第5話 露見
道中五日目、隊は山道の途中で、逃散する武田方の小勢と鉢合わせた。
数にして十名にも満たぬ一団だったが、追い詰められた者たちの抵抗は激しかった。矢が飛び交い、怒号が山間にこだまする。葵もまた、夢中で刀を振るった。
小競り合いは、さほど長くは続かなかった。だが乱戦の中、葵の右腕に一本の矢がかすめた。傷は浅かったが、鏃が薄く肉を裂き、血がにじんだ。
「小太郎、手当てをせねば」
戦いが収まった後、真っ先に駆け寄ってきたのは虎丸だった。人目を避けるように葵を木陰へと連れて行き、手早く薬箱を広げる。
「大した傷ではない。自分でやる」
「意地を張るな。片腕でどうする」
押し問答の末、根負けした葵は、腕を差し出すしかなかった。虎丸は慣れた手つきで血を拭い、傷口を確かめる。その指先が、ふと止まった。
「……腕に傷がない」
「な……」
「小太郎の右腕には、幼い頃、木から落ちてできた傷があったはずだ。ここ、肘のすぐ下に。何度も一緒に見た傷だ」
葵は、答えることができなかった。血の気が、急速に引いていくのが分かった。
虎丸は薬箱を持つ手を止めたまま、しばらくの間、葵の顔をじっと見つめていた。周囲に人の気配がないことを確かめてから、押し殺した声で言った。
「……お前、葵か」
その一言に、葵の視界が、わずかに揺れた。もはや、言い逃れる術はなかった。
「……はい」
か細い声で、葵は答えた。全身の力が、抜けていくようだった。
「なぜ、こんな真似を」
葵は、崖からの転落、小太郎の死、家の存続がかかっていたこと、父の依頼を、途切れ途切れに語った。声は震え、時折、言葉に詰まった。話し終える頃には、握りしめた拳が、小さく震えていた。
虎丸は、長い間、何も言わなかった。焚火の遠い音だけが、二人の間に流れていた。
「小太郎が、死んだのか」
「……はい」
虎丸の顔に、深い痛みの色が浮かんだ。幼馴染であり、共に鍛錬を積んだ仲であった小太郎の死は、虎丸にとっても、決して軽いものではなかったのだろう。
やがて虎丸は、ゆっくりと息を吐いた。
「分かった」
「え……」
「誰にも言わぬ。俺が他言しなければ、誰も気づかぬことだ」
葵は、思わず顔を上げた。虎丸の目には、迷いのない光があった。
「だが、一つだけ約束しろ」
「……何を」
「危ないことがあれば、必ず俺の後ろに来い。俺が守る」
葵の目に、みるみる涙が滲んだ。堪えようとしても、堪えきれなかった。
「かたじけ、ない……」
震える声で、それだけを言うのが精一杯だった。
虎丸は何も言わず、傷口に薬を塗り、丁寧に晒しを巻いた。その手つきは、これまでと変わらず、優しかった。
「これでよし。しばらくは無理をするな」
「……ああ」
葵は、腕の傷よりも深いところで、何かが変わったのを感じていた。秘密を分かち合う者ができたことの心強さと、その者を危険に巻き込んでしまったことへの恐れが、胸の中で複雑に絡み合っていた。
焚火の元へ戻る道すがら、虎丸がふと、口を開いた。
「お前は、案外いい太刀筋をしていたな。誰に習った」
「……独学だ」
「そうか」
短いやり取りだったが、そこには、これまでとは違う、確かな温かさがあった。
その夜、葵は久方ぶりに、深く眠ることができた。




