動き出す歯車
[ピンポーン]
どうする。
出るか?
だが、何かを買った覚えはない。
誰かから何かを贈られる覚えもない。
何かのセールス?
宗教の勧誘?
それなら出る必要はない。
それに何故か出ない方がいい気がする。
勘とか第六感なんてものは信じちゃいないが、
こういう感覚のことを言うのだろう。
息を潜め、音を殺す。
玄関前から謎の来訪者は動いていない。
[ピンポーン]
[ピンポーン]
[ピンポーン]
[ピンポーン]
...明らかに異質だ。
まともじゃない来訪者であることを
チャイムの回数が教えてくれる。
どうする。
このまま身を潜めるか。
対峙するか。
正解が分からない。
[ドンドンドンッ!]
[ドンドンドンッ!]
突然大きな別種の音が鳴り響き、
身体がビクリとする。
どうやら身を潜めるのが正解だったみたいだ。
良識のある人間がとる行動ではない。
[パリーンッ!]
大きな音を立て、
玄関ドア横の窓ガラスが割れた。
慣れたような雰囲気で
不気味な笑みを浮かべながら、
何者かが侵入してきた。
不法侵入や器物破損といった法律を
盾にしても通用しないであろう2人組の男。
縦に長い奴が1人。
横に長い奴が1人。
明らかに見た目がカタギのそれではない。
縦長の奴が言う。
「立川さん、居られるじゃないですか。
無駄にガラスを割ってしまいましたよ」
横長の奴が言う。
「おい、松下はどこだ?
この部屋に居るんだろ?」
返答を待つ事なく
風呂場や押し入れの扉を勝手に開ける。
片手には鉄パイプのような物を持っている。
あれでガラスを割って入ってきたのか。
状況を飲み込もうとするが、
飲み込める訳もない。
何だこいつらは。
何の権利があってこんな事をしている?
「ここには居ないようですね。
黙っていたら何も分かりませんよ。
松下さん居場所ご存知なのでは?」
「居場所なんか知らない。
それに松下が行方不明になっている事は
さっき知ったんだ。
俺が居場所を教えて欲しいくらいだ。
それよりも人の家を勝手に壊して
あんた達は何してるのか分かってるのか?
何故こんな事をする。
お前達は誰だ?」
こいつらは明らかにまともじゃない。
そんな奴らがなぜ松下を探している。
何に関わってるんだ。
ゆっくりと縦長の男が近づいてくる。
俺の髪を勢いよく引っ張り上げ、
顔を近づけ目の前で喋り出す。
「松下さんね、
僕達からお金を借りて、飛びおったんですよ。
全部で4000万。
それで立川さん
貴方がその4000万の保証人だから、
はるばるこんな所にまで訪ねに来たんですよ。
それにもしかしたら
匿ってるかも知れないとも思いましてね。
なのに居留守なんてひどいじゃないですか」
「何の話だ」
「立川さん、
それは無理がありますよ。
これがその証拠の書類です。
立川さんの署名と印鑑が
保証人欄にしっかりあるでしょう」
「そんなの知らない。
俺はそんなの書いちゃいない。
そんな馬鹿げた金額払えるわけないだろ。
誰かが俺を嵌めてるんだよ。
それに俺にそんな大金が払えるような
生活をしているように見えるか?」
喋り終わったと同時に拳が振り上げられ、
顔面に強い衝撃と激しい痛みを感じ、
視界が白く弾けた。
「さっきから
ずいぶんと素晴らしいご対応ですね。
お話だけして帰ろうかと思ってたんですが、
もう少し踏み込んでからにしましょうかね」
そう言うと
思わずうずくまった俺の体にまたがり
数えられないほど拳の雨を降らせる。
不意を突かれたその攻撃に、
ただひたすらに殴られ続け、
理不尽な暴力によって蹂躙される。
初撃が綺麗に入って、平衡感覚が戻らない。
完全に油断した。
殴られている痛みと共に、
過去の自分の過ちの場面が
スクリーンショットのように
走馬灯のように、脳内で再生される。
脳内に仕舞い込んだ過去の記憶。
その過去を経てやっと掴んだ何も無い日常。
それが今、壊されている。
突然の無数の殴打により、
なす術なく意識を失いかける。
その様子を見て、
そいつは壊れたおもちゃのように笑い出し
拳が止まる。
痛みと衝撃による耳鳴りがひどい。
感覚の無くなった顔で、
脳内に浮かんだ言葉をそのまま口にした。
「ぶっ殺す」
その言葉を聞いて、
一部始終を傍観していたもう1人の横長の男が
俺の顔に、
その醜い体重を乗せた足を振り抜く。
意識が
飛びかけた。
そして細長の男が言う。
「さっきの言葉は今のでチャラにしますので、
気にしなくていいですよ。
あー運動したらちょっとお腹が減ったので、
私達はご飯でも食べに行きましょうかね。
何処かおすすめのお店ありますか?
あ、すいません。
運動させてもらって、
そこまで聞くのは図々しいですね。
次からは居留守やめてくださいね。
お互いに
時間と労力の無駄になってしまいますので。
支払いはもちろん一括でもいいですし、
もし無理なら
毎月100万ぐらいは頂かないと。
終わりが見えなくなってしまいますので。
そのつもりでお願いします。
ちなみに警察に相談されても無駄ですよ。
むしろ、しない方がいいと思います。
色々とこちらも用意させてもらってますから。
それではまた」
心にもない一礼をして2人が部屋を出て行く。
かろうじて起こした体は
限界を迎えて床に倒れ込む。
顔が熱い。
息が苦しい。
こんな事をされる理由なんかどこにも無い。
理由があっても許される筈がない。
4000万...
笑わせるな。
普段口にすることのない桁数だ。
1000万の次は4000万?
合わせて5000万に進化したわけだ。
知らないところで勝手に。
あいつらが置いていった借用書を手にとる。
「デジャヴかよ」
まただ。
また俺の筆跡で俺の名前が書かれてる。
どこのどいつが何の為に。
『借用書』
金 四千万也
保証人: 立川浩司
貸主: 株式会社ハッピーファイナンス
スマホで『株式会社ハッピーファイナンス』を
検索してみる。
スマホを持つのがやっとだ。
それに目が腫れているのか、視界が悪い。
それらしいリンクをタップしてみる。
AIで作成したかのような
ハリボテ感満載のホームページが表示された。
会社概要ページに記載してある、
代表者名を検索するもそれらしい結果は出ない。
会社の所在地も同様だった。
ハリボテ"感"ではなく、
本当のハリボテのようだ。
まあ当たり前か。
あんな行動を容認し、
雇用し続ける組織がまともな訳がない。
今朝までは思っていた。
寂しくなる夜もある。
仕事もつまらない。
それでも最悪な人生ではない。
とんだ勘違いだ。
寂しくなる夜があるというのは
寂しくなるという感情が
生まれる余裕があるということ。
仕事がつまらないというのは
つまらないという感情が
生まれる余裕があること。
最悪な人生ではないなんて思い違いだ。
思考ができる余裕があることは幸福だ。
幸福な人生だ。
日常に慣れ、その希少性を忘れていた。
幸福とはなんだと問われたら、
比較によって優れてる一方のことを
"幸福"と言うのだろう。
寂しいなどと
つまらないなどと、
思考できる余裕がない今、
余裕があった一方の今朝までは
幸福な時間、人生を過ごしていたことに気付く。
人は大切なものは無くなった後に
気付くと言うことを今さら理解した。
どれだけそれが幸福だったのかということを。
有るものが無くならなければ、
有無の比較ができなかったのだから仕方がない。
俺がしていたのはそれなりの生活ではなく、
幸福が連なっていた奇跡とも言える生活だった。
苦労してやっと手に入れた日常だったのに。
慣れがその幸福を麻痺させていた。
...いや、
進展のない思考は止めよう。
...もう無くなったのは分かった。
今までは幸福だった。
それも分かった。
で、どうする。
俺は、どうしたい。
平和ボケした受動的な思考と生活を捨てろ。
能動的な思考を思い出せ。
あの頃の自分を呼び覚ませ。
もう2度と、
理由無き暴力に蹂躙されることがないように。
消えた松下。
そして同居の白骨遺体。
身に覚えの無い借金5000万。
今まで起きたことを振り返り、
出てきた感情は純粋な怒り。
許さない。
許されない。
許される筈がない。
俺の人生を土足で踏み荒らした奴を。
絶対に許さない。
俺は俺の幸福を
俺の手で取り返す。
何をしても。
何があっても。
俺を嵌めた奴ら全員、必ず復讐してやる。
必ずだ。
決意の音ともとれるタイミングで
スマホに通知が届く。
次はなんだ。
驚きや恐怖より苛立ちが勝る。
メッセージアプリの通知だ。
アプリをそのまま開く。
アカウント名『名無し』
「090-◯◯-◯◯ 」
内容は番号のみ。
今までなら無視していただろう。
こんな連絡は。
けど今は少しでも情報が欲しい。
違っていたとしても。
それが悪手だとしても。
すぐさまその番号にコールする。
聞き慣れたデフォルトの呼び出し音が数秒続く。
何か分かるかもしれない。
ほんの少しでも前進できる情報がいる。
コール音が続く。
「はい、もしもし」
繋がった。




