第8話 廃寺の攻防
夜明け前、隊は山中の廃寺を包囲した。朽ちかけた山門の奥、崩れかけた本堂の周囲には、焚火の残り火がいくつか見えるばかりで、人の気配は驚くほど静かだった。
「油断するな。夜襲に慣れた者どもだ」
侍大将の下知と共に、兵たちは音を立てぬよう、じりじりと包囲を狭めていった。葵もまた、虎丸と並んで、山門の脇に身を潜めていた。
だが、静けさは長くは続かなかった。
「――来るぞ!」
見張りの声と同時に、本堂の陰から、幾つもの人影が躍り出た。奇襲を仕掛けたつもりが、逆にこちらの動きを読まれていたのだ。矢が飛び、怒声が交錯し、山門の周辺はたちまち乱戦の坩堝と化した。
「数の上では、こちらが優っているはずだ……!」
隊の一人が叫んだが、その声はすぐに掻き消された。相手の一人一人の太刀筋が、これまで相対してきた敗残兵とは、明らかに違っていた。統率を失った烏合の衆ではない。死地を共にした者だけが持つ、迷いのない動きだった。
葵の傍らでも、次々と隊の者が斬り伏せられていく。悲鳴と怒号が入り乱れる中、隊列はみるみる乱れていった。
「小太郎、離れるな!」
虎丸の声に、葵は必死で頷いた。二人は背中合わせになり、迫り来る敵を次々と受け止めた。だが、相手の勢いは衰えることを知らなかった。
「くッ……」
葵の刀が、相手の一撃を受け止めきれず、大きく弾かれた。体勢を崩したその瞬間、横合いから別の敵が斬りかかってくる。避ける間もない――そう覚悟した刹那、虎丸の体が割って入った。
「がっ……!」
虎丸の肩口から、鮮血が飛んだ。
「虎丸っ!」
「大事ない……それより、前を見ろ!」
虎丸の言葉に、葵は反射的に振り向いた。本堂の階の上、崩れかけた扉を背に、一人の武者がゆっくりと姿を現していた。
赤い具足が、わずかな残り火を受けて、不気味なほど鮮やかに浮かび上がっていた。長槍を軽々と担ぐその立ち姿だけで、これまで斬り結んできた敵とは、明らかに格が違うことが分かった。
「小勢で押し寄せておいて、ずいぶんと騒々しいことよ」
低く、よく通る声だった。兵たちの動きが、一瞬、凍りついた。
「海野、玄蕃……」
誰かが、震える声でその名を呟いた。
玄蕃はゆっくりと階を下り、長槍の穂先を、乱戦の中心へと向けた。
「命が惜しくば、退くがよい。今ならば、まだ間に合う」
その言葉に応える者は、誰もいなかった。ただ、隊列の乱れが、一段と色濃くなっていくばかりだった。
侍大将の号令もむなしく、兵たちは浮足立ち始めていた。数の利があるはずの掃討戦は、いつしか、生きるか死ぬかの攻防へと姿を変えていた。
葵は、傷を負った虎丸を支えながら、玄蕃の姿から目を離せずにいた。
――このままでは、皆殺しにされる。
その予感が、体の奥深くから、じわりと込み上げてきた。




