46 第二王子ユリウスの傷心旅行
僕とイバンは今、最南端の島国ジャシル国へお忍びで訪れている。
南国の花柄のピンクのシャツに、水色の縁のサングラスをかけた僕は、南国の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「イバン、早く早く!」
「ユリウス殿下、ちょっと待ってくださいよ。なんでそんなに元気なんですか」
イバンはサングラスを頭の上に持ち上げると、やれやれと肩をすくめた。襟元を大きく開いた白いシャツからは、引き締まった褐色の胸板が覗いている。
「ねえ、お忍びなんだから殿下呼びはやめようよ」
「じゃあ、何て呼びます?」
「そうだなあ、ユーリでいいよ。あと敬語も禁止ね。わかった?」
「⋯⋯わかったよ、ユーリ」
ジャシル国から見える海の色はエメラルドグリーンで、まるでロゼの瞳の色みたいだ。
卒業式の翌日、兄上とロゼは婚姻誓約書を提出した。そして僕は初恋に終止符を打った。
――あの聖女認定の儀式の日。
あの時泣きながら微笑んだロゼの顔は、今まで見た中で一番きれいで幸せに満ちた顔だった。
ロゼにあんな顔をさせることができるのは兄上だけなんだ。ロゼはずっと兄上のことだけ見ていたもの。僕の出る幕なんて最初からなかったんだね。
子どもの頃から何にも欲しがらなかった兄上が、唯一望んだ最愛の人。
僕は二人の幸せを心から願おうと思った。
「今回は傷心旅行だね」
ぽつりとつぶやいた僕を見て、イバンが苦笑する。
「失恋の傷を癒す特効薬は、新しい恋だよ」
「僕はイバンみたいに恋多き男じゃないんだからー」
僕が頬を膨らませると、イバンがよしよしと頭を撫でてくれる。
「よし。じゃあ今回の旅行は思いっきり楽しもうな」
イバンはそう言うと、島のガイドブックを広げた。
僕は旅行好きのアントニウス叔父様に、ジャシルの見所をいろいろ聞いてきたんだ。
「お腹すいたからなにか食べようよ。叔父様は豚の丸焼きがおすすめって言ってた」
イバンはジャシル語で書かれたガイドブックの食堂のページを開いた。
「この食堂の名前『豚ざんまい』だから、豚の丸焼きもあるかもね。行ってみる?」
「何それすごい。『豚ざんまい』行きたい。イバン、ジャシル語が読めるの?」
「ああ、ジャシルに行くことが決まってから急いで勉強したんだ。付け焼刃だけど観光する程度なら問題ないかな。っていうかユーリは? プリムローズ嬢⋯⋯あープリムローズ殿下から聞いたけど、王族は世界の言語を全部習得するらしいね?」
「あはは、そんなの都市伝説だよ。馬鹿正直にマスターしてるのなんて兄上とロゼくらいだよ。叔父様がそんなの覚えなくても大丈夫って言ってたし」
だって普通に考えたら無理でしょ。兄上のように、見たものを一瞬で記憶する頭脳でもないかぎり。そう考えるとロゼはどれだけ努力したんだろう。
「そうなんだ。まあ普通に考えたら通訳つければ事足りるもんな。じゃあ今回は俺が通訳になるよ」
「わあい助かる。イバンって頼もしいよね。モテるのもなんか分かる気がする」
「おだてても何も出ないよ」
「ううん。僕もイバンを見習おうって思って」
「ユーリにはユーリの良さがあるんだから、俺を見習わなくてもいいでしょ」
「そうかなあ。僕、顔以外に何か取り柄あるかなあ」
「顔の良さは否定しないんだね」
イバンはトパーズの瞳を眇めて、愉快そうに笑った。
♢♢♢
それから僕達は『豚ざんまい』で豚の丸焼きをお腹いっぱい食べて、そのあとは海で泳いだ。
イバンは、僕が泳げることや、意外と筋肉があることに驚いていた。
「え、ユーリって腹筋ばきばきに割れてるんだ⋯⋯」
「そんなに驚くことかなあ。イグニス閣下の教え子はみんなこんな感じだよ?」
僕ってそんなに弱々しく見えるのかな。体を動かすのも大好きだし、幼少期から兄上達と一緒にイグニス閣下の鬼指導を受けていたから、腕には覚えがあるんだよね。
それにアントニウス叔父様が言ってたんだ。旅には危険が付き物だから、自分の身は自分で守れるようにしてるって。それを聞いてから、僕も強くなるために鍛錬を頑張ったんだよね。
夜は、島の祭りに飛び入りで参加することにした。
周りで踊っている人達の言葉なんて全然わからなかったけど、笑顔で身振り手振りで交流していたら、相手も笑顔になって、なんだか心が通じ合った気がした。これがアントニウス叔父様が言っていた事なのかな。
「はあ、楽しかった!」
夜遅くに宿に戻った僕達は、簡素なベッドの上に寝っ転がった。その宿は壁がない開放的な造りで、部屋から海や空を眺めることができた。
波の音と潮の匂いに包まれながら、満天の星空を見上げた。
「星がきれいだなあ」
僕がそうつぶやくと、イバンも寝っ転がりながら頷いた。
「ユーリの笑顔って周囲を明るくするよね。言葉なんてなくても意思疎通できてたし。そういうさ、相手の懐にすぐ入り込める所がユーリの長所なんじゃない?」
顔以外に取り柄があるのか、なんて悩んでいた僕に、イバンが一つの答えをくれる。
何をしても兄上には敵わなくて、好きな子を振り向かせることもできなくて、気づかないうちに自信を無くしていた僕は、イバンの言葉に涙が出そうになった。
「そっかあ。ありがとうイバン。僕、傷心旅行に来てよかった」
僕は涙が零れないよう、しばらく夜空を見上げ続けた。
♢♢♢
翌日はジャシル国王に招かれて宮殿を訪れた。
ジャシル国王は、褐色の肌に橙色の髪と金色の瞳をしていて、百獣の王ライオンみたいにかっこいい王様だ。アルフレッドがしきりにジャシル国王の筋肉を褒めていたのも頷ける。
僕達はお忍びだからお構いなくと伝えたけど、豪勢な食事や伝統舞踊を披露してくれて、すごく手厚いおもてなしを受けた。
『貴方達の国でとても美しい女性に出会い、一目で心を奪われた。あんな経験は初めてだ。王太子の婚約者だと言われて諦めたが未だに夢に見る』
『プリムローズ殿下ですね。彼女は王太子に愛されて、とても幸せそうにしています』
『そうか。とても残念だが彼女の幸せを祈ろう。結婚式には必ず行くと伝えてくれ』
ジャシル国王とイバンがジャシル語で会話している。言葉はわからないけど、きっとロゼの話だろうな。
あのパーティで国王がロゼに一目惚れした瞬間を僕は見ていたし、今は切なげな表情をしてる。ロゼは他国の王様まで虜にしちゃうんだね。
(ジャシル国王。あなたと同じで、僕もロゼに失恋したんですよ)
僕も切ない気持ちになりながらジャシル国王に笑いかけた。
国王はジャシル語で何か言いながら、僕の肩を抱き寄せて優しくさすってくれた。きっと慰めてくれてるんだね。僕は胸の奥がなんだか温かくなった。
♢♢♢
ジャシルの宮殿で見た伝統舞踊は素晴らしかった。
ジャシル神話を題材にした踊りで、木彫りのお面をかぶって猛々しく踊る姿に感動した僕は、そのお面を買って帰ることにした。
露店を覗くと、たくさんの種類のお面がずらりと並んでいた。叔父様からお土産でもらったのがあるけど、これだけたくさん並んでいると収集癖が刺激されるよね!
「兄上達にお土産を買っていこう。この笑ってる顔のお面、かわいいなあ。これにしよ」
「せっかくだから俺も買っていこうかな。じゃあ俺はこの怒った顔のやつ」
♢♢♢
帰国してすぐ、既に王太子宮で暮らしているロゼと兄上に会いに行った。
兄上は留守にしていた。二週間も休んだから溜まった執務に忙殺されているみたい。
「これ、二人からのお土産だよ」
麻の大きな袋を差し出すと、ロゼが満面の笑みで受け取ってくれた。
「まあ、お二人ともこんがり日に焼けて。ジャシルは堪能できましたか? お土産もありがとうございます、開けてみてもいいですか。あら、木彫りのお面! これは笑っている顔? こちらは怒ってる顔かしら。そういえば王弟殿下から頂いたものは泣いた顔でしたわ。これはたくさん集めたくなりますわね。ユリウス殿下、イバン様、貴重な品をありがとうございます。末永く大切にいたしますね」
王太子宮からの帰り道、僕はイバンに尋ねた。
「イバンは卒業後はどうするの?」
「しばらくは留学して、語学力を磨きながら見聞を広めてくる。そのあとは父と同じ外交官を目指すよ。ユーリは? そろそろ結婚とか急かされてんじゃないの」
「それがさ、父上の方針で息子には政略結婚を無理強いしないんだよ。そこだけは謎なんだけどさ。父上は国の利益を第一に考える人だから、婚姻以外で国の役に立てればいいのかも。ほんとはアントニウス叔父様みたいに、世界中を旅して回りたいんだけどな」
僕はそう言って、道端の石ころをぽーんと蹴った。
「だったらさ、俺と一緒に世界中を飛び回る? 俺が通訳するからさ、ユーリは得意の人たらしで同盟国を増やせばいいんだよ」
「なるほど。外交で国に繁栄をもたらすって考えか。うん、それいいね! 結婚するより断然いいや!」
僕は嬉しくなって、右手を高く上げてハイタッチを仕掛けた。するとイバンは笑いながら応えてくれた。
僕はなんだか晴れやかな気分になった。まるで雨が上がったあとの青空みたいに。




