第38話:旅立
「えっ今日?……イタリアに、……行っちゃうんだ、美香子ちゃん…」
手元には、有限会社TINで一ヶ月間、騎士団たちに守られながらも「立ち続けた」報酬の一部、三万円が入った封筒があった。
秘湯国際空港から旅立つ幼馴染を見送るべきか。僕にあんな人混みで見送ることができるのか。足取りは重石のような枷を含む。
――スチャッ。
「ええ、坊ちゃま。フィレンツェへ行くと、地域コミュニティからの報告がございました。合理的判断では、自らの足で立っている姿を見せることこそ、彼女への最大の手向け。……ビギー、最短ルートを算出なさい」
「任せてよClock! 時間計算後最短ルート設定したビギー!!」
演算過多で熱暴走し突如として語尾がバグり散らかしたビギーが、マフラーから盛大な白煙を吐き出した。
「マスター、オイラの背中に乗りな!秘湯大橋を渡って、空の港へ特攻だよッ!」
一行は、チッタ半島と空港を繋ぐ秘湯大橋へと急行した。だが、料金所で道路法に基づく厚い壁が立ちはだかる!!
「お待ちください。……その二足歩行の苔玉付きロボ、車両区分が不明です。通行料金は…えっと…原付?は通行できませんよ!?あ、先導車ですね…少々…二分ほどお待ちいただけますか?」
『何ィッ! 係員ッ、ビギーは行けると…言ってないッ!!空の港へ特攻…そうかッ!!しまったァァァァッ!!』
脳内では怒号を飛ばすが、現実は「あ……その……」と震えるだけ。
「マスター、ここはオイラに任せて行って!! 殿はオイラが務めるビギー!!」
ビギーをその場に残し、僕は自動車専用道路であるはずの大橋を、自らの足で走り出す。引きこもり歴21年、パパの忖度で「歩行困難」とされた足が、慣れないアスファルトを直接蹴り脱げ落ちる右の靴…。だが、それを顧みる余裕などない!!
そこへ、習熟訓練で偶然パトカーを走らせていた尾木川巡査長と吉田巡査が遭遇した。
「!!……あいつは! まずは4…じゃない、2本足を確保するぞ、吉田!」
尾木川と吉田はパトカーを止め、ビギーを抑え込む!!だが、尾木川は橋を必死に駆けていく背中を見て追跡の手を止めた。
「追いかけましょう、先輩! 今なら間に合います!!」
「いや……いい。あいつにも、あんな熱いところがあったんだな…ハッ…ここで邪魔をしたら漢がすたるか…」
尾木川の瞳が、沈みゆく夕日に細められる。
「……!そんな顔でアイツを見るなんて……!!」
「バッ…バカ言うな!お前以外なんてありえんだろう!」
尾木川と吉田の叫びが響き、二人の視線が交差した瞬間。ARデバイスを介さずとも、二人だけの秘密の空間が爆発的に展開された。大輪の薔薇が咲き乱れ、黄金の光の粒子が降り注ぐ。
料金所に待機する地元沓滑警察署の巡査や料金所職員らは巻き込まれながらも「何なんだこいつら…もう…はやく帰ってくれよ…」と戦慄し、ただ遠巻きに見守るしかなかった。
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レアセントウ・アクセスプラザより3階、国際線出発ロビー。僕は、息も絶え絶えでなんとか到着した。引きこもりには遠すぎる数キロのマラソン。僕の足はすでに限界を迎え、右足の靴はなく、白磁のような肌はアスファルトに削られ、指を共擦りした大根おろしのようにピンク色に腫れ上がっていた。
「間に合え、間に合え、間に合えっ……!」
喉の奥が鉄の味がする。肺が焼けるようだ。出発ロビーへと続く緩やかなスロープが、今の僕にとっては垂直の壁のようにそびえ立って見える。すれ違う人々の興味深げな視線すら気にする余裕もなく。
『笑えばいいッ…!!引きこもりが!必死に!無様に!片方の靴をどこかに落としたまま走ってるんだッ…!!滑稽だろッ!?』
ビギーが弾き出した「最短ルート」は、僕のひ弱な脚力までは計算に入れていなかった。いや、計算してこれだったのか。ビギーのおちゃらけたかわいい声が脳裏に響くが、今は笑う余裕すらない。
『美香子ちゃんは、ずっと一人で立っていたんだっ…!なのにっ!僕の事ばかり心配して!!イタリアで靴職人になるなんて、遠すぎる夢を現実に変えるために…!僕だってっ…!』
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「……もう、無理かな」
秘湯国際空港、出発ロビー3階。チェックインカウンターの喧騒の中で、私は何度目かわからない時計の確認をしていた。
手元にあるのは、使い込まれた道具箱と、紙袋に包まれた一足の靴。
『期待しちゃだめだって、わかってたのに。あいつは、ずっと部屋から出られなかったんだから。少しくらい慣れたところで、こんな人混みの多い場所、来れるわけがないじゃない…騎士に守られたお姫様…』
イタリア行きのフライトまでは、もうあまり時間がない。幼馴染の勝手な願いだ。最後に見送りに来てほしいなんて、外の世界を怖がっている彼に言うのは酷だと分かっていた。
『自立するなんて…バカ……そして、私…期待して待ってる私が、一番バカだ』
「……もう、行かなきゃ」
諦めて保安検査場へ向かおうと背を向けた、その時だった――
「…………み、美香子……ちゃんっ …………!!」
「!!……バカ………本当に、バカなんだから…」
搭乗手続きを終えた美香子ちゃんが、そこにいた。
彼女は、僕の傷ついた足を見るなり、膝をついた。
「……サイズより足が腫れて大きくなってるじゃない……」
美香子ちゃんが紙袋から取り出したのは、自らの手で縫い上げた一足の靴。僕のために仕立てた、ビスポーク・シューズ。彼女は、街で出会うたび僕の足をチェックし、Clock並みの精密さで僕の足を測量し、僕がいずれ「自立」して歩き出す日のために、一針ずつ想いを込めて作り上げていたのだ。いつか僕が、外の世界へ一歩を踏み出すとき、その足を支えるのは彼女の作った靴でありたかったと……。
「…………あ、ありがとう…あの…美香子ちゃんも…がんばって…僕…お…応援してるから……………」
美香子ちゃんの手によって、初めて「自分だけの靴」を履かされる僕。美香子ちゃんは立ち上がり、ゲートの向こうへと歩き出す。
「……待ってるから。その靴で、世界中を歩き回れるようになるのを。……絶対、負けないでよ!」
僕は、三万円の封筒と、新しい靴の重みを感じながら、力強く頷いた。
『ああ……。見ていろ、美香子ちゃんッ! 俺はもう、籠の中の鳥じゃあないッ! この靴で、……三河の、いや世界の道を、俺の意志で刻んでやるんだッ!寂しいけど……負けねえぞォォッ!』
――スチャッ。
背後からClockが静かに現れ、僕の体温と心拍数、足の状態を確認する。
「…さて…秘湯大橋マラソン大会の終了の時刻でございます。関係者及び沓滑警察の皆様、ご協力感謝いたします。…坊ちゃま、お帰りはこちらでございます」
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写真:美香子ちゃんに貰った、まだ少し腫れた足に馴染む美しい革靴。背景にはレアセントウ空港の滑走路。
今日は、幼馴染の見送りに行きました。海外に修行に行くって。寂しいけれど、僕もこの靴で、一歩ずつ頑張るぞ!
#別れ #僕だけの靴 #三河から世界へ
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名無しさん:
つらいね……でも、前に進む時だよ! 妖精さん、その靴めっちゃ似合ってる! 応援してるよ!
通りすがり:
泣いた……俺も今の仕事、明日から本気で頑張る……。
REDDIT@knighthood:
姫ッ!足!!ケガしてんじゃん!!大丈夫か!?
BLUECOLOR@knighthood:
…おい、帰ってきたら、ちゃんと消毒しねーと!
YELLOWCURRY@knighthood:
さみしいね~…でも、僕たちがついてるよ!元気出そう!
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