第39話:聖盾
西三河の母なる流れ、アローメイドリバー。その河川敷は今、薄紫色の絨毯を敷き詰めたような絶景に包まれていた。
『春だ……! アローメイドリバーの土手に咲き誇る藤が、俺の新しい人生を祝福するウィステリア色の紙吹雪のように舞っているッ! 見ろッ、この俺の指をッ! 恐怖で震えながらも、社長に送ったあのLINE……「自分のできる仕事を増やしたい」という魂の叫びッ! その結果、俺は……専用の特製チェアに鎮座しながら小物を振り分けラベリングする、TINの特等席を勝ち取ったんだッ!! 最高だぜッ!』
一ヶ月の激闘を終え、ビギーの背中に揺られながら春の風を全身に浴びていた。
ただ守られるだけの姫で終わることを、僕は拒んだ。社長から度々「無理せんでいいから、座ってもいいもんで、出来ることやっときん」と言われたが、座ることは自立ではないと意地を張っていた僕。だが、社長に震える手で送った「椅子付きならもっと働けます」という素直な一通のメッセージ。それが功を奏し、現在TINの現場で「小物仕分けのスペシャリスト」としての地位を確立していた。
休憩中には、騎士団の面々から「姫、肩凝ってないか?」「おいおい、ガチガチじゃねぇか全く…」「このツボ、効くよ~」と、男バイト同士の過剰なスキンシップという名のマッサージ奉仕を受け、僕のコミュ障細胞は少しずつ、だが確実に「陽の光」に順応しつつあったのだ!!
そして、僕の手元には、パパの「家族カード」を拒絶し、自らの労働で勝ち取った一振りの聖盾が握られていた。
『……見てくれ。俺の財布に、新しく加わったこの一枚ッ! 家族カードではない……。俺が「TIN」で夜な夜な小物を振り分け、陽キャに揉まれ、自らの汗と涙で勝ち取った……「楽市楽座カード」だッ!! これぞ、俺が社会の一員として認められた、真の「自立の証」ッ……! オラッ、輝きが違うぜッ!』
目指す行き先は、有名牛丼チェーン『ライクハウス』。
かつてビギーのハルシネーションとClockの介入によって、自身で注文すらできずに終わったあの日。その雪辱を果たす時が遂に来たのだ!!
「ビギー、……おすすめは、……なに?」
ビギーはマフラーの苔玉を誇らしげに震わせ、複眼センサーを高速駆動させた。
「マスター! 『チーズカット』から算出された最適解はこれだよ! 三色チーズ牛丼の特盛りに温玉付き! これこそが、現代を生きる妖精さんのエネルギー源さ! ただし注意して、これはカウンターで注文端末のカーボンユニットと拳と拳で直接バトルする対面デュエルスタイルのはずだよ! ブォォォン!」
『直接バトルだとォッ!? 難易度が高いじゃあないかッ! だが……今の俺には、夜の現場で培った「光耐性」という名の経験値があるッ! 行くぞ、ビギー!! 俺はもう、店員の視線に怯える過去の俺じゃないッ!!』
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意気揚々と店内に踏み込んだ。だが、そこに待ち構えていたのは、かつての殺伐とした対面カウンターではない。入り口に鎮座していたのは、数台の無機質なセルフ・オーダー・システムだッ…!!
『……!! タッチパネルだとォォォーーッ!? 店員との会話という名のデュエルを覚悟していたのに、目の前にあるのは、ただの板だというのかッ!! だが……これこそが現代の西三河! テクノロジーがコミュ障を抱擁する、非接触のサンクチュアリッ!! ありがたいッ! ありがたすぎて涙が出るぞッ!!テクノロージアッ!!』
ビギーの指示通り、画面を迷いなくタップした。[三色チーズ牛丼・特盛り・温玉]八人分。機械から吐き出される、一枚の短い注文用紙。
それを受け取った瞬間、僕は気づいた。ビギーが言っていた「直接バトル」の試練は、レジでの会計時に残されているのだと。
『よし、ここだったか……二重のトラップ…俺じゃなきゃ見逃すトコだぜッ!?この注文用紙を持ち、店員に内容を告げるッ! これこそが、俺に課された最後の儀式ッ ……! いざッ!!』
意を決してレジへ向かい、注文用紙を掲げた。喉を整え、脳内で「三色チーズ牛丼の特盛りに温玉付きをお願いします」というセリフをリハーサルする。
「あの……これ……」
「はい、確認いたします。少々お待ちください」
店員は、僕の目を見ることさえなく、流れるようなルーチンワークでレシートを目視し、奥へと消えていった。
『……え?…………言わなくて、よかったのかッ!? 俺の用意していた魂の朗読は、店員の圧倒的なルーチンによって、1秒でスキップされたというのかッ!! 』
「あ…あはは…ふふっ…」
拍子抜けした笑みがこぼれる。
『ビギー……! お前、またハルシネーションを言いやがって……! 「人間への直接注文」なんて、この効率化された世界では、もはや絶滅した儀式だったんだな。……。でも、いい。そのポンコツぶりが、今の俺には……最高に愛おしいぞッ!!』
数分後、カウンターに8名分もの大量の容器がデデーンと並ぶ!!
「お待たせしました。必要なお箸などはこちらからお取りください。8名様分、全部で9360円になります。……お支払いは?」
「あの……これで……」
震える指で楽市楽座カードを差し出した。
「カードでお支払いですね。タッチパネルでお支払い方法選択後、こちらの端末でご精算お願いします」
非接触決済端末が、青い光を点滅させて待っている。僕は、自分の汗と涙が染み込んだそのカードを、ゆっくりと、しかし力強くかざした。
――ポーッ……!
『――決済完了だッ!!』
それは、パパの資産ではなく、自分の人生を初めて「決済」した、記念すべき簡素な電子音であった…。




