第30話:伝道
僕は、エアコンの効いたキャンピングカーの中でVRゴーグルを装着した。視界が切り替わる。そこには、ビギーの複眼センサが捉えた、伝説公園の圧倒的な原生林が4K以上の解像度で広がっていた。
「……!!……!! 見える……!! ビギーの目を通して見る世界……!!……あ、手が……いや、補助脚が、本物の蜂の巣の「重み」をフィードバックしてくるッ!! Clock……! 凄いよ、これ、本物よりも「本物」っぽいんだ……!!」
「そうでございますね、坊ちゃま。ビギーに搭載された万を超えるフィードバックセンサー類が、バイオニックセンサーとしても作動しておりますゆえ、その感覚はまさに本物かと」
「マスター、見える!?奥に、超巨大コロニーを発見したよ!!ブォォォォン!!」
ビギーは森の奥、巨大な杉の木に作られた野生の巣へと近づく。
ビーッ!ビーッ!ビーッ!ビーッ!ビーッ!
その瞬間、アラートが鳴り響き、視界が真っ赤に染まった!
「坊ちゃま、警告します。……。前方12時方向、浮遊する微小飛行性蛋白物質(Apis mellifera)群を検知。……。奴らは腹部に対象のタンパク質を破壊し、神経系を麻痺させる『バイオ・ニードル』を隠し持つ、極めて凶悪な生物兵器でございます」
『…ビギーッ!気をつけろ!! バイオ・ニードルだァァァーーッ!! って、え、生物兵器って、それ、ただのミツバチだろッ!? ……。でも、待てよ。……。VRの触覚フィードバックが、奴らの羽音を地獄の重低音として脳に直接叩き込んでくる……!! デカッ!!怖い! 怖いよ! 回避だ! 全力で回避してくれッ!!』
境界線の内側。ビギーの背負った特大の採取瓶(みどり謹製)をカウンターウェイトとして使う、フィギュアスケートのような超高速旋回!
「マスター、ジャイロ制御200%! トリプルアクセル!!舞うよ!ブォォォォン!!」
ビギーのマジックハンドが閃光のように動き、迫り来るミツバチ群を、風圧だけで次々とフレーム外へパージしていく。一匹でも傷つければ、みどりのHow dare you! が発動し、即座に公園追放だ。
一匹の蜂も傷つけることなく、ダンスを踊るようにしてビギーは巣から黄金のハチミツを掬い取っていく。
「すごいわね…まるで自然と一体化してるみたいだわ…」
「…みどりちゃん…今、どうなっているの?…盲いたこのおばあさんに教えてくれない…?」
「長…危険よ…私の手を取って…」
ビギーのボディには数万匹のミツバチが纏わりつき、その羽ばたきが陽光を反射して、まるで黄金のオーラを纏っているかのようだった。
「光り輝いていて…まるで天使が舞い降りたようだわ…」
「『その者、光輝の衣を纏い、祝福の地に降り立たん』……ああ、伝説は、本当だったのね……」
「長…どうか泣かないで…もうじき伝道師様が帰ってくるわ…笑顔で、迎えないと」
「ふふ…そうね…汚れた外の世界で戦っていてくれる同胞を労わる準備をしないと。さぁ、手伝って。行きましょう、みどりちゃん…」
数分後、キャンピングカーの中でゴーグルを外した僕は、冷や汗でチーズカットをびしょ濡れにしながら、激しく呼吸を整えていた。
「…………助かった……VRなのに、本当に刺し殺されるかと思った……」
「お疲れ様でございます、坊ちゃま。……無事に、ケーミッシュの里のハチミツを手に入れましたな」
Clockが差し出したのは、ビギーが命懸け(VR)で持ち帰った、爆発的人気のケーミッシュ・ハニー。
それは、電波の届かない禁足地が生んだ、不純物ゼロの、あまりにも甘美な「自立の報酬」なのだ!!
――伝説公園入口。
みどりたちケーミッシュが、伝道師を迎える。
「伝道師様、今回の旅はどうでしたか!?私たちの同胞は、救えているんでしょうか!?」
「安心してください、皆さん。ケーミッシュ・ハニーで得た、聖なる浄化。その謝礼にと、今回は多くの聖布が頂けました」
「わぁ、きれい!!お姉さま、わたし、この聖布でキルトを縫うわ!!」
「ふふ…仕方がない子ね…お疲れでしょう、伝道師様。どうぞ、聖域で旅の疲れを癒してください…さぁ、さぁこちらへ……」
ケーミッシュたちは、聖布を神旗のようにはためかせ、誇らしげに公園内へ去っていった。
『あれ、あの人…誰だっけ。どこかで会ったような…ダメだ。思い出せない。まぁ、いいか。早くTINへ向かおう!』
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夜間の有限会社TIN休憩所。
築52年のスレート屋根を叩く春の雨音をBGMに、そこには工場地帯の夜とは思えないほど甘やかで、多幸感に満ちた空気が漂っていた。
「うおおおっ ……! これが、あの伝説の『ケーミッシュ・ハニー』……! 姫、本当に一人で獲ってきてくれたんだ!?スッゲー!!」
「フッ…、この粘度、この芳香……市販品とは次元が違う。姫の真心が凝縮されている…!」
「わぁぁ……あま〜い! 幸せだよ〜、生きててよかったぁ…姫、ありがと…嬉しいよ…うぅッ……」
熱血系の赤井が震える手で、デリバリーのパンケーキに黄金の液体を垂らす。クールな青山も、フォークを握る手に力を込める。黄田にいたっては、頬をリスのように膨らませて、恍惚の表情を浮かべていた。
「あら、本当に美味しいわね。疲れが吹き飛ぶわ!?ありがとう、姫様」
「ケーミッシュ?外国なの?ほっか姫さん、これがインターナショナルな味かん!」
桜井さんが優しく微笑み、鳥屋多社長も上機嫌でパンケーキを頬張る。僕は、その賑やかな輪の真ん中で、ポヤポヤと湯気を立てるパンケーキを小さく口に運んだ。
『……甘い。……暴力的なまでに、純粋な甘さだッ! 騎士団の奴ら、……大袈裟なんだよ。……でも、……「美味しい」って言ってもらえるの、……悪くない。パパの用意したフルコースより、今のこの、プレハブの安いパンケーキの方が……ずっと、……自由の味がするぜッ!!』
「マスター!!黄色い熊はハチミツ中毒で、末期になると人里を襲うらしいよ!!気を付けて!!ブォォォォン!!」
「ビギー、それ黄田の事か!?案外、あってんじゃねぇか?ハハハッ!!」
「フッ…言えてるかかもな…姫、気を付けろよ?」
「も~赤井君!青山君!そんなことないよぉ~?!僕は人畜無害な男なんだから~」
ClockはARメガネをスチャッと直し、主人の幸福指数を静かにログに刻んでいる。
TIN休憩所、長閑なその場所。仲間たちの温かな笑い声が、春の柔らかな雨音とともに夜の空気へと溶けていった――




