5 226人集団転移事件
編入前日の夜。
律は、ベランダに出ると手すりに肘を置いて空を見上げる。
新月の夜空は暗闇に包まれていて、大都会東京の地でもいつもより星が淡く見える。
「もう四年も前なのか・・・・・・」
四年前の新月の夜。
律の人生を大きく変容させた一日。良くも悪くも。
いや、ある意味――
* * *
2068年6月13日
中学に入学したての律は漠然と将来のこと考えながら、暗い夜の町を散歩していた。
街灯が点々と並び、真っ直ぐと続く一本道を挟むように田んぼが広がる。
自動車はもちろん、トラクターも人の気配すら一切ない。
住宅よりも田んぼの方が面積が広い。たまに猪に遭遇するが"ド"がつくほどの田舎ではないと考えていた。コンビニや業務用スーパーが近所にあるのだから間違いないと。
田舎ならではの開放感は人の多い都会では味わえない。まるでこの世界に自分一人だけが存在している。そんな感覚を味わうことができる。
中学一年、12歳から13歳の少年少女の人生が明確に決まってしまう年でもあった。
魔術適正の有無が判明するからだ。
身体測定と同時に行われる魔術適正検査はその人物に魔術の才能が眠っているかを判断する。
単純で分かりやすい検査で、魔素≪マナ≫を体内に注射し反応を見る。ただそれだけ。
適性があれば何事もなく終わる。適性が無ければ体が魔素を排出しようとし、倦怠感や頭痛、嘔吐などの症状がでる。
「はい次は永坂くんね。シャツの袖まくってね」
注射に痛みは一切ない。
だがそれから数時間後、視界が徐々にボヤケ、倦怠感が現れた。
そう、永坂律には魔術の才能がなかった。
別に魔術が使えないだけ。人生がそこで終わるわけではない。
そう頭で理解できても、心がその現実を拒んでいた。
将来の一つの選択肢を、無慈悲にも没収された。
そんな時に始めたのが夜の町の散歩だった。
中学生は警察に補導される時間帯だから決して褒められたことではないが、なんせ田舎だ補導する警察も巡回なんかしていない。
非行には違いないが、その時の律には心を落ち着ける静かな時間が必要だった。
実家を出て十分ほど歩くと小高い山の麓に石段がポツンと現れる。街灯は一切なく夜空に輝く月明かりだけが頼り。
だけどその夜は新月で、普段に比べ一層暗闇が広がっていた。
周囲は木々で囲まれ、鈴虫の羽音と夜風が葉を揺らし不気味な音を奏でる。
初めこそ恐怖心が強くて躊躇したが次第に好奇心が上回っていた。
二週間も通い続ければ慣れるもので自然が奏でる穏やかな交奏曲に聞こえるようなっていた。
一段一段登っていくと開けた場所に行き着く。石段の上、ポツンと立っているのは廃れた神社だ。
管理は一応されているようではあるが、手が行き届いているとは言えない。
石造の鳥居に記された神社の名前は文字が掠れて読めない。神社の名前さえ分かればどの神を祀っているのか調べることができただろう。
ご利益の分からない神社に参拝することもルーティンの一つになっていた。
夜の神社にお参りはしない方がいいことを律はなんとなく知っていたが、徳を積んでるようで気分が良くなる。身勝手な話だが要は気の持ちよう、心の持ちようがその時の律には必要だった。
その日もいつもと変わらず参拝していたと。
時代を感じる老朽化した小さな社殿に両手を合わせる。
お賽銭をしたいところだがお小遣いだけで生活している中学生にとって毎日の数円は決して安くなかった。だから良い事が起きた時にはお礼を込めてお賽銭することに決めていた。
(ゆっくりと目を瞑る、お願いは・・・あぁそうだなあれがいい)
ほんの数秒だった。手を合わせて目を瞑りお願いをする。それだけのはずなのに。
次に目を開けたとき律は夜の神社にはなかった。
「うぅ・・・・・・は?ここは・・・・・・?」
目を開けた瞬間、視界全体を強い光が差し反射的に腕で目を覆い隠す。
徐々に明順応に移行した視界に広がるのは、見覚えのない荘厳で神秘的な大聖堂。知らぬうちに座っていたのはシックな木製の長椅子。
煌びやかで繊細な装飾が施され、天窓から差し込む陽光がそれらを黄金色に輝かせる。
現実離れした美しさの大聖堂。
「なんで日が昇ってるんだ?」
色鮮やかなステンドグラスを照らしているのは間違いなく太陽光。
数秒前に神社に参拝していたときは真夜中。日が昇っているなんて考えられない、明らかに異常事態。
「なんだここ?」
「え、さっきまで夜ご飯食べてたよね私・・・」
「外が明るい?何が起こってるんだ?」
律と同様に長椅子に座っていた人達が慌てふためく。
この場にいる全員混乱している様子で誰もこの状況を理解し、説明できるようには見えない。
「あの、ここがどこだか分かりますか?」
意外にも冷静に状況を分析していた律の隣に座っていた少女が話しかける。
「いえ、僕も何が何だかさっぱりで」
「そう・・・・・・ですよね。私も同じです」
不安そうな表情を浮かべる少女。現状を考えれば当然と言える。
「「・・・・・・」」
二人の間に沈黙が訪れる。
「えっと、永坂律です。中一です」
会話を通して何か情報を得られるかもしれないという考えもありはしたが、それ以上になんでもいいから喋っていないと落ち着かない律は、自己紹介を通して平静を装う。
「秋暮結月です。高校一年生です」
――――キィィィ
二人が自己紹介を終えると、後方に位置する重厚な木製の扉が軋む音と共に両開きされる。
大聖堂内にいるすべての視線を集める先に立っているのは、現実離れした美貌の女性。純白のドレスに黄金の装飾が施され、腰まで伸びた艶のある頭髪は黄金の装飾を陰らせるほどの美しい。
この大聖堂が彼女を引き立たせるために作られたようにさえ感じさせる。
先程までの大騒ぎが嘘だったように静まり返り彼女の進むであろう祭壇までの中央通路を塞ぐものはいない。
コツコツとヒールが地面を蹴る音だけが響く。
聞きたいことが山ほどあるはずなのに口が全く開かない。まるで催眠術でも掛けられたみたいに。
「このようなことは私も初めての経験ゆえどこから説明すれば良いか悩むところですが・・・・・・まずはそうですね、簡潔に申し上げますとこの場にいらっしゃる計226名の皆様方は別世界から"転移"されたようですね」
(え?は?この人今なんて言った?異世界に転移?)
聞き間違いではないだろう。その美しい声でハッキリと聞き取れた。
「異世界?どういうこと?」
「は?意味わかんねーよ。何言ってんだ?」
「転移っていきなり言われても・・・」
錠が掛かられ動かなかった口が解放されたかと思えば、その場にいた多くが疑問を投げる。
ひたすら混乱するものもいれば、理解し難い発言に怒りをあらわにするものもいる。この状況で落ち着いていろという方が無理ある。
「混乱されるのも無理はないと思います。ですが私共としましても原因が不明なのです」
聖女のその言葉に嘘は無いように映った。
だからと言って納得できるわけではない。
異世界冒険小説に出てくるような、魔王討伐や世界を救ってほしいなどの明確な目標が提示されない。
その異質さがより一層、律を不安の渦へと追いやる。
目的も、帰還方法も何一つ手掛かりのない理不尽なゲーム。
この表現が正しいとさえ律は感じる。
どこで律の人生の歯車は狂い始めたのだろうか。
代わり映えのない生活だったが満足していた。
魔術が使えないことに落胆したが、人生を手放したいとなんて考えたことはない。
このまま"普通"の人生が続いていくのだと思っていた。
「いや、違うな」
ある意味――永坂律の人生はここから始まったのかもしれない。
* * *
2068年6月13日。律らが謎の異世界転移をした日
この日の夜から翌日にかけて警察消防への行方不明者の通報が後を絶たなかった。
突如として200人以上もの人々が日本各地から同時刻に姿を消した。
加えて異常なのは通報の件数ではなく通報の内容だった。
「晩御飯を食べていたら突然娘が消えた」
「瞬きをしたその一瞬の間に隣でテレビを見ていた父が居なくなった」
「交際していた彼女と手を繋いで街を歩いていたはずなのにいつの間にか消えていた」
そんな現実味の薄い内容が他にも幾つも報告された。
事態を重く捉えた警察が本格的に調査を始める。
得られた情報にはある共通点があった。失踪した日付とおおよその時刻が不気味なほどに一致していた。
年齢は十代前半から三十代後半が中心、男女比はやや男性が多め。
その多くの人々は何も言わずに突然失踪するような動機が見当たらなかった。
あまりにも不可解で見当もつかないこの一連の事件を表沙汰にすれば間違いなく世間に混乱が渦巻く。
政府はニュースでの報道を規制、情報漏洩がないよう徹底した。
しかし、ネットが普及した現代社会においてここまで大規模な事件を完全に隠蔽することなどできるわけもなく、たちまち話題の中心となる。
集団失踪、神隠し、他国の陰謀論、中には「異世界転移」というワードすらネット記事の見出しにされた。
一連の事件は後に、「226人集団転移事件」として後世まで伝わる未曾有の大事件となる。
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