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始まりの予兆

今日もいつもと同じアラーム音が

1Kの狭い部屋に鳴り響く。


今日も同じアラーム音。

もう何千回聞いたか分からない。


もはや布と呼べるんじゃないかと思うほど、

くたくたになった布団から

気だるい体を起こして、

太陽の光で透明に見えるほど

透き通ったカーテンの隙間から、

眩しい外の風景を見る。



この部屋にはもう10年もお世話になっている。

住み出した頃は

自分専用の部屋が持てる喜びがあったが、

今はもうそれがどのような気持ちだったか

思い出せない。


年収300万

31歳

男性

独身


この情報だけを聞くと、

他人から見れば寂しくて退屈な人生だろう。


まあ実際に寂しさを感じる夜もあるし、

毎日つまらないと思って仕事をしている。


でもだからといって、

決して最悪な人生とは思っていない。

狭いけど毎日帰る家はあるし、

安月給だが仕事もある。

少ないけど友達と呼べる人もいる。


それなりに足りないが、

それなりの生活を送っている。



部屋の中心には

小さな丸テーブルと座布団が2枚。


余分なモノを買う金は

持ち合わせていないので、

俺の部屋は必然的にいつも綺麗だ。


ミニマリストを気取っている訳ではないが、

結果的にそうなっている。



いつものように、

トースターで食パンを焼きながら、

安いインスタントコーヒーの準備をする。


起きた後のこのルーティンは

もう目をつぶっていても、

淀みなくこなせる気がする。

それほどに同じことを繰り返している。


セールで買った小さなテレビを点ける。


やれ政治の裏金だ、

高齢者事故だの、行方不明だのと。


不安を煽ることしか、

誰かの不幸を垂れ流すことしか

目的にないようなニュースに

うんざりしつつも、

気になって時間を消費してしまう。


時計を見ると時刻は10時を過ぎている。

休みの日はつい寝過ぎてしまう。


そしてふと思う。


今日も明日も、

これから先も、

無機質な平和が線路のように続くのだろう。




ヴーヴーヴーッ

ヴーヴーヴーッ


珍しくスマホが鳴っている。


登録のない番号だ。

市外局番03から始まっている。

おそらく東京だろう。


着信には出ず、

鳴り続けているそのスマホで、

誤って電話に出てしまわないように

気をつけながらネット検索を開き、

画面に表示されていた番号を調べてみる。


『03-◯◯◯-◯◯◯』


検索のトップには

『関東第一銀行』の文字が出ている。

その文字をタップし、ホームページを開く。

会社概要を確認すると番号も確かに同じだ。


聞いたことがあるようなないような銀行だが、

俺が日頃使っている銀行ではないのは確かだ。


無視しようか悩む。


だが、知らない番号から何の連絡なのか

という不安の比率が高まり、

右手の親指がそれに連動して、

通話ボタンをタップする。


「はい、もしもし」


「突然の電話申し訳ございません。

私、関東第一銀行の中尾と申します。

立川浩司さんの携帯でお間違いないでしょうか?」


「はい、そうですが」


何の電話だ...?


「よかったです。繋がって。

早速なのですが、松下健太さんという方に

覚えはございますか?」



...松下健太。


数少ない友人の1人であり、

小さい頃からの幼馴染。


親友はいますか?と聞かれたら、

真っ先に思い浮かぶのは松下の顔だろう。


大人になって再会してからは

たまに2人で酒を飲む程度には仲良くしている。


その名前にはもはや覚えしかない。

ただ、何の為の質問なのか。


何故この銀行員の口から

松下の名前が出てくるのかイマイチ分からない。


「ええ、まあ友人ですが。

ご用件はなんでしょう?」


「松下さんから連絡はございましたか?」


「いや、特にないですけど。ご用件は?」


質問を質問で返すな。

話が見えてこない苛立ちから

語尾が強まってしまう。



「単刀直入に申し上げますと、

松下さんに融資した1000万を

連帯保証人である立川さんに

返済していただきたく連絡しております」



...なんだ?

新手の詐欺か?


いや、でも詐欺にしては

松下という具体的な名前が出てくるのは何故だ。


連帯保証人...?

何の話だ?


「詐欺ですか?警察に通報しますよ」


「とんでもございません。

文書でもご案内をしております。

お送りした書類の中には立川さんがご署名されている控えもお入れしておりますので、ご確認下さい」




書面?



少しずつ早くなる心拍を感じる。


すぐさま部屋の隅に

乱雑に重なった封筒の束を急いで取り壊す。



関東第一銀行...


関東第一銀行...





...あった。


確かにある。

確かに届いている。


見つけたと同時に封書を乱暴に開けると、

中に紙が3枚入っている。



『送付状』


さっき中尾とかいう銀行員が言っていた

連帯保証について、

小難しく遠回しな言葉でつらつらと書いてある。



『信用保証委託申込書』


申込人の欄には

松下が経営していた会社名が載っている。

松下が親父さんから引き継いだ会社だ。


申込内容の借入金額欄には

1000万と書かれている。



『保証人等明細』


連帯保証人の氏名 立川浩司



どういうことだ...?


住所や生年月日はもちろん、

保有財産も年収も明確に記載されてある。

少ない預金と年収だが

数字が確かに一致している。



そしてなにより、




「...全て俺の字だ」



だが、書いた記憶が無い。


誰かが俺の筆跡を真似たのか?


何の為に?


それに年収や預金は?

何故知っている。


誰かに話した事なんか一度も無い。


不正アクセス?


分からない。



何が起きてる。

状況が理解できない。



静かな部屋の中で、

一旦机の上に置いていたスマホから

微かに小さい声が聞こえてくる。


「もしもし、もしもし、

聞こえますか?」



その声で現実に引き戻される。


スピーカーに切り替え、

手元でその書類を何度も見返す。


「書面は確かに届いていました。

届いていましたが、

本当に身に覚えがありません。」


まったくと言っていいほど覚えがない。



「立川さん、

皆さま同じことをおっしゃいます。

私も長年この業界におりますので、

このようなケースを度々対応しております。

お気持ちはお察ししますが、

そのようなお話は信用しかねます」



「いやそもそもですよ、松下は?

どうなってるんです?

あいつは何て言ってるんですか? 

私から松下に連絡して確認すれば、

こんなの通用しないですよ」


松下も嵌められているんじゃないのか?

共に抗議すれば、

こんな書類認められるはずがない。



「ご存知ないのですか?」


「なにをですか?」


「ニュースにもなっております」


「ニュース?」




待てよ。


ニュースならさっきTVで見た。



政治の裏金...

高齢者事故...

行方不明...


ニュース番組が走馬灯のように再生される。



「...まさか、松下は行方不明...なんですか?」



「はい。私共も連絡が取れておりません。

ですので、立川さんにご連絡しております」



...なんだよそれ。

どうなってんだよ。



問答無用で一方的に通話を切り、

すぐさまスマホで検索する。


『松下健太 行方不明 ニュース』


無数の記事が表示される。



本当にニュースに...

記事になっている...


恐る恐る、

検索上位にあったニュースサイトの

リンクをクリックする。



『遺体と10年以上同居か 床下から白骨遺体』


4月13日午後3時頃

東京都にある2階建てアパートの住人から

「隣の部屋から異臭がする」と

警察に通報があり

警察が現場を確認すると

死後10年は経過しているとみられる

白骨化した遺体が発見された。

警察によると

遺体は1階の床下から見つかり

成人のものとみられるとのこと。

また白骨化が進んでおり

性別や詳しい年代は分からないとのこと。


近くに住む人の証言

「古いアパートですが、

綺麗にされてる印象だったので

(遺体が見つかって)びっくりしてます」


遺体が発見された部屋の住人である

松下健太氏は少なくとも数週間前から

行方不明となっており

なんらかの関わりがあるとみて捜索中。

警察は事件の可能性もあるとみて

遺体を司法解剖し

身元や死因の特定を進める方針だ。





夢か現実か分からないという言葉は

今、この時の為にあったのかもしれない。




深呼吸をして、

記事にとられた思考力を徐々に取り返していく。




俺が松下と最後に会ったのはいつだ?

ニュースには数週間前から行方不明となっている。


スマホのカレンダーを見返す。


2月19日に「松下 呑み」と書いてある。

ということは、

それより後に行方不明になったのだろうか。


その時に話した事を思い返してみても、

いつもと同じように学校時代の話で盛り上がり、

いつもと同じようにどっちが先に

結婚するかで言い合いになったりしたぐらいで、

あとは記憶にも残らないしょうもない話ばかりだ。


いたって変わったところはなかった。




なかった。



はずだ。





いや、


そういえば、

その日、終電に乗る前に珍しく松下から

明日も飲まないか?

と誘ってきた。


大人になってから

連日会って飲むなんてことは一度も無かったし、

松下から誘ってきたのは

初めてだったかもしれない。


その時は何も思わず、

次の日も仕事があったので断ったが。


本当は何か話したい事があったのか?




それに白骨遺体。


10年以上死体と一緒に住んでたのか?


その状態で俺と接していたのか?


松下という人間が何を考えているのか分からない。


急にあいつのことが不気味な物体に思えてくる。




スマホがまた鳴っている。

関東第一銀行から再度電話のようだ。


今はこれ以上話しても埒が明かない。

コールの最中に切電し、その番号を拒否する。




友人の松下は行方不明となり、

白骨化した遺体と10年以上同居していた。


そしてなった覚えのない連帯保証人と借金1000万。




理解が追いつかない。



ただ、


たった数分の内に、

やっとの思いで手にした俺の日常が

瓦解したことだけは理解した。






[ピンポーン]


聞き慣れない音にハッとする。

来訪者を知らせるその音が機能したのは

いつ以来だろうか。







嫌な予感がする。

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