
ぎこちなく唾を飲み込む。
どうくる。
「松下の声じゃないな。誰だ?」
きた。
釣れた。
こいつは知ってる。
こいつは何かを知ってる。
間違いない。
今こいつは誰かも知らない俺に
自分が知られているかもしれないと
不安になっているはずだ。
ここで相手の欲しがる情報を渡してしまえば、
俺の優位性は保てなくなる。
情報量の差で、認識の差で
優位に立ち、行動を誘導する。
「明日の18時半に
関東小学校裏手の公園にあるベンチに1人で来い」
相手の回答を待たずに通話を強制終了させる。
とりあえずはこれでいいだろう。
関東小学校は
俺の住んでるアパートから数百メートル先にある。
裏手にある公園は住宅街の中にあり、
18時半ともなると仕事帰りの社会人や
部活帰りの学生などが行き交う。
ある程度の人の目はあるし、
自殺志願者でもない限り変なことはしないだろう。
あとは相手が来るかどうかだ。
来なければそれまでで、
次の行動を考えなければならないが、
問題なのは来た時だ。
先に到着して待っておくのは論外だろう。
外見という情報は年齢や性別、
おおよその身長や体重を知らせてしまう。
些細な情報だとしても、
先に与えることでリスクが発生する可能性もある。
マスクと帽子で変装する手もあるだろうが、
人の目がある分、余計に目立ってしまうだろう。
それになにか不足の事態があった時の為に
なるべく
周囲の記憶に残らない装いにしておきたい。
やはり相手が到着するのを
確認してから接触するのが最善だろう。
とりあえずは明日だ。
今日はもう動けそうにない。
その日は奴らによって壊された窓と自分に
応急処置を施し、
気を失うように眠りについた。
翌日、
いつものように仕事に向かうと
社内がざわついていた。
何事だろうか。
俺が出社したのを見て、ざわつきが一瞬止まる。
?
俺?
なんだ?
「立川くん、ちょっといい?」
ざわついていた集団の奥から社長に呼ばれる。
「はい」
「こっちに」
普段あまり入ることのない社長室に呼ばれる。
基本、従業員がこの部屋に入るのは
とてもいい知らせの時か
とても悪い知らせの時だ。
今回の場合、ほぼ間違いなく後者だろう。
「昨日ね、FAXが送られてきたんだよ」
「FAXですか?」
「そう、同じ内容がたくさん。君の借金について」
嫌な予感が的中した。
...第六感の存在を認めるしかない。
「借金ですか?」
「自分で分かるだろ?」
「身に覚えのない借金です。
私が借りたお金じゃありません」
「覚えはなくても
事実として、君の借金として
存在しているのだろう?」
「私は認めていません。
FAXには私のその借金について
書いてあったという事ですか?
送り元はどこですか?」
「FAXには
君には4000万の借金がある事。
これから返済が始まる事。
そしてその返済が滞った場合や、
君と連絡が取れなくなった場合は
従業員の皆様ご協力の程お願い致しますと。
送り元は不明だ」
その金額はあいつらだ。
人の家を破壊し、侵入し、暴行を犯した犯罪者。
「それに今朝、会社に電話があった。
関東第一銀行さんからだ。
うちとも取引がある。
君の借金返済について話がしたいが、
連絡が取れなくて困っている。とな」
「それについても身に覚えのない借金です」
「そうは言うが、
事実として君の借金として存在してしまっている。
もちろんその経緯は私には分からない。
だけどね、
そのFAXを見て怖がっている社員もいる。
それに関東第一銀行さんに
うちまで共犯だと思われたら困るんだよ」
「私は犯罪なんか犯していません」
「立川くん、そういう事じゃないんだよ。
私は社長として、
従業員も会社も守らなければならない。
君に長年働いて貰った事は本当に感謝している。
だが、それとこれとは別問題なんだ。
...申し訳ない。
君を雇い続ける事はできない」
...そうか。
そうだよな。
当たり前の判断だ。
1人の従業員と他の従業員、ましてや会社を
天秤にかけた時、傾くのはどちらか。
それは明白だ。
経緯がどうであろうと
リスクを持ち続けるメリットはどこにもない。
...そう分かっていても、
納得なんかしたくはない。
俺は何もしてないと、
声が枯れるまで抗議してやりたい。
間違っているのはお前達だと。
ただ、それを信じてもらえる証拠は
何も持ち合わせていない...
納得なんかできないが、
納得するしか方法がない。
「分かりました。
今までお世話になりました」
「本当にすまない」
社長に悪意はない。
それにこうなった原因は俺でも社長でもない。
全ての原因は俺を嵌めた奴だ。
長年勤めた会社を
やっとの思いで入れた会社を
自分の意思で辞める事もできず、
あっさりと終わってしまった。
終わらされてしまった。
仕事とは
自分の時間と体という資本を対価に
金銭を発生させる行為だ。
そしてそれは生活していく為に他ならない。
奴らは俺から生活する為の源泉を奪い、
生きて活動するという行為そのものを奪った。
怒り、激怒、憤怒、
それらを超える表現があるなら
その表現こそ今に相応しく、
その感情はさらに研ぎ澄まされた。
結果的に、
これで失うものは無くなった。
守るものがある人間は強いというが、
そうだろうか。
守るものがあるからこそ、
それが弱点となり弱さになる。
失うものがない人間は強い。
理由は簡単だ。
失うものがないのだから。
失うものがないのだから、失う恐怖もない。
強いというのは、恐れがないことだ。
そういう人間に
図らずともなってしまった。
いやむしろ、
そういう人間でないと奴らには勝てないだろう。
自宅に戻りその時を待つ。
約束の時間が近づく。
鬼が出るか蛇が出るか。
「よし、行くか」
布テープで簡素な補強を行ったガラスを横目に
玄関ドアを開けて一歩踏み出す。
少し寒さがでてきて、
すれ違う人たちの息はかすかに白い。
18時を過ぎてくると、
日は落ちかけ、夜の始まりを匂わせる。
親子で帰路についている様子も伺える。
楽しそうに話している。
微笑ましい光景だ。
とても幸せな時間なことだろう。
後から振り返り、
戻らないその時間を愛おしく感じることだろう。
だが、その振り返る時間を
かけがえない今の幸福を
理不尽に奪ってくる奴らがいる。
唐突に。
なんの予告もなく。
そんな悪意は俺が全て。
全て壊してやる。
ベンチを目視できる距離に着いた。
今のところ該当の影はない。
時刻を確認する。
約束の18時30分まで
「あと15分」




