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チーズ姫と凸凹従者 ~街道爆走道中記~  作者: 熊猫太郎
第六章:伝説のチーズ、美貌の深淵
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第19話:事実

店内に流れるHipHop調BGM。リズムに合わない戸惑いを抱き、郁夫は呆然としたまま聞き返した。


「……☆5……?それ、 どんくらいなの……?」


「お気付きではございませんでしたか? オンライン上のレビューでは、この[久兵衛家・ピースキャッスルバイパス店]に、注文通りの髪型を作りながらも、なぜか客の人生を好転させる[神のハサミ]を持つ美容の使徒がいると局地的な伝説になっております」


郁夫は指先を震わせて、鏡の中の[姫]と、自らのハサミを交互に見つめた。


彼が魂の墓場だと絶望していたチーズカットは、いつの間にか[美の原点]へと回帰しているこの現実が眼前に…


「……アタシは…まだ…アタシなのね…?…まだ、やれるのかしら……?」


鳥屋多郁夫は、震える手でハサミを置いた。郁夫にとってこの数年間は、かつての栄光を泥で塗り潰し、ピースキャッスル市のバイパス沿いで無難という名の死を待つだけの余生だったはずだ。


「非合理的推論を拒絶し、現実を直視なさるべきでございます」


ClockはARメガネをスチャッと直し、店内の虚空に巨大なフローティング・ウィンドウを投影した。そこには、GoogleマップやSNSのレビュー欄が、滝のような勢いで流れ落ちていく…!!


「こちらが、あなたが呪詛と呼び、忌み嫌っていた定型文を吐き出す顧客たちの、偽らざる声でございます」


郁夫は、老眼に鞭を打ってその文字を追った。


――――――――――――――――――――――――――――――


『久兵衛家・ピースキャッスルバイパス店:レビュー』


――――――――――――――――――――――――――――――


「口下手でうまく説明できなかったけど、担当のおじさんが最高の“普通”にしてくれた。初めて家族に褒められました。☆5」


「適当に梳いてって頼んだだけなのに、翌朝のセットが神。あの店員さん、ただ者じゃない。さすが美容の使途。☆5」


「無難な指示でも、仕上がりが至高。美容の使途ヤバイ。ピースキャッスルの奇跡。陰キャのみんな、行け!☆5」


「地味だと思っていた自分の顔が、少しだけ好きになれました。明日の仕事も頑張れそうです。気になってる子に、告白、しちゃおうかな?☆5」


「帰り道、下を向いて歩くのをやめました。ただそれだけなのに、世界が広く見えます。本当にありがとう☆5」


――――――――――――――――――――――――――――――


「……な、……なぁに、これぇッ ……!?」


郁夫は絶句した。彼が「個性の墓場」だと思い込み、歯車として淡々とこなしていた「前髪は眉の上、耳は出す」という退屈な作業。だが、そこには郁夫が数十年かけてパリやニューヨークで磨き上げた超一流の技術センスが、無意識のうちに、そして残酷なまでに凝縮されていたのだ…!


コミュ障ゆえに曖昧な指示しか出せない客たちの不安を、彼はその卓越した[察するハサミ]で救い続けていた。


蓄積された美のビッグデータは、郁夫が絶望していた間も、指先に宿り続けていたのである…!


「……アタシ、……アタシは……」


レビューを読み進めるほどに、郁夫の頬を熱いものが伝った。かつてスポットライトを浴びていた頃の虚飾に満ちた賞賛ではない。三河の地で働く名もなき人々が、鏡の前で少しだけ自分を好きになれた瞬間の、切実で、地味でも、温かい感謝の声。


伝説のヘアメイクアーティストは、ありのままのオッサンの汚ねぇ顔を歪ませ、子供のように声を上げて泣いた。ピースキャッスルバイパス沿いの1,200円カットの店内に、嗚咽が響き渡る。



「…もうやめてよ、……|Don't Cryどんくらいよぉ~ッ……!!」



『何ィッ! 泣きやがったッ! このオヤジ、情緒不安定かッ! だが……この涙、……本物だッ! 俺の髪を切りながら、この男は自分自身を救っていたというのかッ!! 貰い泣きしちまうじゃあないかッ!』


僕は、新しく手に入れた「姫」のようなシルエットの髪を揺らし、俯きながらも郁夫の背中に小さなエールを送った。


「……あ、あの。……ありがとう、……ございます。……すごく、……いい、です」


「…どんくらいよ~!!もう…あんたも優しいのねぇ……!!」


郁夫は、鼻をすすりながらも、最後の一振りのハサミで襟足を整えた。それは、世界一安価で、世界一慈愛に満ちたチーズカットだった。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




店を出ると、春の三河の風が、新しくなった僕の髪を優しく撫でた。


「マスター!! なんでッ!? なんでそこに映っているのは、ボクがシミュレーションした反重力モヒカンじゃないの? 宇宙の神秘が足りないよ! ブォォォン!」


ビギーが、店外で未だにホログラムを撒き散らしながら抗議の咆哮を上げる。僕は苦笑いしながら、その煤けた苔玉の近くに寄り添った。


「……いいんだよ、ビギー。……これが、今の……僕の、自立の形なんだ」


僕は、Clockに促されるままに、店外の明るい光の下で自撮りを行った。


鏡の中の自分は、もう「籠の鳥」ではない。極度の色白と、完璧に整えられた中性的なカット。それは、道ゆく人々が二度見するほどの、儚くも美しい[妖精]の誕生であった――




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「あら、そろそろ散髪にいかないと。モップみたいになってるわよ」


「み…美香子ちゃん… えと…今日、床屋さん?行くんだ…」


「あっ!そうなのね、ごめんね。どんな髪型にするの?」


「えと…わ…分からないな…みんな、どうやってるんだろう…」


「お店の人に聞くのが一番よ!相手はプロなんだから。話しかける勇気があれば、大丈夫!」


「うん…そうだね…がんばってみる。は…話聞いてくれてありがとう…美香子ちゃん…」


そうだな…応援してくれてるんだ…勇気を出して…頑張るぞ!!…できるかな…はぁ…


昨日、心優しい幼馴染と別れた時は、重い足取りで玄関に向かっていた。そして、今。僕は、春の風を感じつつ、軽やかにスマホを手に取った。


――――――――――――――――――――――――――――――


写真:久兵衛家の看板の前で、春風に髪をなびかせる僕。頬が少し赤い。


久兵衛家行ったよ〜! 評判通り、いい感じ? どうかな!?


#初めての床屋 #風があったかい #春を感じる


――――――――――――――――――――――――――――――


名無しさん:


すごい! かわいいね! 床屋さん、喋るのたいへんだったでしょ!? がんばったね!


通りすがり:


妖精さんかな? 女の子にしか見えないね、かわいい〜!!


――――――――――――――――――――――――――――――

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